第70話 減退魔法


「減退魔法?」


 全く聞き馴染みのないそのワードに俺は馬鹿みたいに鸚鵡返ししてしまった。


 シャロンは俺を無視して、クレアの髪飾りの破片を掌中にて浮かす。途端に黄金色の光が幾何学模様を描きながら髪飾りを包んだ。

 その光景はまるで手品を見ているような、いやCG技術を駆使した映画を、スクリーンを通さずに見ているような、そんな奇妙な感覚を覚える。


「この髪飾りに少ないですが減退魔法の残滓がありました。私、実は解析魔法が使えます。その力を用いることでこの髪飾りに残存している魔素から減退魔法の反応を炙り出したのです。所々欠けていますが、これだけ立派な魔法陣なら充分証拠になりますね」


 シャロンの魔法によって浮かび上がったその魔法陣には、文字が規則正しく円状に配列されていた。が、彼女の言う通り所々虫食いのように文字が欠けている。


 解析魔法とは物体に残る魔法の痕跡を調べる、或いは正体不明の魔法を調べる魔法らしい。

 俺が元居た世界でいえば警察の鑑識が行うそれに等しい。

 その魔法の結果、クレアの髪飾りから減退魔法なる謎の魔法の痕跡が浮かび上がったのだった。


「おい……説明しろ、減退魔法ってなんだ?」


 俺はそう問いながら横目でクレアを見る。

 彼女は今、吐きそうなほど青褪めてシャロンの手にある髪飾りの破片を見つめていた。自分の持ち物に自分の知らないナニカが付着しているなど、男の俺でも嫌悪感がある。


 女性であるクレアからすれば尚更だ。

 そんなクレアのことを思えば、俺は怒りでどうにかなりそうになる。その感情を抑

え込むため俺は己の拳を血が滲むほど強く、硬く、握りしめた。


 しかし頭は意外にも冷静だ。

 爆発して全てを破壊しようとする憤怒と、減退魔法というものを知らなければならない、知った上でその相手を叩きのめそうとする冷静さが同居していた。

 それは本当に名状し難い感情だった。


「減退魔法とは、対象の人間の魔力、体力を文字通り減退させる魔法です。今から五十年ほど前に演算式が公表され一時は対象の行動阻害に使えると持て囃された魔法です……」


 シャロンは俺の激情を感じ取ったのか、努めて穏やかに説明した。

 曰く、減退魔法とは対象者をパワーダウンさせる搦め手の魔法。風邪にも似た倦怠感、疲労感を与え魔力の練度や演算処理の速度を遅延させるものらしい。


 その効果はクレアの報告書にあった彼女の体調不良とほぼ一致する。

 このことからクレアが髪飾りを通じて減退魔法を掛けられていたことはほぼ間違いない。


 俺の氣の攻撃が通じにくかったのも減退魔法による影響で身体の不調が原因だ。その所為で氣の練度が下がり、氣の感知や氣の入りが上手くいかなかったのだろう。


 減退魔法、これは戦闘に置いてかなり有利な魔法ではないか。使いようによって格上を自分のステージまで落とせるのだから。

 便利を通り越して薄ら寒い魔法だ、そう俺は思った。


 ただ、シャロンの言い方が少し気になる。


「その言い方だと、何か含みがあるな」


 俺の言葉にシャロンは指を上に指した。


「はい。ですが……続きは学長室でお話ししましょう。ここでは説明しにくいですから。それにクレアさんも立ったままではお辛いでしょう」


 その言葉に俺はハッとする。


 クレアは「いえ、大丈夫です」と答えたが顔は未だ真っ青なままだ。

 俺は己の不甲斐なさに腹が立った。


 クレアを気にしていたくせに敵の正体を知ることばかりに躍起になってしまっていた。そしてクレアの気持ちを置き去りにして、彼女を思いやることを忘れていた。


 クズ過ぎる。俺は。

 短く深呼吸をし、何をすべきかを脳内で考え、そしてまとめる。


「あぁ、そうしてくれ」


 俺はクレアの手を握った。薄っぺらい言葉ではなく、態度で示そうとした。だから力強く、彼女の怯える手を握ったんだ。


 想いが通じたのかクレアの目に輝きが戻る。

 これが今、俺にできる精一杯だった。


「ありがとう、アイガ」


 クレアの笑顔が俺の心を照らす。


 俺達は一旦、学長室に移動した。

 室内に入ってすぐ、シャロンはクレアと俺を皮椅子に座らせる。そのまま紅茶のセットを取り出した。


 クレアの髪飾りはそっと俺達の目の前の机に置かれる。

 シャロンは優雅に紅茶を淹れ、俺達に振舞った。


「クレアさん落ち着かれましたか? お二人にお出ししたお紅茶は仄かにバラの香りがする特別性です。心をリラックスさせる効果がありますから遠慮せず飲んでくださいね」

「はい、ありがとうございます」


 未だに蒼白な顔色のクレアは目の前の紅茶を一口飲んだ。

 気のせいか、顔色が少しだけマシになったように感じる。


 クレアの飲んだ紅茶から香るバラの香りは確かに心に響いた。荒れた心の水面が

凪のように落ち着いていく。

 あの女が用意したものだが今だけはこの香りに頼りたい。


 一方でシャロンは自分の紅茶を淹れ、学長の豪奢な椅子に深く腰掛けた。


 少し間が開いて、


「さて、説明の続きをしましょうか」


 と、シャロンが話し始める。


「減退魔法は……致命的な欠陥があったのです。その欠陥が結局クリアできず時代に埋もれていた魔法です。いえ、魔法にすらならなかった。今や若者はその名前すら知らないでしょうね」


 シャロンは説明をしながら俺達の眼前にあった髪飾りを魔法で空中に浮かせる。そしてまた解析魔法を発動し、金色の幾何学模様が浮かんだ。


「致命的な欠陥?」

「一度、減退魔法に掛かるとその強弱に関わらず抗体のようなものができてしまい、二度目は利かなくなってしまうのです。しかもそれは対象者の意図としないところで。これを専門的に解説すると些か高度な学問が必要になるのですが、掻い摘んで説明すると魔法使いが魔法を発動する際に行う『魔法陣想起』という演算のほうが優先されてしまい二度目は勝手に解除されてしまうのです」


 成程、わからん。


 魔法使いではない俺にはちんぷんかんぷんだ。早い話、二度目は利かない。それだけわかればいい。


 ん? 魔法使いは?


「おい、じゃあ俺は、どうなるんだ?」

「貴方の場合は恐らく二度目も掛かるでしょうね。貴方は魔法の演算が優先されるということは皆無ですし、魔力がありませんから魔法に対して抗体などできるわけもありません。世にも珍しい減退魔法の餌食です」


 少し嬉しそうに話すシャロンが癪に障った。


 ふと、俺の右手に熱を感じる。

 そちらへ目をやると、俺が手を付けていなかった紅茶がティーカップから飛び出し、空中に浮かんでいた。


 即座にそれがシャロンの魔法だと気づく。

 シャロンに目をやると、ニコッとしながらウィンクをしてきた。


 そしてその紅茶が文字を象る。


『あなたの場合は獣王武人を使えば自動的に解除されるはずですよ。アレなら己に掛かっている『現行の魔法』を氣で弾き飛ばせるはずですから』


 と、いう長文が現れた。


 俺が理解したとわかると紅茶はまたティーカップに戻る。

 クレアが『獣王武人』について思い出さないようにしたシャロンなりの配慮だ。


 少しだけイラっとしながらも俺はシャロンの気配りに感謝し、クレアにわからぬよう軽く頭を下げた。

 何度見てもシャロンの魔法の力は凄い。クレアに気付かれず俺にメッセージを送るのだから。それを本人は涼しい顔をして行っている。


 この女、やはり底が知れない。

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