第68話 調査

 シャロンをまっすぐにこちらを見ていた。

 その瞳に宿る憂いは芝居には見えない。

 だがこの女が油断できないこともまた事実だ。


「貴方達の報告が嘘だとは思っておりません。レオノーラがアイガの傷を治療した時の診断書を見るにアサルト・モンキーと戦ったことは明白です。それに貴方達がそんな嘘を報告するメリットは皆無ですから」


 その言葉に俺の脳味噌が猛スピードで動き出す。

 先ほどまであった幻想はもう消えていた。


 シャロンの説明……

 それはどういうことなのだろうか?


 ほかの魔獣や獣が食べたのか?

 いやそれはない。魔獣の死体は魔獣でも食わない。朽ちて骨になるまで腐るだけ。


 凡庸な俺の頭では答えなど出るはずもなく、力なくベッドに座り直す。


「これは考えたくはないのですが……」


 シャロンは何かを覚悟したかのような眼で俺を見据えた。


「なんだ?」


 俺もその覚悟に釣られてつい腹に力を込める。


「恐らくですが……何者かが魔獣の死体を回収したのではないでしょうか。調べられると困ると思って」

「え?」


 つい素っ頓狂な声が出る。


「何故そんなことをする?」

「魔獣に何かしらの魔法の痕跡があったためと思われます」

「あ?」


 俺は意味が分からず首を傾げる。

 シャロンはまた違う書類を空間から取り出し、その一枚を取り出し俺へと差し出した。


 そこにはこの前、侵入した魔獣、トライデント・ボアとシャドー・エイプの解剖写真が載っていた。


「それは先日この学園に侵入した魔獣の調査結果です」


 グロテスクな写真だが、魔獣の死体になれている俺はたいして問題にせず、そこに書かれていることをチェックする。


 そこで気になる一文を見つけた。


「おい、この『魔獣に何かしらの魔法の痕跡アリ」ってなんだ? 報告書のわりにえらいざっくりしているが……」

「それです」


 シャロンの手にはいつの間にか紅茶が注がれたティーカップがあった。魔法で出現させたのだろうか。


「その痕跡に関しては調査団ですら判別できませんでした。しかし、その痕跡というのが『魔獣を操る』という類の魔法なら……」

「何? それはつまりこの学園に侵入した魔獣が人を襲うように人為的に魔法を掛けられていたってことか?」

「そうです」


 淡々と答えるシャロン。少しだけいつもの鬱陶しい威厳が戻りつつあるような気がした。


「おい、そんな魔法があるのか?」

「ありません」


 シャロンは即座に否定する。


「はぁ?」

「つまり……契約魔法ですよ」


 その言葉に鈍い俺の脳味噌もやっと理解した。


「契約魔法なら調査団の調査でもわかりません。解析魔法が通用しませんから、契約魔法は。ですがそう考えるなら合点がいきます」


 解析魔法なるものは初めて知った。さらにその魔法でも契約魔法は調査できないとは。

 知らないことばかりで俺は驚くことしかできない。


「アルノーの森の魔獣もその魔法によって操られていた公算が高いです。そしてその死体を回収したのも調べられることを恐れてのことでしょう」


 シャロンはゆったりと紅茶を飲んだ。仄かな紅茶の香りがシャロンの焦燥をかき消すように漂う。


「成程。だが今回に限って回収したのはなんでだ? トライデント・ボアやシャドー・エイプは回収されていないぞ」

「そこはわかりません。考えられるとすれば単純に時間がなかった。若しくは上級以上の魔獣にその魔法を掛けた場合、痕跡が多く残ってしまうため回収をせざるを得なかった……等でしょうか……」


 俺は天井を見上げた。

 この前の魔獣侵入事件と今回のアルノーの森の事件が繋がっていたとは。


 そしてその影に謎の契約魔法の存在。

 この学園に来てここまで大きいイベントが連続で発生するとは……


 無意識に溜息が零れていた。

 同時に何かが心に引っ掛かる。


「?」


 暫く考えたが、結局それが何かはわからなかった。

 釈然とはしないが俺はその疑問は心の深奥にしまい込む。


「ほかに何かありませんでしたか? どんな些細なことでも構いません」


 シャロンの言葉に俺は脳を切り替え、必死にアルノーの森の激戦を思い出した。

 しかし、何も突破口になるようなことは思い出せない。


「ダメだ。報告書に書いた以外のことはない……はずだ……」

「そうですか」


 シャロンは立ち上がる。手に持っていたティーカップは空間の間に吸い込まれていった。

 俺も立ち上がり、ベッドから出る。


 その時、あの懸念が稲妻のように脳裏に走った。

 迷ったが俺はそれをシャロンに伝える。


「シャロン……」


 言うか、言うまいか、一瞬の躊躇が変な間を作った。言うと決めたのだが覚悟が揺らいだのだ。

 呼ばれたシャロンはキョトンとした顔をしている。


 瞬間にも満たない逡巡。駆け巡る策謀。

 オーバーヒート寸前の俺の脳味噌は結果として『クレアを心配させたくない』という想いに従うことにした。


 それは忌み嫌うシャロンに頭を下げるに等しい行為だったが俺はこの恥辱を受け入れる。


「シャロン……クレアが……その……獣王武人について……訝しがっているんだ」


 シャロンは立ち止まり、今までの焦燥感溢れる貌から邪悪な笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 だから嫌だったんだ。


 しかし、背に腹は代えられない。


「訝しがる? どういうことですか?」


 この女は理解しているはずだ。それでもこういった質問をしてくる。

 性悪が目を覚ました。


「『元に戻れるか』と聞かれた」

「戻れるじゃありませんか。今も現に人間の姿ですよ」


 業腹とはこのことだろう。腸が煮えくり返るほどの怒りがこみ上げる。殺意が漏れ、空気が歪んだ。


「ふふふ、流石に虐めすぎましたか。わかりました。そちらは私が何とかしましょう。貴方は上手く私に合わせなさい。彼女に全てが露見するのはお互いに避けた方がいいでしょうからね」


 シャロンはここへ来た時とは裏腹に少しだけ機嫌がよくなっていた。

 それとは逆に俺は殺意の衝動を抑えるのに必死だ。

 隣の診察室に入ると誰もいなかった。もとより人の気配はしていなかったので恐らくシャロンが人払いしていたのだろう。


「さて……対策は明日以降考えますか。今日はもう帰りなさい。クレアさんも既に帰宅しているはずですよ」

「クレアとは話したのか?」

「デイジー先生がお話を伺ったはずです。私自身はまだですので明日にでも聞きます。貴方の件もそこで取り繕いましょう」


 そうか、と小さく呟き俺はシャロンより先に廊下に出た。

 一分一秒でもこの女といるのは息が詰まる。そこから抜け出したという思いが礼節を欠くとわかっていても先に部屋を出るという行動に出たのだ。


 俺は勢いよく扉を開ける。

 その瞬間驚いて身体が固まってしまった。


 そこにはクレアがいたのだ。

 俺の背中に焦りや恐れを具現化したような汗がじんわりと流れだした。

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