第85話 決着 その二


「それって特定の条件を満たさないと発動しない魔法ということですか? 条件付き発動型は主に狩猟の罠の魔法などに使われていますが……」


 サリーが困惑した表情で俺に問う。


「それだよ、サリー。そして、こいつの減退魔法はその『条件付き発動型』なんだ」


 俺は荒ぶる心を落ち着けながら、冷静にその問いに答えた。


「敵が減退魔法の使い手なのは知っていましたが、条件付きとは……しかし何故条件付きの魔法などを使ったのですか? それに発動の条件とは? アイガさんの態度から察するにそれらも全て知っておられるようですけど……」


 サリーの疑問はこの世界の人間なら当然だろう。そしてサリーのいう通り俺は全てを知っている。

 これはシャロンから聞いたことだが、条件付き魔法は実戦はおろか、日常生活でも使用することはない魔法だそうだ。


 それこそ狩りなどというある意味で遊びの場でしか使用されないものらしい。本当の狩りなら条件付き魔法を使うことは少ないとのこと。


 条件付き発動型とはその名の通り、特定の条件を満たすことで初めて発動する魔法だ。そのため即効性がない。

 狩猟中に『獣が踏む』ことで魔法が発動するなどそれこそ罠のような使い方くらしか見出せていないもの。


 そんな魔法だが、今回の条件は……


「相手の身体に触れること。それが条件だ」


 俺はとりあえずサリーの二つの質問のうち、後者のほうから答えた。

 前者のほうはあとで答えるつもりだ。

 そして今答えた俺の言葉に確証はない。シャロン曰く魔法の残滓からは条件まではわからないとのことだった。


 ただ仮面の者は少し震えていた。

 俺は確信する。自分の考えが正しかったことに。


 その時クレアが不意に俺を見た。


「ずっと気になっていたんだけど……私一体いつこの人に触られたの? 昨日シャロン先生にそう言われたけど、いくら考えてもこの人に触られたことなんてなかったと思うけど……」


 クレアの問いも尤もだ。

 クレアもまた全てを知っているわけじゃない。


 俺ですら全てを知ったのは今日だ。

 今日の午前中、とある場所に行き、そこでやっと全てを理解したのだ。


「いや、触れられていない」


 俺は知り得た情報を小出しに出す。クレアの気持ちを察しながら。


「え? じゃあなんで私に減退魔法が……あ!」


 そこでクレアは気づいたようだ。


「あぁ、あの髪飾りが『相手に触れる』という条件の代わりを果たしていたんだ。あの仕込まれた魔法陣によって」


 その言葉にサリーもハッとする。


「条件を満たし、尚且つ遠隔操作の要となったのが髪飾りに施した魔法陣。これはシャロンに聞いたが、魔法陣を媒介にすればこいつの条件である『相手に触れる』が満たされるらしい。ただ、遠隔になる分、どれほどの効果範囲があるのか、どれほど強い効果を齎すのかは術者にはコントロールできないかもしれない、とシャロンは言っていた」


 そう、遠隔であるが故にこのやり方だと精緻な魔法の操作が行えないのだ。だからあのアルノーの森で俺やクレアが強烈な倦怠感を感じていた。効果が強すぎた所為で。


「ん? じゃあアルノーの森で減退魔法が発動したのは偶然? 私があの髪飾りを付けなかったら減退魔法は発動しなかったってこと?」

「そういうことになるな」


 不運。

 そう不運ではあった。


 俺達にとっては減退魔法が発動したのも、強すぎたのも不運だ。

 仮面の者にとってはそれによって俺達がこいつの正体に気付いたことが不運だ。

 どちらも不運。


 だが、この不運はある程度予定されたものだった。それが腹立たしい。


「でも、どこで髪飾りに魔法陣なんか仕込んだんですか? そんなタイミングありましたか?」


 サリーがまた疑問を呈した。

 それに対する答えも勿論ある。


「魔法陣を髪飾りに仕込むことは難しいが……仕込んだ髪飾りとクレアの髪飾りを交換することは簡単だったはずだ」

「え?」


 クレアも驚く。

 この辺りのことをシャロンは何も言っていない。

 あくまで俺の推察。しかし、確証に近い確信があった。


「あの髪飾りは一点ものじゃない。量産品だ。同じものを買って魔法陣を仕込んでクレアの髪飾りと交換したんだろう」

「でも、どこで?」


 クレアとサリーの顔に暗い滓が浮かんだ。


「おそらく入学式。髪飾りは何回か外さなかったか?」

「それは……多分二、三回外しているかも」


 髪型を整えるためなのか、女性が髪をといたその一瞬の隙を狙う執拗さ。

 陰湿、陰険。


 その極みではないだろうか。

 反吐が出る。


「そのときだろうな」


 俺はその一言をやっとの思いで絞り出した。

 クレアは虫を見るような視線で仮面の者を瞠目する。


 仮面の者が項垂れた。もう虚勢もない。

 まさに敗残者の姿だった。


 俺の講釈よりもクレアの視線のほうがこいつにはダメージが大きかったようだ。


「ちょっと待ってください。そんな前から魔法陣を仕込んだ髪飾りを用意していたんですか?」


 サリーの顔に募る不安の色はどんどん濃くなっている。

 こいつに対する怒りよりも気持ち悪さが勝っているのだろう。


「そう、こいつはそんなずっと前から準備していたんだよ。入学前のクレアとサリーが買い物をしているところをつけて、二人で買ったものと同じものを買って、そこに下劣な罠を仕掛けて、意気揚々とクレアの髪飾りを盗んで、己の欲望に塗れたものと交換したのさ。最低最悪のストーカー。下劣、外道、糞以下だよ、こいつは」


 後半の言葉は無意識に強くなる。怒りと憎しみが混じって殺意が漏れる。

 サリーもクレアも同様の感情なのか、鋭い視線を向けていた。


 仮面の者は震えながら下を向く。それは悔恨からではないだろう。俺如きに貶された怒りとクレアに嫌悪された現実に震えているだけだ。


「でも……魔法陣を仕込んだことはわかりましたが、それにしても回りくどくないですか? それに……なぜクレア様にそんな魔法を仕掛けたんですか?」

「恐らくだが……時間をかけてゆっくりクレアを……」


 俺は一瞬逡巡する。

 もう覚悟を決めたはずなのに。


 それでも俺は迷いを断ち切り、腹に力を入れ、決定的な言葉を口にした。


「洗脳……するためだったんだろうな」

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