第180話 雨(クレア編)
今日はお休み。だから私は自室でのんびりしていた。
窓辺から空を眺めると薄い雲が暖かい牛乳に張る膜のように覆っている。
退屈。
それが今の私を表す二文字。
学校はすでに平穏に向けて動き出していた。
いや装っていた。と、言えるかもしれない。
どこか余所余所しい、平穏という偽りにしがみついているような、そんな気がしていた。
それはきっと先生や生徒たちが思い描く平穏という形の現れなんだと思う。
だからだろうか、それは歪でギチギチと気味の悪い音を出していた。
これはきっと私が異邦人だからそう感じてしまうのだろう。
どこまでいっても、どんなに強くても、私はこの世界の人間じゃない。
その疎外感に近い感覚は今もなお私の中で蠢動している。
「こんなことを思うの、久しぶりだな……」
ベッドに寝転び天井を見上げた。
呟いた独り言は思いのほか大きく響く。
もうすぐ中間試験が始まる。全員一生懸命勉強していた。
サリーも。
私はその中にいない。特待生だから中間試験が免除されている。
前期と後期の期末試験だけを合格すればいい。
そして、現状この期末試験は簡単に突破できる。
これは傲慢でも慢心でもない。純然たる事実だ。
そんな私が学校に行っても邪魔になるだけ。それに最近全然サリーと遊べていない。
その所為もあってかこんな感情が心に渦巻いているのかもしれない。
昔からそうだ。こうした試験の類になると途端に疎外感が強くなる。
自分だけが違う場所にいる。高邁な物言いかもしれないけど本当に寂しい。
そうか、私は寂しいんだ。
皆と違う場所にいるから。
そう思う自分はきっと恐ろしく驕り昂っているのだろうな。
「はは……」
自嘲気味に嗤ったけれど心には波一つ立たない。
慣れたのか、鈍麻したのか。
ウィー・ステラ島で起きたテロ事件の時私は現場にいなかった。
サリーは傷つき、ゴードン君は入院するほどのダメージを負った。
先生たちですら大怪我をしている。
そんな中、アイガが大活躍したらしい。
らしい……そう、全部伝聞。
何が『紅蓮の切札』だ。何がガイザード王国始まって以来の天才だ。
私は戦っていない。
何もしていない。
その思いが余計に私を腐らせる。
戦えなかった悔しさが心を蝕む。
「だめだ!」
私は思い切りベッドから立ち上がった。
このまま部屋に籠っていたらどんどん悪い感情に飲まれていく。
私は自らの頬を張り、心を律した。
そのまま着替え学校へと向かう。
心が晴れないなら身体を動かそう。
昔からそうしてきた。
心が塞ぐときは暴れるのが一番だ。
学校について私は体術訓練場を目指す。あそこなら大暴れしても問題ない。それにこの時期は訓練場に人はいないはず。
使用の制限もない。
久々に暴れよう。思う存分。
訓練場を目指して渡り廊下を歩いているとき、アイガを見かけた。
アイガは外をのんびり歩いている。
その手には黒い封筒を持っていた。
声を掛けようか迷っていると、アイガはその封筒をゴミ箱に捨てる。そのまま正門に向かって歩いて行った。
私は逡巡する。好奇心からアイガが捨てた黒い封筒が気になったんだ。
すぐに渡り廊下から出て、その黒い封筒をゴミ箱から拝借する。
本当はいけないことだとわかっているけど気になったんだ。
それには『依頼書』と書かれていた。
内容は『魔蝕草の採取』とあった。
魔蝕草は魔素を大量に浴びて異常繁殖した薬草のことだ。
そうか、これは前にシャロン先生が言っていたアイガに与えられた任務を伝えるものだ。
アイガはこの任務に向かったのか。
恐らくこの程度の依頼、アイガなら一時間くらいでクリアするはずだ。
だとするなら今から一時間半後くらいに街に行けば一緒に遊べるかもしれない。
今、アイガを誘ってもいいかもしれないけど、任務の邪魔になるかもしれないし。
どうせならちょっと驚かせてみたい。
学校に来てよかった。
もう退屈の二文字は消えていた。
私は悪戯っぽく笑って急いで自室に戻る。
部屋に入るなり、箪笥から服を何枚か取り出した。
どれにするか?
アイガはどんな服が好みなんだろう……
私は姿見に服を合わせながらアイガの好みを想像する。
数十分悩んだ末に白いワンピースを選んだ。
アイガはきっとこういう女の子らしいものが好きだと思う。
まぁ、もっと色気を出している服とかがいいのかもしれないけど、そこはちょっと私には合わないし、寧ろそれが好きならちょっとアイガのこと嫌いになるかもしれない。そうなるのはちょっと嫌だし、それに今はまだそんな服を着る季節じゃないし。そういうことを考えるとこの白いワンピースは結構良いと思う……
長々と言い訳が脳内を駆け巡った。
「よし! これで行く!」
私は迷いを振り切るため勢いよく宣言する。
ワンピースだけだと少し寒いのでもう一枚羽織るためにまた服を引っ張り出した。
これまた数十分費やす。
結果、少し色合いの似た白いカーディガンを羽織った。
うん、大丈夫なはずだ。
続いてメイクに取り掛かる。
そんな派手なメイクは似合わないし、やったことがない。
ほんのり。
これが自分の中の正解だ。
サリーに教えてもらったメイクでばっちり武装が完了。
時計を見る。
もう一時間半近く経っていた。
まずい。
あの程度の依頼、アイガならもう終わらせているはずだ。
私は急いで街へと向かった。
息を切らしながら街へ向かう道中、雨粒が鼻に当たる。
同時に微かに雨の匂いが漂った。
空を見上げればいつの間にか灰色の曇天が空を覆っている。薄かった膜はもう分厚い蓋に変化していた。
雨がポツリ、ポツリと降り始める。
リガイアの人々は魔法で雨を防ぐことをあまりしない。魔力の消費が勿体ないからだ。
傘を差すか、濡れるか、そして乾かすか。これらのどれかだ。
通り雨を予期できなかった私は傘を持っていない。
雨で服を濡らすのは嫌だし、乾かすのも面倒だ。
だから私は魔法で防ぐことにした。
自分の頭上に熱の輪を作り、その中を高温の熱波で覆う。
雨はその熱に触れた瞬間蒸発した。
炎と熱の傘を天使の輪のようして私は街を目指す。
レクック・シティについたときに私はあることに気づいた。
アイガを驚かせたい。
その一念でここまで来たけど、空振りになる可能性を全く考慮していなかった。
どうしてそこに思いが至らなかったのか?
途端に不安が心を塗りつぶしていく。
アイガに会えなかったら……
悪い妄想が心を浸潤していく。
それでも私は万に一つの可能性に賭けてワープ・ステーションに赴いた。
無意識で祈るように胸の前で手を重ねて。
雨足はさらに強くなる。まるで私と同じように泣いているみたいだ。
それでも雨の水は私にはかからない。熱の輪が全てを消し去っていくから。
ただ、その残滓が湿度となって私にまとわりつく。その湿度が心を撫でていった。ざらざらとした不快感と共に。
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