第73話 瞑想

 時刻は早朝五時。

 俺は部屋を出る。


 昨日、クレア、シャロンとの会合では結局何も答えらしいものはでず、尻すぼみで終わってしまった。

 消化不良のまま帰宅し、何もせず俺はベッドに入る。


 だが疲弊した脳味噌は休もうとせず、中々眠れなかった。いや、疲れていたのは心のほうなのかもしれない。


 何度か眠れてはいた。が、起きてしまうのだ。

 寝ては起きての繰り返しで、結局熟睡には至っていない。


 それは重たい汚泥が心と身体を覆って、呼吸をゆっくりと止めていくような気持ち悪いもの。


 眠れないことに辟易した俺はいつもより早く起きて朝のランニングに出かけることにした。


 ディアレス学園の寮の名前は学年ごとに『レッド』、『ブルー』『グリーン』に分けられている。

 今年の一年生、つまり俺達は『レッド』だ。と、言っても名前がレッドなだけで他の色と差異はない。

 寮の建物だって白いシンプルなものなのだ。

 見た目もこれといった特徴のない横長の四角形の建物。


 一階に食堂、大浴場、レクレーションルームがあり、二階と三階に生徒がそれぞれ一人一部屋を与えられ暮らしていた。


 俺は三階の一番端っこだ。角部屋で隣にはロビンがいる。

 反対側の角にはゴードンの部屋があるが今は無人となっていた。


 ゴードンの取り巻きたちは二階にいて、ゴードンの部屋の下にも一人いたはず。だからか、よく誰かの部屋に三人は屯していたらしい。


 そんな寮は、今現在廃墟かと思う程静かだった。

 早朝ということもあるだろうが、どこか学園内で起きている事件に当てられて、得体の知れない敵の牙に掛からないよう全員が声を殺しているようにも見えた。


 異様。

 その一言に尽きる。


 それは仕方のないことだが、やはり虚しいとも思ってしまう。


 静かな廊下を歩き、俺は寮を出た。

 一階には管理人のいる小部屋があるのだが、そこに管理人が来るのは昼前からだ。

 そのため誰にも会うことなく俺は外に出るとそのまま適当にストレッチをして走り出した。


 朝陽を浴びながら心地よい風の中を駆けることで身体から汚泥が剥がれていく。そんな幻想を感じながら小一時間ほど走った。


「ふぅ」


 漸く心が安らぎを取り戻す頃、俺は寮に戻ってきた。

 静寂を破らぬよう注意しながら一階の浴場で汗を流す。そして部屋へと戻った。


 机の上の時計を見る。


「まだ、時間があるな……」


 適当に乾かした髪のままベッドに寝転がり、俺は天井を見つめた。

 今日の授業は休みだ。

 この世界は俺が元々いた世界と同じく一年は三百六十五日、月は十二か月、一週間は七日、一日は二十四時間で動いている。


 曜日は月火水木金土日ではなく、一、二、三とカウントしていき、七の次に一がくるというシンプルなもの。なのだが、日本の曜日感覚になれている俺は少しややこしいと未だに思っている。


 また、休日もしっかりあった。六と七だ。六が土曜、七が日曜という感覚である。但し、これは学生のみらしく、社会人はこの限りではないらしい。


 そして今日は六曜日。学校は休みだ。


 ただ、昨日俺は帰宅の道中、クレアとある約束をした。

 それは今日、学校で落ち合い今回の事件を二人で調べてみようというものだった。


 手始めにまず減退魔法から。

 当事者になった俺達だからこそわかる何かがあるかもしれない。


 それにこのまま指を咥えて待っているだけという状況が歯痒かったのだ。

 できることなら二人で解決したい。せめて納得はしたい。

 それが二人で出した結論だった。

 例え徒労に終わろうとも。

 何かヒントになればそれでよし。そう考えた。


 既に優秀な調査団が入ったアルノーの森などは俺達が調べたところで高が知れている。


 そのため、休日だが学校の図書館で調べてみることにしたのだ。

 ディアレス学園の図書館はこの大陸でも五指に入るほどの貯蔵量を誇るらしく下手に街に出るよりも確実だとクレアは言っていた。


 俺はそんなクレアの顔を思い出す。

 幾分か顔色はマシだったがその表情は瓦礫のように脆く、未亡人のように儚く、泡沫のように物悲しかった。


 必死に創られた仮面のような笑顔。

 それを見て俺は心の中で誓った。


 必ず敵を討つと。

 クレアを悲しませたその咎を、罰を以て償わせると。


 俺は耐えきれない怒りを思い出しつつベッドの上にて座禅を組み、目を閉じて、感情を抑えるように深く、深く、深呼吸をした。

 

 瞑想だ。

 荒んだ心を落ち着かせるため、殺意をより尖らせるため、俺は心の中で己と向き合う。


 これは師匠に教えられたもので、俺は昔から度々行っていた。


 暫くして心は怒りを忘れ穏やかになる。

 殺意も、憎悪も、全てが小さくなっていった。


 夢と現の境界線を行ったり来たりする感覚。微睡みの中、船を漕いでいるような感覚だ。

 だが、起きてはいる。

 動かそうと思えば四肢全てが意思のままに動く。

 それでも夢は見ている。

 そんな状態だった。


 夢の中は黒と白の森の中。濃淡すらない世界。

 木々は揺れもせず、死んだように動かない。生物は俺以外いない。まるで絵のような世界だ。


 しかし風景だけが機械仕掛けのように動いていた。

 俺は微動だにしない。

 舞台のほうが動いている。


 機械的に景色は微妙に変わるが白黒グリザイユの世界は何も変わったようには見えない。

 そこで立つ俺は右手に氣を集約させていた。

 やがて、俺の怒りがその世界で具現化していく。

 のっぺらぼうの筋肉質な人形が幾体も現れる。これらは俺が思う敵のイメージだ。


 正体不明アンノウンな敵が俺の方へゆっくりと近づく。

 その手はナイフのように鋭い。

 数秒、数分をかけてそれらが俺の周りに集う。


 俺は呼吸を整えた。

 一体が間合いに入る。


 俺は右手を天高く翳し、手刀にして一気に振り下ろした。

 世界は見事に切り裂かれる。幾人もいた敵は襤褸切れのようにズタボロに消え去る。


 同時に俺は覚醒した。

 そのまま勢いよく起き上がる。


 蠢動する氣の脈動が全身を駆け巡っていた。

 心地よい筋肉の昂りと心臓の鼓動が俺の身体を熱くする。


 心にあった負の感情が全て俺のエネルギーの糧となったことを実感した。


「時間だな」


 机の上に置かれた目覚まし時計が少し遅れて鐘をけたたましく叩く。

 俺はその時計を止め、部屋を出た。


 覚悟と決意を胸に秘めて。

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