第181話 雨は止んで……(クレア編)

 蒼褪めた貌でワープ・ステーションに辿り着く。

 きっと今の私は泣きそうな顔をしているだろう。

 私は願うようにアイガを探した。


「あ……」


 アイガはすぐに見つかった。

 ワープ・ステーションの軒先のベンチに座って雨宿りをしていたんだ。

 

 アイガは全身ジャージだった。

 制服のローブじゃない。


 こちらの世界にもジャージはある。異邦人が伝えたものだ。


 アイガは黒いジャージの上下にスニーカーというラフな格好だった。


 憂いを帯びた目で雨を降らす空を眺めている。

 貴方は何を考えているの?


 その横顔に私は見惚れていた。

 もう私の心に不安はない。代わりに希望の光がさしていた。今の空と同じだ。

 雨は止み、曇天の間から光が、溢れるように照らしていた。


 アイガが歩き出す。

 心に余裕ができた瞬間、消えかけていた悪戯心が再燃し始めた。

 こっそり後をつけて、頃合いを見計らって、驚かせよう。

 

 私はクスクス笑いながらアイガの後を追う。

 アイガはトボトボと寮へと向かって歩いていた。


 そろそろかな。

 私はゆっくりアイガの背後に近づく。


 あと少し。あと少し。

 よし! 今……


「わ!」


 アイガはいきなり振り返った。

 私は驚き、よろめく。

 

「クレア!」


 転びそうになる私をアイガはその逞しい腕で支えてくれた。

 そしてそのまま自分のほうへ引き寄せてくれる。


 一瞬、アイガの匂いがした。

 熱い炎を圧縮したかのような熱を伴った薫風が私の鼻を抜けていく。

 脳にまでダイレクトに伝わる色のある香りに私は一瞬蕩けてしまった。


 顔は赤く染まり、身体が火照る。

 恥ずかしさが遅れてやってきた。


「あ、ありがとう、アイガ」


 顔が赤くなっているのを気づかれないように私は自分の髪で顔を隠す。


「クレア、どうしてここに?」


 不意にきたアイガからの質問。

 当然の質問なんだけど、本当のことを言うのが憚られて私の脳は高速でフル回転した。


「え……と……きょ……今日、お休みだから街を散策していたの。本当はサリーとかも誘いたかったんだけどもうすぐ中間試験だから邪魔しちゃ悪いと思って一人で遊びに来ていたんだけど。そしたらアイガを見つけて。ちょっと驚かそうと思ったのに、逆にこっちが驚かせられちゃった」


 挙動不審になってまた私は恥ずかしくなる。

 苦しい言い訳の羅列。思いのほか言葉が多い。

 それを誤魔化すために無意味な笑顔をアイガに向けた。

 

「それにしても……なんで後ろに私がいるってわかったの?」


 今度は私の番。

 というか、あまり質問されて悪戯しようとしたのが、ばれたくなくて私から質問をふってみた。


「え? あぁ、クレアの匂いがしたから」


 予想外の答えが返ってくる。


 え? 匂い?

 嘘……


「え!? 匂い? 私匂う?」


 さっきまで赤くなっていた顔が今は真っ青だと思う。


 どうしよう。

 え、この服、匂うかな。

 箪笥に入れすぎていたの?

 それとも汗臭い?

 え、嘘……


「違う! 違う! 俺、鼻がいいだけだから。ほら、変身すると狼になるだろ? その能力の副産物で普段から鼻がいいんだよ。だからクレアの匂いがわかっただけ」


 あ、そういうことか……

 よかった……

 本当に……


「なんだ、びっくりした。もう、二回も驚かせないでよ」


 安堵から私は本当に笑っていた。

 そうだ、この勢いに任せよう。

 今なら大丈夫だ。


「ねぇ、アイガ、時間ある? ちょっと一緒に街を歩かない?」


 私は意を決してアイガを遊びに誘った。


「ん? いいよ。行こうか」


 アイガは心よくオーケーしてくれた。

 よかった。


 私は満面の笑みでアイガと一緒に街を歩く。


 雨上がりの街が色鮮やかに、私たちを祝福してくれているようだ。

 太陽や風、雨に濡れた道路さえも私たちのためにある。そう錯覚するほど私の心は浮かれていた。


 暫く歩いていると目の前に屋台が現れる。

 その屋台には見知らぬ果物が沢山並べられていた。


「あ、あれ何かな?」


 美味しそうな匂いが私のお腹を刺激する。


 屋台はジュースのお店だった。

 知っている果物もあれば、知らない果物もある。

 

「俺、買ってくるよ。クレアは待ってて」


 アイガの一言につい笑顔が零れた。

 別に奢ってくれることが嬉しいんじゃない。

 アイガが買ってくれる何かを楽しめることが嬉しいんだ。


「いいの?」

「いいよ」


 私はウキウキでアイガを見送る。

 街中で待つにしても少し脇に寄っておいたほうがいい。私は道の脇のスペースに移動した。


 その時。


「やめてください!」


 女性の声が聞こえた。


 私はそちらを見る。

 そこには綺麗なお姉さんがいた。

 その眼前には大柄の男の人が立っている。


 コーンロウの髪型にサングラス。

 それよりも目を引くのが体躯の大きさ。本当に大きい。

 パーシヴァル先生と同じくらいだ。


 筋肉も凄い。筋骨隆々という言葉を体現したかのような身体をしている。

 加えて浅黒い肌に夥しいタトゥー。

 人を恐れさせるには十分だった。


 その人がしつこく女性を口説いていた。

 ナンパだ。


 せっかく、アイガとデートしているのに。


 水を差された気分になった。

 イライラが心を満たしていく。


 私は怒り心頭でそちらへ向かった。


「やめなさいよ!」


 私の言葉に大男は驚く。

 その隙に女性は走って逃げていった。


「あ! お姉ちゃん! 待ってくれよぉ~」


 大男は情けない声を出しながら女性の背中を見送る。

 そのまま私を睨んだ。


「おい! 小娘! 邪魔するな! お姉ちゃんが行っちまったじゃねぇか」


 酒臭い息を吐きながら私を詰る大男。

 私はイライラが頂点に達した。


 こんな奴に私の気分を害されたなんて。

 本当に腹立たしい。


「公共の場でいい大人がナンパなんてやめなさいよ! だいたい今昼間よ! お酒なんか飲んで恥ずかしくないの!」

「あぁ!?」

 

 大男は酔っ払った顔のまま私に顔を近づける。

 そこへ。


「クレア!」


 アイガが駆けつけてくれた。


「あん?」


 大男がアイガを睨む。

 

 アイガが私と大男の間に割って入った。

 

 瞬間、大男から信じられない魔力が迸る。

 あり得ない。

 こいつ……ただのナンパ男じゃない。


 私は改めて大男を見た。

 その身体から零れる魔力はその身体をより大きく見せている。


 はっきりいってレベルが違った。

 こんなに強い人、そうそう見かけない。


 どうして?


 なんでこんな魔力を持つ人が街中にいるの?


 急に怖気が私の背中を這う。


 私はもしかしたらとんでもない人の前に飛び出してしまったのかもしれない。


 どうしよう。


 そんなことにアイガを巻き込んでしまった。

 剰えアイガは私を守るように立っている。


「アイガ……」


 私は祈るように言葉を発した。

 もしもの時は私が戦う。

 

 例え、全力を使うことになったとしても後悔はない。


 アイガを守るためなら……

 私はどこまでも強くなれるのだから……


「ん? アイガ?」

 

 突然、大男はアイガの名前を発した。

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