第94話 決着 その十一

 俺の目はずっと釘付けだった。


 いや、最初からそこしか見ていなかった。


 今、クレアは……上半身……裸だった。

 着ていた制服は破片となって地に落ちている。

 あの翼を召喚したことで服が弾け飛んだのか。ということは、あの翼は直接クレアが現出しているということなのか。


 そんな思考がどんどん端に追いやられていく。

 もう脳は翼の解釈に栄養を割いてはいない。


 俺の目は、脳は、意識は、クレアの剥き出しの胸に囚われていた。


 裸となって見える深雪のような白い肌。

 腰は括れ、艶やかな曲線を描く。

 その上にある双丘。丘というには少し無理があるが……それでもなお女性特有の微かな膨らみ……膨らみ……膨らみ?

 そ……その……頂にある薄桃……


「見すぎ! アイガのエッチ!」


 突如、脳天に激痛が走る。


「ごめん!」


 条件反射の如く、謝罪を述べながら地べたに臥した。


 空中には炎の拳が浮いている。

 熱さはなかった。

 炎の拳骨を落とされたのか。


 咎の痛みが脳天に響く。

 同時に反省が広がった。


 その上で改めてクレアを見る。

 銃の翼が器用に折りたたまれクレアの前面をガードしていた。


「もう……完全開放すると、服が無くなるから嫌なのよ」


 そう言いながら顔を赤らめるクレアは本当に可愛かった。

 そして脳裏に刻まれた映像がそれに重なる。


「アイガ……」


 俺の邪な思想がばれたのか、クレアの鋭い眼が射貫く。


「いや……その……助けてくれてありがとう」

「うん……こっちもごめん。でもアイガが無事でよかった」


 クレアの艶めかしい視線が合う。

 神々しいその姿に俺は見惚れることしかできなかった。


 そんな時。


「久方ぶりに顕現できたわ」


 不意に声が響く。

 俺は目を見開く。


 本日、何度目の驚嘆だろうか。

 クレアの背後の空中にそれはいた。


 体躯は二メートル弱か。戦国武将の甲冑のようなものを纏ったナニカがいた。

 人型だ。


 だが、人ではない。

 見える手足は猛禽類のそれ。背中には炎のような真紅色の翼がはためき、顔は朱色と赤茶色の鷹そのものだった。


 幻獣。

 そう、契約を発動した以上、術者の近辺に幻獣が現れるのは当然。

 デイジーの時のグリフォン然り。

 師匠や、他の人の幻獣を俺は見ている。


 ただ、そのどれとも違う。

 体躯としては小さい部類だろう。

 しかし、その中に広大な密度を感じた。

 否、それ以上に驚くことがある。

 今、喋ったのはこの幻獣だ。


 あり得ない!

 幻獣が喋るだと!?


 そんな幻獣見たことがない。

 意思疎通は可能だ。


 魔力を介して、だが。


 ところが、今、この幻獣は口を動かし、声を発して、喋った。

 あり得ない。あり得ない。あり得ない。


「かっかっかっか。驚いているな、小僧。我が発する言葉、そんなに珍しいか?」


 そいつは悠然と優雅に空中から降りてきた。

 腕を組み、憮然と立つその姿、まさに威風堂々。


「あ、アイガ、こっちは私の契約している幻獣、迦楼羅天。なんか他の幻獣と違って普通に会話できるんだよね。その辺はよくわからないけど」

「クレアよ、我を他の幻獣と一緒にするな。我は誉れ高き天の一体、迦楼羅ぞ。人間の言語の解読及び模倣如き造作もないわ」


 迦楼羅天は高慢な態度でそう発した。


 だが嫌味はない。

 あまりにも似合うのだ。その高慢な態度すら当たり前と感じるほど。これが格の違いなのだろうか。


 高笑いと共に迦楼羅天は周囲を見渡す。


「久しぶりの世界。やはりこちらの世界の空気は旨いな。もっと我を使え、クレアよ。あんな片手に収まる銃程度では我は満足できんぞ」

「わかってるけど、全力で使うとこうなるのよ。それをどうにかしてよ」


 クレアは翼の一部の銃を器用に動かし、自分を指す。

 きっと、裸になるということを伝えているのだろう。


「減るものじゃないし、よかろうが。たかだか胸が露呈するくらい」

「バカ! そういう問題じゃないの!」


 クレアの怒声に迦楼羅天はやれやれと頭を振った。意外にも俗っぽいのかもしれない。


「まぁいい。では我は再び戻る。次はもっと暴れさせてくれ」


 迦楼羅天はそう言い残して炎となった。

 轟々と燃え、やがて、燃え尽きる。


 そして消えた。


「アイガ、ちょっと目を瞑ってて」

「え?」

「目を! 瞑って!」


 クレアにきつく注意され俺は慌てて目を閉じる。

 数秒して、


「もういいよ」


 と、クレアの許しがでた。


 目を開けると、荘厳な黒い翼は消え、クレアは再生させたであろう服を着ていた。

 一瞬、脳裏に先ほどのクレアの身体が重なる。が、俺はそれをすぐに消した。


「はぁ」


 クレアの溜息が聞こえる。

 その溜息の意味は俺にはわからない。


 しかし、今までのようなシコリはないように感じた。

 俺はクレアに近づき、改めて右手を拳にして突き出す。


「なにはともあれ」


 クレアも左手で拳を作った。


「そうだね、これで兎にも角にも」


 二人の拳が空中でコツンとぶつかった。


「終わりだ」

「終わりだね」


 クレアの笑顔が光る。

 まだ曇りはある。

 それでも偽りは消えていた。


 やっと、やっとクレアの笑顔が見られた。

 そんな気がした。


 そう思うと俺も自然と笑えていた。


 長い、長い、戦いだった。

 積もる話はある。

 反省点もある。


 だが、今だけはこの決着の余韻に浸りたい。余計なものは全て後に回そう。


 今、この瞬間、この時だけは俺は、俺達は、笑顔でいたいんだ。


 俺達の、決着の時だった。

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