第97話 もう一つの決着 その三
学長室にてシャロンは豪奢な机に腰かけていた。机だけではない。その部屋にあるもの全てが高価なものだ。椅子も、書架も、掛けられている絵画すらも。
シャロンはその机の上に両肘を置き、両方の拳を額に着けていた。その姿は祈るシスターのようにも見える。
彼女の眼前にはスーツを着た黒い肌の大男がいた。
スーツを着ていてもわかる筋骨隆々の巨躯。
スキンヘッドでサングラスをしており、表情は読めないが厳つい印象を与える。
姫を守る騎士のように直立不動、美しいと思わせる姿勢だった。
「どうやらパーシヴァルが交戦を開始したようですね」
スキンヘッドの男は顔を微かに下方に向ける。
彼の言葉にシャロンは少しだけ息を吐いた。
「えぇそのようですね。場所は……やはり
「はい」
シャロンは祈る姿をやめ、椅子に大きく凭れ掛かった。その顔はいつものような傲慢さはない。
「黒罰回廊……は、嫌いなんですよ。そこで彼が戦っているというのは……心にくるものがありますね」
シャロンの言葉にスキンヘッドの男はサングラスの位置を右手で直した。
「心中、お察しします。黒罰回廊は元々ディアレス学園の前身、ディアレス軍事学校時代に造られた懲罰用の施設ですからね。学長が忌み嫌うのも無理からぬことではありません。あの長い陰鬱な廊下で精神的なダメージを与え、出入り口の無い部屋に生徒を閉じ込めることでさらに精神を侵す。まさに魔の回廊。ディアレス学園と名前を変えると同時に破棄された忌むべき遺産ですしね」
スキンヘッドの男は饒舌だ。
しかし言葉に抑揚はない。感情が読み取れなかった。
「えぇ、現在は物置にすら使っていない場所です。私ですら学長になった折に一度訪れた程度ですから」
シャロンは天井を見上げる。その表情は物悲しい。
そしてどこか嘘くさい。
「あそこは嫌いなのですよ。至る場所に染み込んでいるので」
スキンヘッドの男は微動だにしない。が、表情は少し変化していた。読み取れた感情は『戸惑い』。
「なにが染み込んでいるのですか?」
「怨嗟ですよ」
冷たく言われたその一言にスキンヘッドの男に汗が滲む。今度は傍から見ても感情が分かる。それは『怯え』だった。
シャロンは窓の外を眺める。空は紫色の黄昏時。
沈みゆく夕日と天頂近くまで昇った月のコントラスト。幻想的な景色だ。
それは同時に逢魔が時の禍々しい雰囲気も醸し出している。まるでこの学園に蔓延る謀略が具現化したかのような、そんな色をしていた。
「使われていない。だからこそ、何かある。そう思わせるには十分でしたね」
「はい、わざと情報を流し、ダンをあそこに追い込めました。尤も彼が黒罰回廊に現れなかったのならプランBに以降するつもりでしたが。あとはパーシヴァルが手筈通りに彼奴を捕えてくれればよいのですけども」
「彼なら大丈夫でしょう」
シャロンは椅子に座り直す。
机に置かれた紅茶はもうとっくに冷めていた。
だが、気にせずシャロンはその紅茶を飲む。
「増援は必要ありませんか? なんなら私も出陣しますが」
「構いませんよ。パーシヴァルは基本的に一人で闘うことを好みますからね。ここは彼に任せましょう」
「……わかりました」
スキンヘッドの男は何かを言いたそうにしたが、その言葉を呑み込んだ。
シャロンはまた紅茶を飲む。その姿はどこか儚い。
「私はパーシヴァルを信頼しています」
「はい、承知しています」
少し間が開いた。
空気が震える。
それはまるで舞台の幕が開く寸前のような静寂だった。
「彼は……私が……唯一愛した人が……最後に教えた子ですからね」
シャロンの瞳は少し憂いを帯びていた。
スキンヘッドの男はまたサングラスを直す。
窓の外は紫から黒へと変わっていった。
夕日が名残惜しそうに沈む。
月が我が物顔で輝く。
夜の帳が完全に降りた瞬間だった。
パーシヴァルの突撃。
その拳は固く握りしめられていた。
しかし、それより早く、ダンだった者の魔法陣が輝く。
瞬間、壁にその魔法陣が移る。そして、そこから黒ずくめのナニカが二つ現れた。
「助けてよ! 二人とも!」
狂気に満ちた目で、狂喜に嗤った口で、高らかに叫ぶ。
二体は人型。全身に黒いローブを身に纏い、姿は窺えない。
だが、尋常ならざる気配を放っていた。それは殺気とも怒気とも違う異質な気配だった。
「五月蠅いわね。助けてあげるからその鬱陶しい口を閉じなさい」
そう言って、現れた黒ずくめの一体が何かを呟いた。
すると、そのローブの隙間から蒼い炎の塊が飛び出す。
「疾!」
パーシヴァルは足に力を込め、右に跳ぶ。風の魔法が作用してか、通常の人間の動きよりも早く遠くへ跳んだ。
蒼い炎は床に突き刺さる。そこはパーシヴァルがいた場所だ。そこがドロドロと溶けていった。
パーシヴァルはその光景を一瞥すると即座に増えた二体の黒ずくめを望む。
黒ずくめの二体もパーシヴァルを見ていた。
お互いの視線が空中で火花を散らす。
「センビー、こいつはどういうことだ? 予定と全然違うじゃないか」
黒ずくめの一人がダンだった者、センビーに問う。その声質から男だとわかった。
「仕方ないだろ。相手はあのパーシヴァル先生だぜ? 生きているだけ褒めてほしいものだよ」
センビーは軽口を叩く。が、その視線はパーシヴァルを捉えたままだ。
もう一人の黒ずくめは何も答えない。
「ほう……パーシヴァル……ね……まぁ、いい。とりあえず、さっさと済ませるか!」
今まで喋っていた黒ずくめの一体が着ていた服を脱ぎ捨てた。
黒い革ジャンを着ている。全身が黒と銀の装飾が施されていた。皮手袋にブーツ。
肌が見える部分は一つも無かった。
マスクをしている。故に顔はわからない。
不気味なマスクだった。
白一色。
視界、呼吸のための穴がない。
無駄な装飾も意匠もない。
しかし尋常ではない怖気を放っていた。
辛うじて髪型がわかるだけ。
白い髪を後ろで無造作に束ねていた。
「はぁ、ほんとうめんどくさい」
そう言って、もう一人もローブを脱いだ。
白い服を着ていた。長袖の服だ。
そして手袋をしていた。こちらも白い。
下はフレアスカートで少しはためいている。
だが、長いスカートのせいで足は見えない。
先程同様素肌がわかる部分がなかったし、同じように白い仮面をしている。
その仮面の向こうで黒髪のツインテールが揺れていた。
対称的な二体だった。
「行くわよ」
白い服は声色から女性だとわかった。
白い服の女性は両手をパーシヴァルに向ける。
一方で黒い服の男は背後からラッパのようなものを取り出した。
見た目は正しくラッパだ。
しかし持ち手の部分は銃のようになっている。トリガーもあった。
上部のパルプには真っ黒な試験管のようなものが付いている。その試験管の中には液体で満たされていた。
パーシヴァルは即座に二人の動きを注視する。
契約ではない。ならば、まだ対処は可能だ。
即座にそこまで考えた。
「いくぜぇえええ!」
黒い服の男が勢いよくラッパを吹く。
同時にパーシヴァルは己の前面に氷の壁を張った。
分厚い、分厚い、氷の壁がそそり立つ。あまりの分厚さにお互いの姿が歪んでいた。
けたたましい轟音が響く。
部屋全体が震えるほどの音だ。
氷の壁は……
その音によって罅が走る。
そして、数瞬の後虚しくも音を立てて瓦解していった。
センビーはニヤリと嗤う。己の勝ちを確信したかのような笑い方だった。
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