第96話 もう一つの決着 その二
「ちぃ、簡単に喰われてくれませんか、パーシヴァル先生……」
そこにいたのはひ弱な学生はではない。
その眼にはどす黒い、淀んだ光が宿っていた。
「正体を現したな! ダン・オブライエン!」
パーシヴァルが叫ぶ。
ダン・オブライエンは掛けていた眼鏡を捨て、邪悪な光の宿る眼で睥睨した。
パーシヴァルの筋肉が蠢動する。
彼は走った。
一瞬で距離は無くなる。
「しゃ!」
強烈な前蹴りだ。
パーシヴァルが履いていたのは草履である。
そこにある研ぎ澄まされた鑿のような足の指が鋭く、ダンの腹を狙った。
ダンは臆せずニヤリと嗤う。
ドン!
と、けたたましい音が響いた。
廊下の突き当りの壁が爆心地のように凹んでいる。
パーシヴァルの蹴りによって破壊されたのだ。
ダンは華麗にその前蹴りを右に避けていた。
さらに右手をパーシヴァルに向けている。
その掌中には魔法陣が刻まれていた。それが淡く光った。
「喰らえ。捕食魔法『ダブル・ダウン』!」
再び咢が現れる。
先ほどより小ぶりだ。それでも大型肉食動物くらいはある。
鋭い牙がパーシヴァルに迫った。
「
パーシヴァルは隻眼に殺意を込め吠える。
風の魔法が発動し、彼の身体を駆け巡った。その風によって体勢が戻る。
「
再び吠える。
次の瞬間、彼の両手には炎が灯っていた。
同時に筋肉が超新星する惑星の如く震動している。
「舐めるな!」
両手を重ねた拳を振り下ろし上の咢を叩き壊した。
その勢いのまま下の咢も破壊する。
地面に拳が振り下ろされた時、そこにクレーターができた。
遅れて、ズシンと轟音が響き渡る。
パーシヴァルは相撲の立ち合いのような構えになった。
その低い姿勢で彼の目はダンを捉える。
「な!?」
ダンの額に冷や汗が滲んだ。
よもや自分の魔法がこのような形で破壊されるとは思ってもみなかったからだ。
パーシヴァルは一気に駆ける。
クラウチングスタートのように、それこそ相撲のように、低い突進だ。
右手は今も轟々と猛火が唸っていた。
「『
強烈な張り手だった。但し、燃える炎魔法がブレンドされている。
ダンは焦燥の中、左手に魔力を込める。
その左手の掌に魔法陣が光った。
瞬間、ダンとパーシヴァルの前に大量の瓦礫が出現する。
パーシヴァルは気にせず、そのまま右手を伸ばした。
右手が瓦礫にぶつかる。
その刹那、凄まじい爆発が起きた。
黒い廊下が吹き飛ぶほどだ。
そして広い部屋に出た。
黒い廊下と同じ黒い木でできた部屋だった。
広さは二十畳ほどか。
天井は五メートルくらいとかなり高い。
窓はない。そして入り口もない。
どうやってこの部屋に入るのか、それはわからなかった。今、爆発によってこの部屋に入れただけで、本来の入り方とは違うはずだ。
パーシヴァルは煙の中、そんなことを気にせず、悠然と部屋に踏み入る。
爆心地にいたが彼は全くの無傷だった。
周囲を睨む。
部屋の四隅、天井近くに燭台がある。
その燭台にある蝋燭の灯が部屋を辛うじて部屋を暗闇ではなくしていた。その程度の光だ。
パーシヴァルは右手で炎を作り、それを周囲に撒く。
部屋が一気に明るくなった。
炎は部屋を焼かず、光の代わりとなってフワフワと浮いている。
部屋の奥の壁に凭れるダンが、その光に照らされて浮かび上がった。
その表情には先ほどまでの余裕はない。
着ていた服はボロボロだ。ところどころ火傷の痕もある。血も流していた。
「流石に元
慇懃無礼だった。
ダンは明確に己の窮地であっても自身の態度を改める気はないようだ。
その態度にパーシヴァルはさらに殺意を加速させる。
「貴様がまほろばのメンバーなのはわかっている。よもや、貴様のようなガキがまほろばのメンバーとはな。崇高なオブライエン家の嫡子ともあろう者が……恥を知れ!」
怒りながらパーシヴァルの脳裏に今朝、シャロン学長とのやり取りが蘇った。
突然、学長室に呼び出されたところから始まる。
最初、この話を聞いた時自分の耳を疑った。
一年三組普通科のモーガン・シャムロックが減退魔法によってゴードン・オークショットを洗脳している。また、その背後にあの最悪のテロリスト集団まほろばの存在がある。剰え、そのまほろばの一人と思われるのが同じ普通科の生徒で常にモーガン、ゴードンと行動を共にしていたダン・オブライエンだ、というのだ。
証拠はある。
そうシャロン学長に言われたが、パーシヴァルは戸惑うしかなかった。
まほろば殲滅の戦い、カーリーガンの戦いには若き日のパーシヴァルも参加していた。
そこで多くの戦禍があった。
友も死んだ。師も死んだ。憧れていた人も死んだ。
全員、死んだ。
自分も死ぬと思っていた。
そんな戦いだった。
奇跡的に自分は助かった。
一兵卒だったが、運が良かった。
そう、思っていた。
その元凶。
まほろば。
まだ生きていたのか。
怒りに震えた。
だが、それ以上に。
学長室にはもう一人いた。
普通科の担任、デイジー・エヴァンスだ。
彼女は泣いていた。
虚ろな目をして、泣いていた。
普段、そんな姿など見たことがない。
いつも、気高く気丈に振舞い、生徒達を導く教師の鑑のような人だった。
そして、自分にとってとても大切な人だ。
その人が泣いていた。
自分がいるにも関わらず。
子供のように、淑女のように、泣いていた。
それが許せなかった。
シャロン学長から密命を受けた。
ダン・オブライエンを捕らえよ、と。
パーシヴァルは即座に返事した。
そして今、ここに追い込んだ。
パーシヴァルの脳裏にいるデイジーはまだ泣いている。
それが彼の怒りの根源だ。
「くっくっくっく……」
ダンが不敵に笑う。
「気でも触れたか?」
冷静に答えたが怒りはさらに、さらに加速していた。
パーシヴァルは構える。またボクシングスタイルだ。
自分の技の手応えが無かったことは既に理解していた。
これがダメなら次を出せばいい。それだけだ。
そう彼は考えていた。
「ダン・オブライエン? 今もそう思っているならやはり、お前らは大したことないな」
「何?」
パーシヴァルに悪寒が奔った。
先ほどの雷鳴とは違う。
それは蟲のようにパーシヴァルの背を這った。
「俺はダン・オブライエンじゃない」
ダンはそう言いながら自分の顔に右手を置く。
そして剥がした。
本当に剥がしたのだ。
ベリベリと音を立てて、赤い血を撒きながら、顔の皮膚を剥がした。
「な!?」
然しものパーシヴァルですら驚くしかなかった。
あまりにも非現実的な映像だ。自ら己の顔の皮を剥ぐなど。狂気の沙汰である。
顔を剥いだダンはニッコリと嗤っていた。
彼は顔に残った血と肉を左手で拭う。
まだ赤く汚れていたがそこには違う素顔があった。決して肉が剥き出しの素顔ではなかった。
今まで見ていた貌と全く違う貌。
頬はコケている。
しかし、目は蛇のように丸い。
薄い唇から長い舌が零れていた。
「貴様……一体……」
「あの人の言う通りだ。こいつらは魔法に頼りすぎていて、技術の部分を疎かにしているって……な!」
ダン……だった者は右手と左手の皮膚も顔と同じように剥いだ。出てきた腕もまた貧弱だ。
それなのにどこか狂っていた。
ツギハギだ。
その腕は幼子の作った服のようにツギハギだらけだった。
皮膚の色もところどころ違うし、痛々しい縫い目の痕がある。
そして、その腕に沢山の魔法陣が刻まれていた。
ダンだった者はその腕を後ろの壁に叩きつける。
右腕と左腕の一部の魔法陣が炯々と輝いた。
既にパーシヴァルは走っている。
敵が何者であろうと関係ない。眼前の敵がダン・オブライエンでなくても構わない。
やることは一つ。
捕らえる。
それだけだ。
答えは常に……
シンプル・イズ・ベスト。
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