第52話 クレア編~襲い来る敵

 そんな時、探知魔法に何かが引っ掛かる。嫌な予感を感じつつ後ろを振り向くと、アイガの後ろに下卑た笑みを浮かべる魔獣がいた。

 アルノーの森にすむハンマー・コングだ。


 危ない!

 もうこんなに接近していたなんて。


 何が、『私が守る』だ!

 全然守れていない。

 余計なことを考えてしまっていた所為でまたランガを危険に晒してしまった。


 私は自分に苛立ちながら、魔獣を睨む。


 なんでアイガの後ろにいるの?

 アイガを襲うつもり?


 そんなことはさせない。

 絶対に。


「へ?」


 素っ頓狂な声をあげるアイガに当たらないよう精緻に、そしてアイガを守れるよう一撃で仕留められるだけの力を込めた。


 私の脳内で瞬きよりも早く魔法陣が組み上がる。

 一から火炎を生成するのは間に合わなかったので右手で発動していた火炎の一部をそのまま火球に変えて放った。


 火球は見事にハンマー・コングに命中し、火柱が上がる。筋骨隆々の肉体も私の魔法の前では意味がない。どんな屈強な肉体も私の火炎は炭に変えてしまうのだから。


「サンキュー! クレア」


 アイガが満面の笑みでお礼を言ってくれた。


 でも私はその笑顔に応えられない。

 貴方は今、その化け物の接近に気づいていなかった。下手をすれば殺されていた。今私がやったように。


 いくら強い肉体があっても魔法を使う魔獣相手じゃあ意味がない。


「はぁ……」


 無意識に溜息が出る。 


「やっぱり、貴方はここにいるべきじゃない」


 わかってアイガ。貴方はこの世界じゃあ生きられない。言葉で説得しようとしたけどもう無理だ。アイガを説得する言葉なんて見つからない。


「え?」

「私がいなかったら今の化け物に襲われて死んでたわよ」


 私は斃したハンマー・コングの亡骸に近づく。炭化した死体から昇る嫌な臭いを我慢しながら。 

 一歩間違えたらこの死体がアイガだったかもしれない。

 そう思うと無性に怖くなった。


「化け物には気づいていたよ。襲ってきたらカウンターで仕留めるつもりだったんだ」


 一方でアイガは呑気なことを宣う。


 カウンター?

 見たところ、アイガは武器を持っていないし使う素振りすらなかった。

 つまり兵器の類がアイガの魔法の代わりじゃない。

 じゃあ、どうやって斃すというの?

 ポケットにしまえる程度のナイフや拳銃で?

 そんなナイフじゃ勝ち目なんてないし、この世界にそんな小さい拳銃を作る技術なんてない。


「どうやって?」


 私は少し苛立っていた。

 それは自分への怒りもあるけれど、どこかこの世界の厳しさを理解していないアイガに対してもだ。


 ここはアイガが考えるより恐ろしい世界なのに。それをわかっていない、わかろうとしないアイガに少なからず私は怒っていた。


「う~ん~そりゃもう俺の見事な廻し蹴りで」


 呆れる答え。きっとアイガは冗談のつもりなんだろうな。

 その答えを聞いて私の怒りは悲しみへと変わる。


 アイガは一度魔獣に襲われて死にかけているのに。それなのになんでそんな答えが言えるんだろうか。


「この化け物に? 廻し蹴り? 無理だよ、そんなの」


 私は近くに落ちていた枝を広い魔獣の亡骸を突っつく。


 炭となった死骸の一部がボロボロと零れた。 

 アイガを傷つけようとした報いだ。


「これ、魔獣だよ」

「知っているさ。アルノーの森に住む猿型の魔獣、ハンマー・コングだろ。毛むくじゃらの肉体は筋肉で覆われていて常に強化魔法で全身をコーティングしている打撃特化の魔獣。ちゃんと勉強しているよ」


 知識はあるんだ。


 じゃあ、なんでそんな冗談が言えるんだろう。


 その時、私の探知魔法にさらに魔獣が引っ掛かる。

 数は……十……二十……三十近い。


 しまった。

 さっきの奴は斥候か。

 そいつが死んで様子を見に来たのね。長居をするべきじゃなかった。


 私のミスだ。

 さっさと切り上げるべきだった。


 ダメだ。

 またアイガを危険に晒している。


「知識はあるようね。でもね、ハンマー・コングに素手で勝とうなんて無理よ」


 私は周囲の魔獣に気づかれないよう魔法の準備をする。脳内で魔法陣を組み立てていった。

 もう右手の火炎を維持する余裕はないので拾った枝に炎を映し松明を作る。


「わかっているよ。でも俺ならたおせ……」

「無理よ!」


 つい大きな声を出してしまった。

 いつまでも冗談を言うアイガに対して、アイガを危険に晒そうとする魔獣に対して、そしていつまでたってもちゃんとアイガを守れない自分に対しての怒りが爆発してしまう。


 あぁ、どうして私はいつもアイガに怒りをぶつけてしまうんだろう。


 彼は悪くない。

 悪いのは全部私なのに。

 一番嫌いな身勝手な部分がまた姿を見せる。

 本当に私は醜い。醜悪だ。


「無理よ。どうやったかは知らないけど……学園に迷い込んだ魔獣を斃したらしいけど……無理なのよ……貴方はここじゃあ生きられない。魚は陸では息ができないのと同じ。お願いだからわかって……」


 泣きそうだ。

 自分が情けない。


 心とは裏腹に汚い言葉をアイガに浴びせてしまった。

 

 違う。

 もっとちゃんとした形でアイガを説得したかった。それなのに、出てくる言葉はどれも酷いものばかり。怒りと悲しみが重なって私は感情の赴くままに言葉を吐いた。 

 

 アイガは耳を塞いでいる。

 そうだよね、こんな言葉聞きたくないもんね。


「ごめんね」


 やっとそれだけは言えた。

 よかった。安堵の溜息が自然と出る。


 でもきっと彼には届いていない。

 それでもいい。


 私はアイガに松明を渡そうとした。だけど中々受け取ってくれないから無理矢理手に持たせる。


「持ってて」


 やっと松明が渡せて私は少しアイガから距離を取った。

 彼を巻き込まないために。


 そしてもう一つ。こちらが本当の理由。

 私の心にまたどす黒い何かが生まれた。同時にそれが私の瞳を黒く濁らせる。殺意を帯びる貌。


 鏡なんてないから確実なことはわからない。だけど確信がある。

 今の私の貌はきっと鬼のようになっているはずだ。そんな貌、アイガに見せられるわけがなかった。だから私は距離を取る。醜い私をアイガに見られたくたなかった。


 どこまでも。

 どこまでも女の性が私を醜く染め上げる。自分でも辟易するほどに。

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