第80話 ロビンの憂い-前編
僕はロビン。ロビン・アーチャー。
没落貴族、アーチャー家の長子だ。
アーチャー家再興のため……父の悲願を果たすべく、この誉れ高きディアレス学園に入学したのだけれど……
異常。異様。異質。
それが今の学園を取り巻く空気だった。
得体の知れない猛獣が常に傍らにいるような、顔の知らない隣人が死神のような、言い様のない恐怖が僕らを支配していた。
だからだろうか、皆の表情はお通夜のように暗い。
まさかこんなことになるなんて。
ディアレス学園に入学したことを僕は少し後悔していた。
父の命令に従ったとはいえ、ここに来たのは自分の意思だ。それでもその意思が揺らぐほど、今……僕は恐怖に押し潰されそうになっていた。
ふと考える。
もしもの世界。
もしも……僕が……本当に行きたかった場所へ行けていたら……
こんなことに悩むことはなかったのだろうか。
こんな恐怖を感じずに済んだのだろうか。
今頃笑えていたのだろうか。
僕が本当に行きたかったのは魔導学に精通しているボアード学園だ。ディアレス学園と並ぶガイザード王国三大学園の一つ。
そこにある研究科は多くの著名な魔導士を輩出していた。
それに大きな魔導学のコンクールで常に優秀な成績を収めている。
まさに憧れの学園。
そして行きたかった場所だ。
僕は魔導士になりたかった。
戦闘向きの魔術師ではなく、学者として、研究者として、魔導士になりたかったんだ。
けれども、父はそれを許してくれなかった。
「魔導士になりたい」
たった一度だけ本音を言ったことがある。
父は烈火の如く怒った。
『お家復興のためには魔導士ではだめだ。魔術師になれ! お前の双肩にアーチャー家の未来があるんだ! 戯言など許さん!』
その言葉を呪詛のように繰り返し、暴れ、僕の全てを否定した。
結果、僕は夢を諦めた。
その後ディアレス学園を受ける。
足掻きのつもりか、ボアード学園ほどではないが研究科がある学園に入ろうとしたんだ。
そして……受かった。受かってしまった。
受かるつもりはなかったのに。
そもそもディアレス学園はどちらかというと魔術師に明るい学園だ。
契約もしていないし、そもそも戦闘系の魔法が得意じゃない僕が受かるとは露ほども思っていなかったのに。
咥えて実技の試験も散々な結果。だから合格通知が来たときは本当に驚いた。
父は満面の笑みだったけど。
それからこの学園に来た。
淡い期待を捨て、父の命令を忠実に守るために。
ただ、今も心には魔導士になりたいという叶わない願いが燻っている。
その所為か、魔術師になるために必死なクラスメートと自分は違うと思っていた。
それは自分に対しての諦念とクラスメート達への憧憬からなんだと思う。
彼らとは違う。そのズレか、皆が恐怖を感じている中、僕だけはどこか冷静な部分があった。
自分だけがずれた場所にいる。安全圏とかじゃない。ただ単純に軸がずれているんだ。
一緒に火で炙られれば熱いだろうし、串刺しにされたら痛いだろう。でも決してそれは同じ熱さでも痛みでもない。
きっと死ぬ瞬間まで僕は皆と同じ感覚を味わえないんだろう。
そんな拙い自己分析の中、僕は不意に窓の外を見る。
空には分厚い灰色の雲が覆っていた。学園の皆と同じような悲しい色だった。
雨はまだ降っていないけどいつ降ってもおかしくない。
天気までこう重苦しいと余計に学園の空気が悪くなるような気がした。
まぁ、それも他人事。
僕は切り替えて授業に集中する。
あんなに事件が頻発してもディアレス学園は今日も授業を行っていた。
先生方が言うにはかなり授業に遅れが発生しているようだけど、休学にならない辺りは流石というべきなのかもしれないな。
その時。
ガラガラと教室の扉が開く音がした。
全員の視線がそちらへ向く。勿論僕も。
扉を開けたのは、アイガ君だった。
この学園で最も異質な存在、アイガ・ツキガミ君。
他の世界から来た異邦人で、ディアレス学園始まって以来の大天才
そして今、僕が最も興味を抱いている人だ。
ゴードン君を圧倒し、剰え素手で魔獣を屠ったことは本当に驚いた。
本人は強化魔法を使ったと言っていたけど……
あの時微かに見えたアイガ君の腕に輝いた紋様。あれは……きっと……
「遅いぞ! アイガ! 今何時だと思っている」
授業を進めていたデイジー先生の怒りで僕の思考は一旦掻き消える。
既に学校が始まってから三時間が経過していて、授業も三限目に突入している。だからアイガ君は大幅な遅刻だった。
アイガ君は「すみません」と一言謝ってから僕の隣にある自分の席に座る。
デイジー先生はそれ以上追及しなかった。
「寝坊したの?」
僕が聞くとアイガ君は「あぁ」と答えて、すぐに鞄から教科書を取り出した。
そこからは『話かけるな』と無言で訴えるような気迫で僕は何も言えなくなってしまう。
昨日、大図書館で偶然出会って白夜の間で例の論文を見せた時からずっとアイガ君の様子がおかしい。
それも心配していたのだけど、今の今までアイガ君とは会えずじまい。
結局、会えた今もアイガ君は僕を拒絶いているようでちょっとだけ辛かった。
本当にいつものアイガ君とは違う。
なんだろうか、言葉にするのが難しいけれど、炎。
冷たい炎を感じる。
その炎は真っ黒だ。どす黒い炎。
全てを燃やし焦がすのだけれど冷たい、冷たい炎を彷彿とさせた。
僕はそこで姿勢を教壇に立つデイジー先生に戻した。
バカなことを考えている自分を反省する。
ただ心には虫に刺されたような腫れの如きしこりができていた。アイガ君の拒絶は思った以上に僕の心を抉ったようだ。
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