第182話 兄貴登場

「ア……アイガ?」


 大男が突然俺の名前を呼んだ。

 その声にはどこか懐かしい雰囲気がある。

 何故だろうか?

 

 俺は男を注視した。

 脳の最奥に眠る記憶の箱がゆっくりと開いていく。そんな感じがした。


 その時になって気づく。

 男から放たれる猛獣の如き闘気。加えて、数十年以上醸成されたかのような銘酒の匂いに似た香り。

 それらが俺の記憶の扉に掛かった蓋をこじ開ける。


 あ!

 まさか……


「アイガじゃないか!」

 

 その人はサングラスを取り俺に抱き着いてきた。

 逞しい腕に抱かれ、懐かしさが込み上げてくる。


 しかし……まさか、こんなところでこの人に会うなんて……

 軽く困惑が俺の脳を駆け巡った。


「ほへほへ?」


 後ろでクレアも驚いている。それもそうか。先ほどまで怪しげな雰囲気を放っていた大男が俺に抱き着いているんだから。


 ただ……

 この声……

 この肉体……

 そして、この酒の匂い……

 全てが懐かしい。

 

 不意に思い出す。

 あの修行の日々でこの人と出会った時のことを。


「アンドリューの兄貴!」

「そうだよ! 俺だ! アンドリューだ! アイガ! 久しぶりじゃねぇか!」


 こんなところで兄貴に会うなんて……

 夢にも思わなかった。

 俺は感慨に耽る。


「ねぇ……」


 後ろでクレアが俺の服を引っ張った。

 その瞳には猜疑と驚愕、困惑が織り交ざったような色をしていた。


「誰、この人……知り合い?」


 微かに緊張の色も見える。

 それもそうか。

 先ほどまで酔っ払って女性をナンパしていたような大男が意気揚々と俺の名前を呼んで抱き着いてきたのだ。

 理解が追い付かないのも無理はない。


 俺は抱き着く兄貴を無理やり剥がした。

 改めてクレアに紹介する。


「え、と……こちらはアンドリュー・スタンフィールドさん。俺は兄貴って呼んでいるんだけど……」


 クレアがぽかんとした顔で兄貴を眺めた、

 兄貴はサングラスを胸ポケットにしまい、ニコッと笑う。

 

 さっきまでとは違い柔和な空気が流れた。

 それが余計に兄貴の胡散臭さに拍車をかけているような気がするのは俺の勘違いだろうか。


「初めまして、お嬢さん。君がアイガの知り合いとは思わなかったんだ。非礼は詫びる。申し訳ない」


 兄貴は深々と頭を下げる。

 クレアは「はぁ……」と応えるだけだった。


「改めまして……自己紹介を。俺は、アンドリュー・スタンフィールド。愛称はアンディ。若しくは兄貴……かな。現在は王都護衛部隊ロイヤル・クルセイダーズ五番小隊の隊長を務めている。宜しくな」


 兄貴は白い歯を見せてウィンクした。

 風貌が厳つすぎるため、やや威圧的に見える。


「はぁ……は!? 王都護衛部隊……隊長!?」


 驚きのあまりクレアが目を丸くした。

 確かにこんなに酒臭くて、ナンパで、悪人面の人が王都護衛部隊の隊長なんて夢にも思わないだろう。


「おい! アイガ! なんか失礼なこと考えてないか」


 あれ? やっぱりこの世界の人間は心が読めるのか?

 まぁ、兄貴相手なら別に構わないが。


「いや、そんな厳つい人が現職の隊長なんて普通思わないでしょ」

 

 俺は笑いながら兄貴の顔を指した。


「馬鹿野郎、どこが厳ついんだ。地元じゃあ、イケメンで通ってんだぞ」


 兄貴も笑いながら答えた。

 このやりとりも本当に懐かしい。


「それにしても本当に久しぶりだね。ていうか、なんだよその髪型に、そのタトゥーは。マジで誰かわからなかったよ」


 そう、俺が兄貴に気づかなかった理由はそれだ。

 俺の思い出の中の兄貴と今の兄貴の姿の乖離が激しすぎる。

 女性をナンパしている一点は昔と変わりないが。


 思い出の中の兄貴は坊主頭で、肌も普通に白かった。筋肉は確かに逞しかったがタトゥーなんて一つもなかった。

 サングラスまでしていたから完全に正体がわからかったんだ。


「あ……それもそうか。いや、髪型は坊主に飽きたからイメチェンしたんだよ。肌は、前にいた場所が東方警備だったから日に焼けちまってこんな色になっただけだ。タトゥーは……」


 兄貴が困り顔でポリポリ蟀谷を書き出す。

 何か言い難そうだった。


「前に付き合っていたのがタトゥーアーティストのお姉ちゃんだったんだよ。そのお姉ちゃんの練習で身体を提供したんだ。で、こんなにお絵描きしちまったわけだ。まぁ、もう別れちまったんだけどよ」


 予想していた以上にしょうもない理由だ。

 余りにもしょうもなかったので俺は思い切り笑ってしまった。

 兄貴は「笑いすぎだぞ」と笑顔で俺の肩を小突く。


 久しぶりの邂逅に俺と兄貴は燥いでいた。


「あの!」


 そんな中、クレアの声が響く。


「なんで王都護衛部隊の隊長さんがアイガと知り合いなんですか?」


 クレアは未だ困惑したままだった。

 それもそうか。いきなり王都護衛部隊の隊長が俺と親しげに話しているのだから。


「あぁ……その説明をしないとな。俺は昔、五番小隊の副隊長をしていてな。その時の隊長がアイガの師匠なんだよ」


 クレアは驚きのまま俺を見る。

 そう、俺の師匠は元王都護衛部隊の五番小隊隊長だった人だ。

 俺を育ててくれていた時はすでに除隊していたが。


「そんで、その時の関係から俺は偶にこいつの師匠がいる場所に挨拶に行っててな。そこでアイガと知り合ったんだ。そこからは、まぁ兄貴分としてアイガと接していたんだがな。ただ、ここ最近は俺も隊長としての仕事は増えて中々会いに行けなかったんだが。よもやこんなところで逢えるとは。幸運に感謝だな」


 兄貴は笑いながらサングラスを掛け直した。

 厳つい風貌がさらに厳つくなる。


 そう、師匠の下で俺は兄貴と出会った。そして仲良くなった。

 あの頃の思い出がまた蘇る。

 その時、ふと疑問が湧いた。


「それはそうと、なんで兄貴がここに?」


 一瞬、兄貴の顔が曇った。

 それは昔から付き合いのある俺じゃなきゃわからないほど一瞬だった。


 確かに兄貴の顔は曇ったんだ。

 それは俺に一抹の不安を覚えさせるには十分だった。

 その一瞬だけ、いつもの兄貴の顔じゃなかった。

 王都護衛部隊五番小隊隊長の貌だったんだ。

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