第67話 焦燥
俺は医務室にいた。怪我の治療のためだ。
この学園の医務室は、嘗ていた世界の保健室と殆ど相違ない。
違う点があるとすればだだっ広いくらいか。
俺はベッドに座っている。その部屋はベッドが四つ並んで置かれていて、それぞれがカーテンで仕切られていた。
頭側の壁には窓がある。生憎の曇天だが。
足側の壁の端に扉があり、向こうの部屋へ行けるようになっていた。
向こうの部屋こそ、保健室というイメージにピッタリの部屋で、診察用のスペースがあり簡易的な机、椅子が置かれている。
その部屋の壁には沢山の薬品や医療行為に使うであろう器具が綺麗に整頓されていたが、魔法の世界で果たしてあれらは使うのだろうか、と俺は疑問に思っていた。
さらにその部屋の向こう側には薬品を補完するための部屋があるらしい。そこは見たことが無いので詳細はわからない。
ゴードンの奇襲から既に三十分ほど経過している。
レオノーラ先生は俺の肩の傷口を一瞬で治癒した後、呼び出されたのか部屋を出て行ってしまっていた。
俺も出て行こうとしたがそこへデイジーがやってきて、俺はそのまま医務室に待機していろと命令されたのである。
一体いつまでここにいればいいのやら。
いい加減、面倒になってきたのでそろそろ勝手に帰ろうかと思っていた。
「アイガ、いますか?」
そんな時、忌々しい声が聞こえてくる。シャロンだ。
「あぁ」
俺は適当に返事した。
シャロンはその返事を合図に俺がいる部屋に入ってくる。
ここは一番端っこだったためか幾分スペースがあった。シャロンはゆったりと丸椅子に腰かける。
俺はふと違和感を覚えた。
いつものシャロンとは違うと感じたからだ。
あの癪に障る余裕が感じられない。
焦燥、その二文字が悪霊のようにシャロンにとり憑いているよう見えた。
どうやら事態は俺が思う以上に深刻なようだ。
「お怪我は大丈夫ですか?」
シャロンの視線が俺の左肩に向かう。怪我の具合を確認しているようだ。
「あぁ。問題ない」
既に治療された俺の肩は薄っすらとした傷跡しかない。制服も魔法石の魔力で修繕済みだ。
ただ、今制服は脱いでいる。白いタンクトップ一枚だけだ。
俺の肩を抉ったのは魔法による斬撃らしく、切れ味が良かったため逆に治しやすかったとレオノーラ先生は言っていた。
「それはよかった」
「心にもないことを。それよりゴードンは?」
「現在、意識はありません。命の危機は無いようですが、万が一のことを考え現在レクック・シティの病院に送ったところです。後はそちらからの報告待ちですかね。全く……何が何だかわかりませんわ」
俺の皮肉を受け流し、シャロンはゆっくりと嘆息した。
「そうか……」
シャロンの様子からゴードンの容態は推察できた。
俺も心配だ。ゴードンは明らかに異常だった。
あれは一体何だったのだろうか。脳内に疑問符が溢れる。
しばらく間をおいて、
「一応、デイジー先生が見ています。それにしても……何故彼がこのような狼藉を……オークショット家とあろうものが……」
と溢した。
シャロンはまた溜息を吐く。
そして何もない空間から数枚の紙を出現させた。
恐らく魔法だろう。その紙の束を俺が座るベッドの上に置いた。
「とりあえず……貴方に聞きたいことがあります」
「なんだ、これは?」
「昨日の報告書の写しです。レクック・シティのワープステーションと学園にて提出してもらった二種類の書類ですが、ここに書いてあることに間違いはありませんか? 確認してください」
俺は二つの書類を黙読した。
どこにも問題はない。
実際に合った通りのことが書いてある。獣王武人を除いて。
俺は今朝、学校に登校してすぐにクレアが書いたような内容の書類を書いていた。寝ぼけまなこで書いたため字が汚いが虚偽の報告はしていない。
「あぁ、間違いない」
「そうですか」
シャロンはまた深く息を吐く。その姿は哀れにも見えた。
「実はこの報告おかしいことばかりなのですよ」
「おかしい? アサルト・モンキーか?」
俺の言葉にシャロンは力なく頷く。
「それも、です」
その一言に俺は無意識に「も?」と発した。
「アサルト・モンキーの件は異常事態です。あそこにアサルト・モンキーは分布していません。ただ、ハンマー・コングもおかしいのです。本来、ハンマー・コングは五~六の家族間の群れで行動する魔獣。こんな三十体以上という群れは今まで確認されていません」
俺は驚く。ハンマー・コングの件がおかしいとは思っていなかったからだ。
ハンマー・コングに関してはどこに住み着いていて、どういう攻撃をするか程度の知識しかない。群れの数までは把握していなかった。
「不審な箇所はまだあります」
シャロンは俺が持っていた書類の一部をトントンと指さす。
そこには俺とクレアの健康状態が書かれていた。
俺はレオノーラ先生に治療を受けた際に体調についてあれこれ聞かれていた。てっきり治療に関係するのかと思い正直に答えていたが、そのやりとりが書面として記録されていたようだ。
それらが提出した書類にまとめられていた。
「貴方達二人とも、体調に問題があったと書かれていますが具体的にはどういうことですか?」
「え?」
俺は再び書類をよく確認する。そこには確かにクレアも体調に異変が生じたという旨が書かれていた。
どうやらクレアも今朝、レオノーラ先生の下で俺と同じように健康状態に対する質疑応答を受けていたらしい。
「俺は体調不良……というかいつもより身体の動きが悪かったと報告したが……ハンマー・コング十数体の気配が読めなかったんだ。いつもなら気づけたはずだからな。それにアサルト・モンキーに打ち込んだ氣が何故か通りが悪かった。思っていた威力の半分ほどしか入らなかったし……力を見誤っただけだと思ったが……」
「成程。クレアのほうは眩暈や魔法の発動がいまいち上手くいかなかったと報告していますね」
まさか、クレアも不調だったのか。というか、あの戦いぶりで不調なのかとも思ってしまう。
シャロンは俺から書類を回収すると空間にしまい込んだ。文字通り、目の前の空間にしまうように書類を戻す仕草をすることで紙の束は消えてしまう。
「貴方達の報告の後、調査団をアルノーの森に派遣しました。あまりにも異常なことが多かったので。先ほどその調査報告があったのですが……結果は『何もありません』……でした」
「何も?」
何故かその言葉が引っ掛かる。
シャロンは先ほどとは違う書類を空間から取り出し俺の前に広げた。
そこには調査団が今朝アルノーの森に入ったことが詳細に書かれていた。
「そこにもありますが、アサルト・モンキーの死骸もハンマー・コングの死骸も無かったのです」
「なんだって!」
俺は立ち上がる。
あの死骸の数々が無かっただと。あり得ない。
死骸とはいえハンマー・コングなど重さは数百キロだ。それが幾つもあるはずなのに。
それが無かっただと?
「調査の折、アルノーの森には何一つ報告書の魔獣は発見できなかったそうです」
俺は愕然とした。驚きのあまり、声も出ない。
赤黒い雲が俺の心を覆っていく。そんな幻想が脳裏をよぎった。
それは焦燥と……
言いようのない恐怖だったのかもしれない。
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