第81話 ロビンの憂いー後編
やがて授業は何事もなく終わり、昼休みになった。
いつもなら楽しい昼食の時間なのに。まだ重苦しい空気が支配していた。
ゆっくりと腰を上げて教室から出て行く面々。
なんだかまるで刑務所のようだな。そんな感想が脳裏に湧き上がる。
「はぁ」
重い空気に当てられたのか、無意識に溜息を吐いた。思いのほか声が大きく出てしまう。それが少し恥ずかしくて、逃げるように立ち上がる。
アイガ君も誘おうと思って彼の方を見ると、アイガ君は鋭い視線で窓の外を眺めていた。
燻る炎がその身体から漏れているような、どこか危険を孕んだアイガ君の姿がいつもの姿とは違いすぎて、僕は言葉を呑み込んでしまう。
なんだか今のアイガ君に声を掛けるのが怖かった。余計な一言でアイガ君が爆発してしまう、そんな気がしていた。
仕方なく僕は一人で食堂へ向かうため教室の扉を開ける。
「わ!」
「え!」
そこには紅蓮の切札こと、クレア・ヒナタさんがいた。
突然の登場に驚き、脳がフリーズする。
彼女は有名人だ。
圧倒的な才能。
そんな言葉すら霞むほどの才覚の持ち主でもう契約も済ませている。
ディアレス学園でも選ばれた人間しか入れない特別科に在籍している人だ。
赤銅の髪と真っ黒な瞳、そして美貌。
ファンも多くて僕からすれば天上人だ。
僕如きが交流などあるはずがないと思っていた。
でもひょんなことから友達になれた。
アイガ君のお陰だ。
聞いたところによると、アイガ君とクレアさんは同じ場所から来た異邦人らしい。
ただでさえ、珍しい異邦人なのに、その中でもさらにレアケースだ。
二人のことはそのくらいしか知らない。いつか聞ければいいな。
そこまで考えて僕の停止していた脳はやっと動き出した。
一方でクレアさんは驚いた顔のまま僕を少し見つめている。瞬きを数回繰り返していた。
「あ、ごめんなさい」
僕は急いで道を譲った。
「こ……こっちこそ、ごめんね。ロビン君」
クレアさんはにっこりと笑う。
あれ?
クレアさんの笑顔、どこか前と違う気がする。
今日のアイガ君は炎のような激しい印象を受けたけど、クレアさんはどこか悲しい。
例えるなら野晒しの死体に結露した水滴のような、暗く悲しい憐憫を彷彿とさせる水のイメージが沸き上がった。
クレアさんはその笑顔のまま教室に入っていく。
途端に教室内がざわめいた。
普通科の人たちの心には共通して一つの認識がある。
『特別科とは済む世界が違う』
だから、特別科の人とは基本的に交わらない。
そこには入学と同時に『普通科にしかはいれなかった』という敗北感を味わったことも遠因の一つにある。
皆が一様に一度敗北している。
ましてや今年の特別科は黄金世代とも呼ばれていて余計に比較されてしまう。
その所為か入学式から何度か特別科の人と交流する機会はあったけど、皆極力目を合わせることすらしなかった。
それがアイガ君の登場で特別科の……それも一番の天才が普通科の教室に登場したんだ。
これで二回目。でもまだ二回目だ。
クラス全員が浮足立つのも無理はないと思う。
「え? 紅蓮の切札?」
「なんで普通科に?」
「またアイツ絡みか?」
鳥の囀りのようなクラスメート達の雑音の中、クレアさんは一直線にアイガ君の所まで行った。
まるで舞台女優のように堂々と。
何かあるのかな、と興味本位から僕はそこから動かず彼女の動きを追う。
「アイガ! 今日の放課後空いている?」
「あぁ、空いているよ」
アイガ君は珍しく、クレアさんの方を見ていない。
「あれ?」
いつもと違う。
それに……クレアさんが話しかけた瞬間、アイガ君のイメージがまた変わる。
炎が舞い上がるイメージが沸いた。
それは黒く、悲しく、まるで死体を焼く地獄のような炎。やはり『暖かい』ではなく、『冷たい』を彷彿とさせる炎だ。
馬鹿な妄想だと思う。今日だけで何度そんなイメージを持ったことか。
どうやら僕も自己分析とは違って恐怖に飲まれているのかもしれない。
でもアイガ君とクレアさんに関してはいつもと違う。それだけは何故か断言できた。
「じゃあ、放課後にあそこに来て。渡したいものがあるの」
あそこ?
どこだろう。
「わかった。放課後だな」
「うん。じゃあね」
クレアさんはそれだけを言うと、にっこりと笑って教室を出て行った。
扉の近くにいた僕に笑顔で「バイバイ」と一言添えて。
クレアさんが帰っても教室内の喧騒が収まることはなかった。
そして当の本人であるアイガ君は机に突っ伏して眠ってしまう。まるでクラスメートからの問答を拒絶するように。
僕は空腹を忘れ暫くその様を見ていた。
何故だろうか、日常の一コマなのに歪に映るその風景。
まるでツギハギだらけの景色。
アイガ君もクレアさんもずっと負の感情を伴ったイメージを持ってしまう。
これもまた恐怖の所為なのだろうか。
鬱々たる空気の中、今日という一日がやっと終わった。
放課後、アイガ君は一人、教室を出て行く。無言の圧力を纏って。
誰も何も言えなかった。
その背中を見送ってから僕は窓の外を見る。アイガ君の席越しに見る外の風景は、アイガ君の残影のせいか、どこか濁って見えた。
「さて……と……」
気付けば教室には僕一人だった。
誰もいない教室に残存する恐怖の残り香が僕の背中に這う。
それを払うように僕は勢いよく立ち上がった。
そしてゆっくりと、あの場所へ向かった。
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