第71話 シャロンの謝罪
紅茶を優雅に飲むシャロンが指をパチンと鳴らした。
瞬間、宙に浮いていた髪飾りが、ふわりと羽毛のように髪飾りが机に下りる。掛けられていた魔法が解除されたのだ。
「クレアさんはアサルト・モンキーとの戦いで一度、完全魔力解放を行っていますね。そこで髪飾りが弾け飛んだとのことですが、その際に髪飾りが壊れて減退魔法が効果を失ったのでしょう」
俺は髪飾りの破片を眺める。あの破片に残った魔法の残滓。俺はそれが感じられない。
だが、何故か薄気味悪いものを犇々と感じていた。これが悪寒というものなだろうか。
「あの……すみません……」
クレアが意を決したように手を挙げた。
その顔はまた一層青白くなっていた。まるで病人のように。
「その……ずっと……気になっていたんですけど……その……髪飾りに……減退魔法以外の……魔法って掛かっていますか? その……盗聴とか……盗撮とか……」
「!」
その言葉を聞いて俺の神経は焼ききれそうになる。血が沸騰し、骨が燃え、肉が焦げ、そんな錯覚を感じるほど怒りが爆発しそうになった。
勿論、一番不安なのはクレアだろう。
女性の部屋を盗み見るなど愚劣極まりない犯罪の被害にあっているかもしれないという恐怖の渦中にいるのだから。
この時になってやっと俺はクレアがあれほど憔悴していた本当の理由がわかった気がした。
そんな愚鈍な自分が嫌になる。その嫌悪が己の怒りに拍車をかけた。
奥歯が割れそうになるほど噛み締め、拳が砕けそうになるほど握り込み、怒りがどんどん身体と心を荒らしていく。
あとから憎しみが湧いてきた。
二つの感情はやがて混ざり合う。
それは明確な殺意だ。
憤怒と憎悪が溶け合って殺意となったのだ。それは淡く、鈍く、俺の心を焦がしていった。
「大丈夫ですよ」
シャロンは聖母のように優しく、諭すように答えた。
今はその偽善的な優しさですら暖かく感じる。
そのお陰か俺は少しだけ落ち着いた。それでも残った負の感情が心の壁にこびりつく。
「我が学園都市の警備は完璧です。まぁ幻獣を侵入させてしまっていますから説得力はないかもしれませんが、盗撮、盗聴といった類の魔法は完全に感知、妨害する特殊な結界魔法が学園の領土、及び学園が所有する施設、そして生徒が住む寮にまで張り巡らせています。その結界は何も感知していません。それにその髪飾りにもそういった魔法は掛かっていません。私が保証します。それでも不安ならレクック・シティの民間ギルドに鑑定を出して頂いても構いませんよ。費用もこちらでもちます。それでも安心できませんか? クレアさん」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
クレアはホッとしたのか溜息を洩らしゆっくりと瞼を閉じた。
その姿に安堵し俺は深く、深く、呼吸を整える。
「ん?」
冷静になった頭が新たな疑問を抱いた。
「おい、結界魔法が完璧ならなんで髪飾りの減退魔法は感知しなかったんだ?」
「あ……」
クレアは驚き声を上げる。
シャロンは紅茶を一口飲んだ。その表情はどこかいつもの彼女とは違うような気がした。
「施された減退魔法はいわば過去の遺物。最新の結界魔法の感知の演算式に入っていなかったのですよ。そもそも減退魔法は魔力の波も微弱ですし……」
シャロンの説明で減退魔法の厄介さを改めて思い知る。
結界魔法で感知できないというのは凄まじいメリットだと思うが、それでも減退魔法は魔法の世界では消えてしまったのか。
この世界の魔法というのは……こうした意味でも俺を驚かせてくる。
「しかし、今回の件は我々学園側の失態です。それは言い訳ができません。早急に結界魔法の改善を行います。本当に申し訳ありませんでした」
突然シャロンは立ち上がり、深々と頭を下げた。
あのプライドの塊のようなこの女が頭を下げる。不意に訪れた、その事実に俺は驚き何も言葉が発せなかった。
「そんな! シャロン先生の所為ではありません! 頭を上げてください!」
クレアも驚いていた。
俺は呆然とするしかない。それほどの驚愕だったのだ。この女が頭を下げるということは。
暫くしてシャロンが頭を上げ、ゆっくりと座り直した。
俺はつい目の前の紅茶を飲む。
今までならシャロンが淹れたものなど絶対に口にしなかっただろう。
だが、今俺の喉は砂漠のように乾ききっていた。
未知なる情報や靄がかる敵の思惑、そしてシャロンの謝罪。
あまりに多くの、衝撃的な事象の連続が俺の身体を疲弊させていたのだ。
紅茶はかなり温くなっていたがそれでも俺は喉を潤す。舌に広がる微かな甘みと鼻を擽るバラの香りが幾何かの癒しを俺に与えた。
俺はゆっくりと天井を仰ぐ。迂拙な脳味噌が今までのことを処理するために。
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