第74話 親友
学園の正門に着くとクレアが門柱に凭れているのが見えた。
「クレア!」
俺は小走りで向かう。
「おはよう、アイガ」
にっこりと笑うクレア。
しかし目の下に微かにクマがあった。
悲壮を隠した笑顔が俺の心をざわつかせる。
それでも俺はそんなクレアを慮って笑顔で返した。
今朝、瞑想したことで落ち着かせた負の感情がまた膨れていく。それが心の中で燃え盛り殺意の量が増えていった。
まだ俺も修行が足りないようだ。
「おはよう、クレア。待たせたか?」
俺は平常心を装いながらクレアに語り掛けた。
「ううん、私も今来たところ。それに……」
クレアが不意に後ろに視線を送る。
釣られて俺がそちらを見ると、門柱の陰にサリーがいた。
「あ、サリー……」
現時点で減退魔法を使ったかもしれない犯人の第一候補者でもあるサリー。その存在に俺の身体が一瞬緊張する。
心とは裏腹に。
「おはようございます、アイガさん」
サリーはそんな俺を見透かすように優雅な振る舞いで挨拶をしてくれた。
しかし、なんだ、この違和感は。
目の前にいるサリーは昨日会ったサリーとはどこか違うように見える。
「お話はクレア様から聞きました」
「え?」
サリーは挨拶を終えると俺とクレアに背を向けた。
「ごめんね、昨日帰ってから色々迷ったんだけどやっぱりサリーに直接聞くべきだと思ったの。だからサリーに全部話したんだ」
クレアが涙目になりながら説明してくれた。
そこでまた俺は気づいた。
クレアがこちらの世界に来てから生まれて初めてできた親友。それを疑うという心のダメージ。
今思えばそのダメージは俺が思うよりも重く深い、それでいて猛毒のようなものだ。
鋸で素肌に疵を創るようにクレアの心をズタボロにしたに違いない。
だからこそ、はっきりさせたかったのだろう。
俺はクレアのことを何もわかっていなかった。
クレアの上辺の部分しか見えていない。
いつもその心の最奥にまで気づけていない。
俺はそんな自分の無能さに無性に腹が立った。
何故、いつも後手に回る。
何故、もっとクレアに寄り添えない。
何故、彼女の心を支えられない。
懺悔と後悔、繰り返す己の愚鈍。全てが腹立たしかった。
そんな時、サリーがゆっくりとこちらを振り返る。
「私、とても怒っています」
突然のサリーの告白。
同時に吹き荒ぶ殺気。
俺自身が己の怒りすら忘れてしまう程のものだった。
再び俺の身体に緊張が走る。
一方でにっこりと嗤うサリー。
その瞳には俺以上と思しき憤怒と憎悪の炎が宿っていた。
髪が逆巻き、口角は上がっている。
だが、殺意の波動が彼女から濁流のように溢れていた。
「私とクレア様の大切な思い出に穢れた厭らしい魔法を仕掛け、剰えクレア様を殺そうとした不遜な輩。私ここまで怒りを覚えたことありません」
サリーは徐に俺に視線を送る。
殺意の炎が冷たく俺の肌を焼いた。
その迫力に俺は無意識に一歩たじろいでしまう。
数多の魔獣を屠ってきた俺が本能的に後退ってしまったのだ。
それほど、サリーからは裂帛の気配が放たれていた。
「私のことが疑われたのは止む無きこと。それはどうでもいいのです。大事なのはクレア様に牙を向けたこと。そして私達の思い出を穢したこと。最早万死に値します」
一層強い殺意が零れる。
そんな殺意にクレアも怯えているようで俺の後ろで震えている。
俺は咄嗟に生唾を飲んだ。その音が大きく響く。
昨日の高貴な彼女からは想像できない殺意の発露だった。
そもそも一介の女学生にこれほどの殺意が放てるのだろうか。俺は少し混乱している。
溢れる殺意は周りの景色を歪ませていった。
凄まじい殺意を隠そうともしないサリーを見て俺は直感する。
サリーは犯人ではない、と。
この殺意はクレアを想う部分から来ているはずだ。故にこれほどの濃度の殺意を放つサリーが犯人とはどうしても考えられなかったのだ。
「だから……」
不意にサリーの殺意が消えた。
同時にまたにっこりと笑うサリー。
その笑顔は昨日の彼女のものと相違ない。
「だから?」
つい聞き返してしまった。
俺の後ろでクレアが先ほど以上に震えている。
「殺します」
断罪のようにそう宣言するサリー。
あまりに重い言葉が軽く吐かれた瞬間だった。
冗談ではないだろう。
彼女の言葉の重みは、それが真剣であることを一発で信用させるに充分なものだ。
ぶり返した冷たい殺意が一瞬で燃え広がる。
「ふふふ、冗談ですよ」
サリーはにっこりとそう呟いた。
しかし、きっと冗談じゃないだろう。
彼女は震える俺達を見て言葉を翻しただけだ。その真意は先ほどの殺意に集約されているはずである。
「では、いきましょうか。私も調査……お手伝いします」
サリーはそう言って背を向け、学園に向かって歩き出した。
もう殺意は消えている。
その背中から俺達の返答の有無を必要としない確固たる信念が見えていた。
「サリー、めっちゃ怒ってる」
クレアが横から身震いしながら言った。
「そうだな……だけどそれは当然なのかもしれないな」
サリーの怒りと殺意は俺のそれとほぼ同じだ。
根幹が違うだけで本質は同質。
だからこそ理解できた。彼女が何に怒り、何に対して憎んでいるのか、を。
「え?」
クレアが俺を覗き込む。
「友達が酷い目に合ったんだ。怒って当り前さ。クレアだって逆の立場なら……サリーがそんな目にあったら怒るだろ?」
「あ……うん」
クレアの震えはもう止まっていた。
「良い友達だな」
「そうだよ、自慢の親友だもん」
クレアはそう言って笑う。
仮面のような笑顔ではなく、心からの笑顔だった。
束の間の本当の笑顔。
それは俺の心に暖かい風を齎してくれた。
この笑顔を必ず守らなくてはならない。
俺の心に改めて誓いの灯が燈る。
「さて、俺達も行こうか」
「うん!」
俺とクレアはサリーを追うように校舎に向かって歩き出す。
その足取りはここへ来る時よりも少しだけ軽くなっていた。
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