第82話 撒き餌
亡者を焼き焦がす地獄の猛火すら生温い。
咎人が咽び泣く煉獄の灼熱すらまだ優しい。
罪を背負いし者は深く、深く、後悔し、心から懺悔するべきだ。
それでも許しはしない。
その仮初の楽園から引き摺り落としてやる。
罪には罰を。
死をよりも重い罰を。
与えねばならない。
俺の中にある負の感情が蜷局のように渦巻いていた。
それがいつもの俺とは違う思想を呼び起こしていく。
憎しみが迸った。
恨みが蓄積される
そして殺意が磨かれていく。
体内から沸き起こるこの衝動が燃料となって俺を突き動かしていた。
今はこの衝動が体外に出ないよう止めるのに必死だ。
少しでも気を緩めればそれは忽ち俺を呑み込むだろう。
そして俺が俺でなくなってしまう。
倫理観と常識の檻に囚われた本能的な殺意はそれでも俺の中で燻り続けた。
消しても、消しても、消えることなく燃え上がる。
正しく火。
その火は赤黒く、血のような色で燃える。
憎悪を糧に、殺意の狼煙を上げて。
黒く、昏く、深く、鈍く、濃く、焦がすように、爆ぜるように、燃えている。
放課後、俺はクレアに指定された場所へ向かっていた。
あそこ。
それがキーワードだ。
そこへ向かうため俺は歩を進める。
やがてワープ魔法陣のある教室の前で足を止めた。後ろから誰かが来ているのはわかっている。
しかし振り返ってはならない。
気配も視線も気付かれてはならない。
俺はただの撒き餌だ。そう自分に言い聞かせる。
止まったのは暴発しそうな殺意の火を一旦鎮めるため。
まだダメだ。まだ。
耐えろ。
耐えろ。
耐えろ。
少し長めの息を吐いて、俺は素知らぬフリをして教室へと入る。
時間にして二秒ほどの硬直。
もしかしたら不自然だったかもしれない。それでも俺は計画通りクレアの指定した場所へ向かう。
魔法陣を起動することで数珠の石がまた白く濁った。
俺の心も同じように濁っている。
ワープによって瞬時にそこへ辿り着くと、もうクレアが待っていた。
悲しそうな笑顔で。
それは泣き出す幼子のような貌だった。
そんなクレアを見て俺の心にある火が揺れる。憎悪が漏れる。
炎が燻った。
それでも耐えねばならない。俺は必死に己の中にある火を鎮める。
落ち着きを取り戻し、俺はクレアの下へ歩み寄った。
一瞬お互いに顔を見合わせる。澱んだ笑顔で。
俺達は無言であの林道を歩いた。
長い沈黙。
そして。
「ねぇ、アイガ怒っているの?」
不意に響くクレアの言葉。
俺は心の炎を鎮める。
「なんで?」
努めて冷静を装った。
自分でも笑えるほど陳腐で芝居じみた返答だったが。
「だって凄く怖い顔しているよ」
クレアだって凄く悲しい顔をしているじゃないか。
その言葉を俺は無意識に飲み込んだ。
「怒ってない……とは言えないかもな。怒ってるよ。だってクレアをこんなに傷つけたんだから」
クレアは少し笑ってくれた。
その笑顔が俺の心を少しだけ優しく包む。
「アイガはいつも私のために怒ってくれるね」
「当り前だ。俺は……」
その先の言葉は出なかった。
俺は一体なんて言おうとしたんだろうか。自分でもわからない。
また沈黙が流れた。
そうこうしているうちに目的の場所に着く。
ここが決着の舞台だ。
俺は息を整え、その場所を望む。
俺達が選んだ舞台。
それは……
修練場だ。
体術訓練の修練場。
ここなら暴れても問題ない。
初めてみたコロッセオのような舞台は正しく俺達のための闘技場と化す。
門は開けっ放しだった。鍵などは掛かっていない。
これも手筈通り。
ここから先は全て俺達次第だ。
覚悟を再び決め、二人で中に入る。
表情は自然と引き締まった。
ガランとした広場に二人きり。そこは以前よりも遥かに広く感じる。
天を仰げば緞帳の如き曇天の幕がさらに分厚くなっていた。まるで俺の……否、俺たちの怒りに呼応するかのように。
雲間から放たれる光は薄く、吹き荒ぶ風は嫌に生暖かい。もうすぐ雨が降るのかもしれない。
舞台は整った。いや、整えた、か。
あとは登場人物が揃うのを待つだけだ。
俺とクレアはお互いに並び立つ。威風堂々と。
幕間のような静寂が流れる。
クレアは黙したまま。
俺も同じだ。
それでも心の中で憎悪の火が反比例するように燃え上がる。
まだだ。
まだ開放するには早い。
逸る気持ちと昂る精神を落ち着けようと俺は瞑想を試みる。
以前行ったような完璧な瞑想ではない。
立ったまま行う短時間だけの簡易的なものだ。
それでも今の気持ちを落ち着けるには十分だろう。
その最中、少しだけ残っていた冷静な心が昨日のことを思い出していた。
そう……シャロンと対峙したあの後の出来事を……
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