第43話 クレア編~涙の別れ

 私は覚悟を決めた。

 そんな私の表情を見てシャロンさんはニッコリと笑う。


「では、取り急ぎ、王都に行きましょうか。この世界で異邦人は手厚く保護されます。王都にもすでに報告してあるのでまずは一旦王都に向かいましょう。そこで色々な手続きをして住む場所などを決めます。貴方の場合ディアレス学園に来てもらわなくてはいけませんので王都に直談判して有力な力を持つ魔法学校の中等部に入れてもらいましょう」

「そんなことできるんですか?」


 その時だけ、シャロンさんの笑顔はどこか怖かった。初めて私は畏怖を覚える。


「貴方の潜在能力と私の力があれば問題ありません」


 すぐにその畏怖は消え、柔和な空気を纏うシャロンさんに戻った。これは私の気のせいだったのだろうか。


 また数秒間があく。

 意を決して私は昨日から思っていた疑問をシャロンさんにぶつけた。


「あの……アイガはどうなりますか?」


 この世界では生きられないと言われたアイガはどうなるのだろうか。それが私は気が気でならなかった。


「彼の場合魔力が全くありませんから比護の対象になる……と思います。魔力が全くない彼という存在はこの世界でも殆ど例のないことですが……だからといってぞんざいに扱うわけはないはずです。彼もあちらの世界からこちらへ来た人間ですから。王都に住むのは無理かもしれませんがどこかの施設で暮らすはずですよ。できるだけ私も尽力致しますし、そう悪い扱いは受けないはずです」


 その言葉に私は安心した。

 それだけが唯一の懸念だったから。


「では、出立はいつになさいますか? できるだけ早いほうがいいのですけれど……」

「今すぐにでも構いません!」


 私は迷わずそう答えた。


「いいのですか? まだ彼は目覚めていませんよ。別れを惜しむ時間くらいはあります」

「いいんです。アイガと話すとまた彼を頼ってしまいそうで……アイガにはいつも守ってもらっていました。ずっとずっと……だから今度は私が守りたいんです。一刻も早く彼をあっちに帰したいんです」

「そうですか。まぁ今生の別れというわけでもないですしね。住む場所が決まれば休暇の度に会えばいいのです」


 笑顔でシャロンさんはそう言ってくれたけど私はもうアイガに会うつもりはなかった。

 これは償い。彼においそれと会うわけにはいかない。


 それにさっきも言った通り、アイガに会えば私はすぐにまた彼を頼ってしまうはず。

 私は弱い人間だからこんな誓いすぐに破ってしまうだろう。


 それはダメ。


 絶対に達成しなければならない。

 だから私はアイガに会わずに行くことにした。


 そこへコンコンとノックの音が響く。


「どうぞ」


 シャロンさんが入室を促すと湯気が立つティーカップをお盆に乗せてハンネさんが入ってきた。

 私に一つ、シャロンさんに一つ、紅茶を渡す。


「では、これからの貴方の門出を祝って」


 そう言ってシャロンさんは一口紅茶を飲んだ。


 私もつられて紅茶を飲む。初めての味だ。私は今まで紅茶を飲んだことが無い。

 初めての紅茶の味はとても苦いものだった。口に残るその苦みは咎の味なのかもしれない。


 数時間後、すぐに準備は整う。

 外に出て改めて私はリガイアの空気を吸った。初めての場所なのにどこか懐かしい、どこか優しい、そんな味がした気がした。


 罪人風情が。と、すぐに心で自分を戒める。


 その時に初めて私は自分たちがどういう場所にいたのかを知った。


 それは小さな二階建ての建物だ。外観はログハウスで周りの森の風景と一緒に見ると避暑地にあるコテージに見えた。


 ここは王都護衛師団部隊の拠点の一つらしく、巡回の休憩や物資の運搬の中継地点として使用しているらしい。


 今も二階にはアイガが寝ている。

 無意識に私の視線はそこへと向いていた。

 最後の最後にシャロンさんの計らいでアイガに会うかと尋ねられたけど私は結局会わなかった。


 最後の別れはもう済ませたのだから。


 そっと私は自分の唇に触れる。そこに残るアイガの痕跡を未練がましく呼び起こすように。

 今度会う時はアイガをあちらの世界に送る時だ。


 そう決めて私はアイガと別れる。


 ハンネさんはアイガの療養のため残ってくれるそうで私は心から感謝した。その後のアイガの処遇も全部ハンネさんがやってくれるらしい。


「ありがとうございました。それとアイガを宜しくお願いします」


 私はハンネさんに深くお礼をする。


「任せてくれ。それより達者でな。クレアもこれから大変だから」

「私は大丈夫です。本当にありがとうございました」


 また私は頭を下げた。


 ハンネさんはニッコリ笑って私を抱きしめてくれる。

 あぁ暖かい。これが人の温もり。


 今まで体験したことのない優しい温もりに私はまた涙を流した。


 そしてハンネさんと別れ、私はシャロンさんと一緒に用意された馬車の荷台に乗る。


 そのまま舗装された道路をユラユラ揺られながら進んだ。

 

 シャロンさんは優雅に読書に耽る。私は幌の隙間から景色を眺めた。

 そこに広がるのは一面の麦畑。収穫期前なのか全て黄金色に輝いている。

 美しいはずのその景色に私は涙で目の前が歪んでしまってまともに見られなかった。

 

 アイガがいる場所はもう見えない。

 会わないと誓ったのにもう会いたくなっている自分がいる。


 本当に私は卑しい。

 私は私が大嫌いだ。憎くて、憎くて溜まらない。


 その自責の念が眼前の光景を歪ませる。一面の麦畑も香る微風も全て醜く汚れた。

 さらに一瞬だけだが私の視界から色が削がれ、匂いも感じなくなる。


 恐らく幻覚の一種なのだろうけど、その一瞬の何もない虚無の情景は私の脳の奥深くに刻みこまれた。


 瞬間芽生える恐怖。私の心で生まれた数多の異なる恐怖が絡み合い一つの化け物のようになった……気がした。


 それに慄きつつ私は馬車に揺られ決意の炎を改めて心に灯す。それが空元気と知りつつも。

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