第79話 まほろば


 クレアだった。


「クレア!?」

「あ! アイガ……」


 クレアは扉が開くなり、俺の下へと駆けつける。


「ロビン君に会って、アイガが凄い勢いで先に戻ったって聞いたの。どこに行ったのかわからなかったんだけど、とりあえずシャロン先生のところから探そうと思ってここに来たの。そしたら中でどたばた聞こえるし、それでドアをノックしたんだけど反応はないし……心配で部屋の前で待っていたらいきなり扉が開いて……それで……一体何があったの? アイガ?」


 クレアは心配そうに俺の身体を眺める。

 その口ぶりからこの部屋の会話は外には漏れていなかったようだ。が、戦闘の音まで消せていない。

 恐らく音量を小さくするといった類の魔法か。


 クレアが『戦闘』を『どたばた』程度に感じていることからも恐らくそれが正解だと思う。

 そんなものがあるのかどうかわからないが、シャロンならできそうだとも思ってしまう。


 逆にクレアが扉をノックした音を俺は聞こえていないのだからそれが一番あり得るだろう。


 ふと床を見れば俺を拘束していたあの刃が消えていた。

 いつの間に?


 シャロンは戦闘の痕跡を素早く片付けていた。

 どちらにせよ、この女は俺と戦いつつ器用に違う魔法も行使していたことがわかった。


 やはり、こいつに正面来て戦うのは得策ではなかった。


「さて、そろそろちゃんとお話ししましょうか」


 シャロンは再び指を鳴らす。

 途端に扉は閉まる。さらに窓のカーテンもしまった。

 部屋の空気が一変する。


「これからの話は他言無用でお願いします」


 明らかにいつもと違う空気を纏うシャロン。

 クレアもまたその空気に触れ、真剣な表情になっていた。


 俺はクレアと共に革張りの椅子に座る。

 シャロンも学長椅子に腰かけた。


 空気が張り詰める中、シャロンはまっすぐに俺達を見据える。

 一つ咳払いをした。

 それは決意の表れのように見えたのは俺の錯覚だろうか。 


「背後にまほろばの存在が確認されました」


 は?

 まほろば?


「なんだ? それは?」


 俺の問いにシャロンは深く嘆息した。

 クレアの方を見ると彼女も知らないのか首を横に振った。


「まほろば……それは……テロリスト集団の名前です」

「テロリスト?」


 クレアの言葉が虚しく響く。


 テロリスト。

 その五文字は俺でも知っている。

 元いた世界にいた時にニュースなどで耳にした。


 しかし身近にはなかった。縁などなかったものだ。平和な日本には存在すらしなかったのだから。


 否、存在はしたかもしれない。が、少なくても俺のいた世界にそれはいなかった。

 海外の紛争地域のニュースでチラリと聞いた程度。自分から遠い存在だと思っていたもの。


 それがテロリストだ。

 そのテロリストが俺達の近くにいる。

 その衝撃に俺は今までの怒りも忘れるくらい呆然としてしまっていた。


「ガイザード王国史上最凶最悪の敵、それがまほろばでした。その言葉はこの国では禁句。それほどの被害を齎したのです」


 シャロンの言葉の重みが俺達をさらに緊張させる。


「今から二十五年前、カーリーガンの激戦と呼ばれた大きな戦いで壊滅させた……筈でした。王都護衛部隊の殆どが参加した総力戦です」


 シャロンはゆっくりと背凭れに凭れる。昔を回顧しているのか、その表情は少し緩んでいた。


 しかし代わりに憂いや憤りといった別のものも溢れ出しているような気がした。


「当時の……王都護衛部隊のほぼ全部隊とまほろばが激突しました。カーリーガンという場所はガイザード王国の南に位置する荒野です。ですから一般人に被害はありませんでした。ですが……」


 シャロンは軽く溜息を吐いた。

 その姿は今まで見たことのないシャロンだった。


「王都護衛部隊は三百名以上の死傷者が出ました。一部隊はほぼ壊滅。当時の隊長三名、副隊長一名が死亡。それほど戦いは苛烈を極めました。それで漸く……まほろばを壊滅させられたのです」


 シャロンは言い終えると目を閉じたまままた天井を見上げる。

 二十五年前ならシャロンもまだ王都護衛部隊にいた頃だ。


 つまりこれは当事者の話。

 紛れもない真実の話だ。


 だからだろうか、部屋の空気は鉛のように重い。そして苦しい。

 やっと部屋の空気が変わった意味が分かった。

 この話はそれほど重い話なのだ。


 シャロンはまたゆっくりと俺を瞠った。


「今回の件、全てをお話しできなかった理由がそれです。あの時はまだ可能性の一つでしかありませんでした。が、現在は既に確定事項になっています。また、まほろばが関わっているとなった以上、おいそれと一学徒である貴方たちに全てをお話しすることはできませんでした。さらに王国にも報告しなくてはなりませんでしたから。既に問題はこの学園でどうこうできるレベルではなくなっているのです」


 シャロンはそう言ってカップに手を伸ばした。

 冷めきった紅茶を一口飲む。


 暫し、沈黙が流れた。


 心にざらつくナニかがゆっくりと落ちていく。そんな幻覚が現れた。


「アイツは、まほろばとかいうテロリスト集団の一味なのか?」


 俺の問いにまた空気が変わる。

 怒りを忘れた俺の脳味噌は冷静になっていた。


 その冷静さが次なる疑問を生んだのだ。


「いえ、恐らく利用されただけでしょう。私の考えではアルノーの森の一件はまほろばの仕業です。それ以外の……トライデント・ボアやゴードン君の件はあの子が犯人でしょうね」


 シャロンは淡々と答える。


「利用されたということは……共犯ではないのか? 騙されたのか?」

「えぇ。でしょうね。ただ洗脳や錯誤の類ではなく、単純に唆された程度かと思っています」


 成程。それなら理解できた。

 アイツがどうやってアルノーの森で俺達に襲撃を仕掛けたかわからなかったが、まほろばなるテロリストがいたならある程度納得できる。


 そして、それが由々しき事態であることを俺はやっと理解し始めていた。

 神聖なる学び舎に、ましてやガイザード王国三大魔法学園のディアレス学園にテロリスト、それに準じる者がいるなど、最悪の事態だ。


「恥ずべきことです。本当に」


 シャロンは葬式に参列しているかのように深く暗い声を放った。


 俺もクレアも、何も言えなかった。

 またしても重苦しい沈黙が流れる


 少ししてクレアが顔を上げた。


「今、わかっていることを全て話しくれませんか?」

「え?」


 クレアの表情は勇ましい戦士のような顔になっていた。


「さっきから話に出ているアイツって誰のことなんです? それになんで私達が狙われたんですか?」


 そうか、クレアはまだアイツの正体を知らないんだった。


「それは……」


 俺は言葉に詰まる。

 犯人の正体はわかっているが、目的まではわかっていない。

 俺は無意識にシャロンを見る。


 シャロンは逡巡してから立ち上がった。

 棚から紅茶を取り出し、勢いよく自分のカップに注ぐ。滝を想起させる音と飛沫が無音の部屋に響き渡った。

 同時に優しい柑橘類の香りも漂う。


「そうですね。当事者たる貴方達にはそろそろ真実をお教えしましょう。その上で決めてください。貴方達が辿るべき道を」


 瞬間悪寒が、俺の全身を走った。部屋を包むこの紅茶の匂いも濁るほど、それは俺を確かに狂わせた。

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