第69話 焦り、心配、計略
「クレア!?」
自分でも呆れるほど声が裏返っていた。
生唾を飲み込む音が響き渡る。
「あ、アイガ。よかった。お話終わったんだね。傷、大丈夫?」
クレアがいたことに俺は心臓が飛び出そうになっていた。
もし中での話が聞こえていたら。
そう思うとまた汗が滲みだす。
クレアは俺の怪我を心配してくれていた。
俺は今、タンクトップ姿だったため傷跡はすぐに判別可能であった。その肩をクレアがじっと見つめる。
その隙に俺はシャロンに目配せをした。
シャロンは軽くウィンクをする。恐らく『大丈夫』という意味合いだとは思うがそれでも俺は俄かにそれを信用できなかった。
「平気だよ。問題ないって」
俺は勢いよく疵のある左腕を回す。疵といっても既に痕が薄っすら残っている程度。疵の範疇に入らないものだ。
クレアは少し驚いた表情をしたがホッとしたようでニコッと笑ってくれた。
「そう……よかった。あれ? シャロン先生もいらっしゃったんですか」
このタイミングで後ろにいたシャロンに気づくクレア。
シャロンは偽善に満ちた作り物の笑顔をまるで仮面を被るように拵える。
「ええ。ちょっとお話を伺っておりました。クレアさんのほうはもう終わったと聞いておりましたが?」
「はい、でもアイガのことが気になって……残っていました。医務室にいるのは聞いていたのですが、鍵が掛かっていて入れなかったので待っていたんです。レオノーラ先生からは中の話し合いが終われば鍵が開くと伺いましたので。ただシャロン先生がいらっしゃったとは思いませんでしたが」
成程、そういうカラクリか。
俺は納得しつつ、クレアの様子から医務室内の話が聞こえていなかったことを確信した。
滲み出た汗はまだ流れているが、心にあった負の感情は消え去っていた。
「では、もう話し合いは終わりましたからお帰りなさい。二人ともごきげんよう」
シャロンが貴婦人のような振る舞いで廊下を歩く。
「あ、シャロン先生、すみません……」
そんなシャロンの背中を見送る中、クレアが声を掛けた。
直観的にクレアがシャロンに『獣王武人』のことを聞こうとしていると思った俺の脳味噌が今日何度目かの高速回転を始めた。
昨日の戦闘を一から思い返す。その時に微かに残った希望の欠片を思い出した。
先ほどまで何の役にも立たなかった脳味噌はここぞとばかりに正解を弾き出す。
「そうだ、クレア! あの髪飾り!」
俺の言葉にクレアが虚を突かれたようにポカンとした。
そして一瞬の間をおいて「あっ」と小さい声を出して、ポケットからあの緑の破片を取り出す。アルノーの森で失くした髪飾りの欠片だ。
俺はその髪飾りの破片をクレアから受け取るとシャロンに見せた。
「クレアがこの髪飾りをアルノーの森で失くしたんだ。どうせ調査部隊はまだあの森を捜査するだろ? 序でいいから残りの欠片を探してくれないか?」
まだ全面的にシャロンを信用していない俺は話をすり替えるためクレアの髪飾りの件を利用したのだ。
先ほど目を通した書類にどこにも髪飾りの文字はなかった。
クレアは髪飾りを失くしたことを報告書に書いてなかったし、調査団の報告書には髪飾りの発見など一切書かれていない。
つまりこのことはまだシャロンは知らない内容だ。
探してくれるかどうかは問題ではない。クレアの話が逸らせるかどうか。それが問題だった。
「ちょ、アイガ、いくらなんでも失礼だよ……アルノーの森に入っている調査団の人だって暇じゃないんだから……」
どうやらクレアもアルノーの森の件をある程度聞いているような口ぶりだった。
恐らくデイジー辺りか。
そうなら、話は早い。
そう思った俺はゴリ押しでも髪飾りの件を押し通そうとした。そうすれば暫くはクレアの頭から『獣王武人』のことが消えると思ったからだ。
「構いませんよ、別に」
微笑むシャロンにクレアの顔が少し明るくなる。
「本当ですか!? ありがとうございます。こんな不躾なお願い……でもやっぱり嬉しいです。その髪飾り、大切なものなので……」
決まった。俺は笑みが零れるのを必死に我慢した。
無論、クレアを騙すような形になったことに対する罪悪感は当然ある。が、それ以上にこの場を何とかしなければならないという思いのほうが強かったのだ。
「わかりました。では調査団の方々にお願いしておきますね。すみませんがその欠片ちょっとお預かりしてもよろしいですか? 調査団にお見せするので」
「どうぞ」
クレアの了解もあったので俺はシャロンに髪飾りを渡す。
何となくその破片を眺めるシャロン。
次の瞬間、シャロンの表情が一変した。
「これは!? もしや……減退魔法!?」
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