第102話 友達

 教室の外は長閑な小春日和。

 一方で、教室の中は牢獄の如き静寂だった。

 

 時計の針が進む音だけが虚しく響く。


 デイジーは説明を終え、教室から出ていった。

 教室の中は先ほどのデイジーの話を受けてさらに静まり返る。

 お通夜の如く。

 

 昼を過ぎているにも関わらず誰も何も食べていない。

 食事どころではないのだろう。

 空腹は忘れ去られ、苦い現実が代わりに腹を満たす。

 それは腹だけでなく精神を蝕んでいた。


 そんな時、ふと教室の扉が開く。

 全員の視線がそちらへ向かった。無論、俺も。


 誰かが「え」と声を漏らす。

 驚きの感情が波紋の如く広がった。

 俺も目を見開く。


 入ってきたのはゴードンだった。

 その表情は葬式のように厳かだ。


 俺は無意識に姿勢を正す。

 重く苦い空気は少しだけ変化した。

 そこに緊張が混ざったのだ。

 誰かが飲み込んだ唾の音が聞こえた。


 ゴードンは教壇に立つと、クラス中を眺める。

 全員がゴードンに注視していた。

 俺も目が離せなかった。


 あの事件以来、ゴードンとは会えていない。

 大きな街の病院で入院している、それしか聞いていなかった。


 ゴードンが洗脳されていたという事実は既に周知済みだ。

 それでもゴードンの今までの振る舞いが帳消しになったわけじゃない。

 貴族特権。そして傍若無人。


 ゴードンによる我儘と暴力に哭いていたクラスメート達。

 彼らまだ容赦を与えていない。

 故にゴードンはまだ赦されていないのだ。


 その一番の被害者と思われるロビン。彼の表情は石化の魔法を掛けられたみたいに固まっていた。

 複雑な、複雑な感情が絡み合って、ロビンの本当の感情がわからなかった。


 他の者の顔を横目で臨む。

 全員、神妙な面持ちをしていた。


 ただ、ロビンよりは感情が読める。

 ある者は哀れみ。ある者は憤り。ある者は……恨み。

 多種多様な感情が絡まってゴードンに向けられていた。


 沈黙が流れる。

 ゴードンは少し息を吸った。


 そして、


「皆……この度は本当に申し訳なかった」


 そう言って勢いよく頭を下げた。

 おかしい言葉だが、綺麗な謝罪だ、と思った。

 

深々と下げられた頭。

 それを見たクラスメートたちの感情が一つになる。

 

 困惑だ。

 貴族の、それも上位の、カルテット・オーダーの、ゴードンが頭を下げる。

 その意味は俺ですら理解できる。

 クラスメートたちはこれをどう解釈していいかわからなかったのだ。

 

 そんな中、俺は立ち上がる。

 今度はクラスメートの全ての視線が俺に集まった。

 俺は気にせず、ゴードンのところまで赴く。


「ゴードン」


 俺の呼びかけにゴードンは頭を上げた。


「アイガ……この度は本当に済まなかった。特に貴公には迷惑を……かけた。なんと申し開きをすればいいか。償えることがあるなら言ってほしい。我にできることなら全力で償おう」


 また、ゴードンが頭を下げる。

 俺は息を軽く吐いた。


「じゃあ償ってもらおうか」

「なんなりと……言ってくれ……」


 ゴードンは顔を上げる。

 彼の顔は今にも泣きだしそうだった。目は真っ赤になり、唇も震えている。


 敗残者、ではない。その顔は怒られる直前の幼子のようだ。

 俺は右手を出す。


 一瞬、ゴードンがビクッと震えた。

 殴られる、そう思ったのだろう。


 だが、俺の手は前の時のような握り拳じゃない。

 無手を表すかのように、開いた掌だ。


「な?」


 ゴードンは意味がわからないのか戸惑っている。


「償い……そんな大雑把なもんはいらねぇよ。俺の世界じゃあ喧嘩したあとはお互いに謝って握手して仲直りってのが鉄板なんだよ」

「俺の世界? いや、今回の件は喧嘩などというレベルでは……」

「喧嘩だよ。どうってことのない、ガキ同士のつまらない喧嘩だ」


 俺は微笑みながらそう言って、右手をゴードンに向かって出す。

 ゴードンは微かに震えながら右手を出してきた。が、まだ握っていない。まだ迷っているのだろう


「ゴードン、俺も悪かった。すまん」

「何を言う。貴公が謝ることなど……」

「言ったろ? お互いに謝るって」


 俺は笑顔でまた右手を出す。


 ゴードンは震えていた。

 涙も流していた。


 男の涙。それも他の人間がいる前で。その意味はとてつもなく深い。


「よいのか?」

「あぁ」


 ゴードンは俺の右手を両手で握った。

 痛いくらいに強く、強く握られたその手はどこまでも暖かい。


 痛いとは思わない。

 寧ろ、心地いい。


「痛み入る……本当にすまなかった」

「いいんだよ。俺らもう……友達だろ?」


 俺の言葉にゴードンは涙をまた流す。


 友達。

 意図も容易く己の口から出た言葉。

 自分でも驚く。


 友達などという言葉が自然と出た自分に。

 そして友達という言葉の意味に。


「ありがとう」


 ゴードンの謝意を聞いて、やっと心につっかえていたシコリが消えた。そんな気がする。


 ふと、教室の外の廊下にデイジーがいることに気づいた。

 デイジーはクラスに背を向けている。

 しかし、その肩は震えていた。

 

 俺は察し、視線を戻す。


 クレアに会えるだけで満足だと思っていた。


 だが、俺はどこで求めていたのだろうな。

 友達を。


 あっちの世界では手に入れられなかったものだから。


 歪な出会いだった。まともじゃない。一つも。

 戦い、傷つき、やっと辿り着いた。


 友達。

 その二文字の存在が途轍もなく尊い。


 そうか、これが友達なのか。

 あぁ、やっと俺の学校生活が本当に始まったのかもしれないな。


 ここはもう牢獄じゃない。

 

 俺の心の中で外の景色と同じように暖かい風が吹いた。

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