第101話 決着の後

 あの激闘から……待ち望んだ……決着から、一週間が経った。


 俺は今、教室にいる。

 日常だ。


 しかし、『いつも』とは違う。

 教室の中は鉛を溶かして空気中に撒いたかのようにドロリと重い。そんな中、俺は窓の外を眺めていた。


 時刻は正午。

 外の景色は教室と違って青空が広がり、暖かい風が木々の葉を揺らしている。正しく、春、そんな景色だった。


 俺はその風景を見ながらあの日のことを思い出す。


 俺達が闘い終えたあの日。


 闘いが集結して数分後、シャロン自ら修練場に降り立った。

 その姿は往年の戦士だったときの貌をしていた。

 そしてモーガンを連れてどこかへと消える。ほんの数秒の出来事だった。

 労いの言葉はあったかもしれない。が、覚えてはいない。偽りに塗れた言葉を記憶しておくほど俺の脳に空きなどない。


 宵闇の中、俺とクレア、サリーはそのまま解散した。

 クレアは晴れ晴れとした顔で、サリーはどこか曇った顔で、帰路に就く。

 サリーの表情の意味はなんとなくわかる。

 

 だが、その真意は問えなかった。問うことが怖かった。

 俺はクレアが笑顔ならそれでいいと思った。今もそう思っている。が、やはり心にささくれを剥いたときのような痛みがあった。


 ただクレアが笑顔でいてくれた。

 それだけが俺を満たしてくれた。


 その翌日。

 俺はシャロンに呼び出される。

 そこでもう一つの決着を聞いた。ダンのことも含めて。


 俺は会ったことがないがパーシヴァルという教員がダン・オブライエンを捕らえたという。そして、そのダン・オブライエンが偽物だったという話。

 俄かには信じられない。


 ところが、それは真実だ。

 その後の取り調べでは偽物のダンは完全に黙秘に徹しているらしく、また脳にかかったプロテクト魔法のせいで記憶を読み取る魔法も使えないらしい。

 プロテクトを無理に剥がせば即座に脳が破壊されるとのこと。それはつまり、情報を引き出せないということだ。

 それは同様にモーガンに施されており、モーガンも完全に黙秘を貫いているという。


 事態は俺が思う以上に複雑だった。

 よもや、ダン・オブライエンも敵の人間だったとは。


 ただ、意外と俺は驚いていない。

 モーガンが敵の間者だと確信したとき、何となくダンも怪しいと踏んでいてからだ。

 証拠はない。確証というほどのものもない。


 ただ、あの目だ。

 ダンの目に宿った光が濁っていた。モーガンと同じ濁り方をしていた。その濁りが一瞬だけ見えた。

 あの濁った目がどこか怪しかった。それだけだ。


 今となっては結果論かもしれない。

 偶然そう思っただけかもしれない。


 だが、納得はできた。


 シャロンからは何かわかればその都度報告すると言われたが、信用できないだろう。

 あの女は笑顔で容易く嘘を吐く。


 以上の報告を受け、俺は学長室を後にした。

 他にも問題は残っていたが、俺はそれら全てを棚上げにした。現実逃避なのはわかっている。


 ただただ疲れていた。それに尽きる。


 全てが大人の謀略の中で決着した。

 それでも俺とクレアは自ら決着を付けられた分マシだったのかもしれない。


 そして、学校のほうは流石に一週間ほど休みとなった。

 そのため今日が久しぶりの登校だ。

 授業内容は大幅に変更され、学校に来てはいるが授業は開始されていない。


 時間だけがゆっくりと、残酷に、進んでいる。

 

 そんな中、クラスメートたちの顔色が冴えない。無理もないだろう。

 ディアレス学園、未曽有の危機。その渦中にいながら彼らは何も知らない。

 知らないからこそ不安だけが募る。

 多大なストレスが彼らの幼い精神を蝕んでいた。

 俺はそんな彼らの表情を見る。どこか他人事のように。


 始業のチャイム。それと同時にデイジーが入ってきた。

 その顔はやはり暗い。

 彼女は、その表情のまま事の経緯を説明した。


 流石は魔法の学校か、一切余計なことは言わず、簡潔に、淡々と事実だけを述べたのだ。

 モーガン・シャムロック、ダン・オブライエンの二名が嘗てこの国を震撼させたテロリスト集団、まほろばの一員だったこと。ゴードン・オークショットが洗脳されていたこと。モーガンは俺とクレア、サリーによって、ダンはパーシヴァル教諭によって捕縛されたこと。


 最後にはこれからの展望が語られた。

 無論、生徒達には動揺が広がる。

 それもそうだ。

 まだ戦いを知らない学徒にこの事実は重すぎる。

 泣きそうな者。吐きそうな者。皆一様に青褪めていた。

 空気が凍っていく。


 やっと教えられた事実の重さ。それは子供が背負うには重すぎたのだ。


 そんなクラスメートにデイジーは静かに、優しく話し始めた。


「君たちが混乱するのも無理はない。私といえど今回の事態は初めてのケースだ。しかし、君たちは将来、魔術師或いは魔導士として活躍するためにこの学園に来た者たちである。いずれ仲間が裏切る、仲間が死ぬ、そうした場面に立ち会うことになるだろう。それが早いか遅いか、それだけだ。私も多くの仲間を失っているし、信じた者に裏切られるといったことも少なからずあった」


 デイジーの言葉に皆が息を飲む。


 一瞬、デイジーの瞳に涙が浮いた。


「その度に私は乗り越えてきた。ある時は一人で、ある時は仲間と共に、そしてある時は……いや、これはいいか。ともかく、乗り越えねばならんのだ。君たちなら乗り越えられるはずだ。このディアレス学園に選ばれた君たちなら」


 デイジーは涙を拭う。


「今回の件は私にも……責任がある」


 その言葉でやっと俺は気付いた。

 そうか、彼女が今背負っているのは責任感だ。


 己の受け持つ教室でテロリストが二人もいた事実。

 それがデイジーの心を嬲った。そして壊した。


 嬲れたのは矜持と自信。

 壊れたのは心と魂。

 それらが形となって彼女の目から溢れたのだろう。


 今、俺の中にあるデイジーの印象は初めて会った時と全く違う。

 どこか儚い。

 まるで死にそうな、今から殉教しそうな聖女に見えた。


 それはシャロンとは真逆の姿だった。


「私は君たちを信じている。必ず乗り越えられる。そう信じている。しかし、この乗り越えることが困難だと思うのなら正直に話してほしい。私がダメなら信頼に足る教員に。勿論看護教諭の先生でも構わない。いや、それが一番なのかもしれないな。我々は全力で君たちをサポートする。それは約束しよう。だからこそ……必ず……乗り越えてほしい」


 力強い。

 そう感じた。

 同時に、そのサポートはデイジーにも必要なのではないか。そう思ってしまった。


 俺は周囲を見る。

 まだ、何人かの顔は青褪めていた。

 ロビンも青褪めている。


 当然だ。それが当然の反応だろう。

 俺が異質なのだ。そして異常なのだ。

 理解している。


 今回の事件が起きてなお、全てが日常の範疇だと思っているのだから。

 勿論、今回の件が日常なわけがない。


 しかし、もう俺の頭と心は既に整理をつけていた。

 冷静に。冷淡に。

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