第36話 クレア編~アイガとの出逢い
私の前に現れた人……
アイガだ。
「俺、ツキガミアイガ! 君は?」
突然話しかけられ私は驚いたけど目も合わせず、何も答えなかった。それからずっと無言。何を聞かれても一切答えなかった。
アイガは頭をポリポリ掻きながら他の子たちのほうへ行く。
私は折角差し伸べられた手を弾いてしまった。
心のどこかで「あっ」と小さな言葉が漏れる。どうして私はこんな行動をとってしまったのだろうか。
わからない。
わからなかったんだ。
愛を与えられたことのない私は愛を受け取る方法がわからなかった。だからアイガから出された手を弾いてしまったんだ。
ましてや同い年の男の子なんて私からすれば未知の生物と同じ。恐怖心と猜疑心が入り混じって私は彼を拒絶してしまう。
でも暫くしてアイガは私の隣に座り、一緒に絵本を読みだした。
いつも外で元気にボール遊びをしている男の子がなんで私と一緒に絵本なんか読むんだろう。寧ろ邪魔だ。そう思っていた。
私が離れてもついてくる。
正直、鬱陶しかった。
何度も止めてと訴えるけど彼は止めなかった。
「一緒に読もうよ。俺もそれ読みたいんだ」
「じゃあ、貴方に渡すから離れて」
「一緒がいいな」
無邪気な笑顔が何故か心に響いた。
それから私は諦めて彼と絵本を読む。
彼以外は一切私に話しかけない。施設でも孤独だったのにアイガだけはいつまでも私といてくれた。
それにアイガも私と一緒になった所為で施設の中で浮くようになってしまった。でも彼は誰にも文句は言わなかった。
私のペースでページを捲っても彼は何も言わない。ニコニコしているだけ。
始めは嫌だったそのひと時も私はいつの間にか心地よい時間に代わっていっていると感じていた。
この辺りから私の心が少し変わり始める。
やがて私は学校へ通うことになった。アイガや施設の他の子達も通う市内の小学校。
そこは地獄だった。
変わり始めた私の心を打ち砕くほどに。
施設の子だから、親が犯罪者だから、ハーフだから、女だから、喋らないから、何でもよかったんだと思う。
私はクラス中から虐められた。
教科書は破られ、机や椅子には落書き、トイレで水を浴びせられ、直接的な暴力もあった。言葉で詰り、私の全てを否定する。
あぁ、ダメだ。しんどい。辛い。母と一緒だった時に逆戻りだ。
そう思った時、いつも助けてくれたのはアイガだった。
私が虐められたら真っ先に飛んできてクラスメートと大喧嘩を始める。
他の男子が何人で戦ってもアイガはいつも勝っていた。でも子供の喧嘩とは思えないくらい怪我もしていた。
それなのにいつも怒られるのはアイガだけだった。
アイガは「気にくわなかったから」としか喧嘩の理由を言わない。私を守ってくれたのに絶対私の名前は言わなかった。
加えて他の人たちは誰もアイガの擁護なんてしない。
それに私が虐めのことを訴えても教師は何もしてくれなかった。絶対虐めのことは把握していたと思う。
きっと親がいない私達より親がいる子供達のほうを優先した方が楽だったんだとろうな。
施設の先生もアイガや私を怒ったけどアイガは絶対に謝らなかった。
それから毎日私が虐められる度にアイガが助けてくれた。
あの頃からアイガは私のヒーローだったんだ。
そんな学校生活は続き私は小学四年生になる。
アイガのお陰で学校には通えたけど正直毎日が辛かった。
アイガがいない時やアイガにわからないように酷い虐めがあったから。
それにアイガに助けられることでアイガがいつも傷だらけになる。それが何よりも辛かった。私の所為だ。私の所為でアイガはいつもボロボロだった。
でもここで私が学校に行かなくなったらアイガの行動が無意味になってしまう。そう感じたから私は学校へ通い続けた。
けど、私の心と身体はいつも限界ギリギリだった。
そして、あの運命の日。
五月十八日の深夜。
突然、施設の大部屋で寝ていた私を誰かが呼ぶ声が聞こえた。その声で目覚める私。
施設では男女に分かれて部屋で寝ることになっていたけど、小学生四年生以下はまとめて大きな部屋で寝かされていた。だから私の周囲には同学年や下の学年の子たちが寝ている。
誰かが私を呼んだ?
そう思って周りを確認するけど誰も起きてない。ぐっすり眠っている。
それでも聞こえる私を呼ぶ声。
『クレア! クレア!』
聞いたこともない声だ。
私は他の人たちを起こさないように静かに起き上がり、その声がするほうへと向かった。
なぜかはわからないけど、この声に従うべきだと感じていた。
どこか懐かしい、どこか頼もしい、どこか優しい、それは不気味と不思議を合わせたそんな声だった。それなのに信じるに値すると直感的に思っていた。
施設の外に出る。
鍵は閉まっていたけれど深夜の寝静まった頃に大人しい子が不意に出ていくくらいには不用心だったことが幸いした。
私は暗い夜の道を歩く。
私がいた施設は郊外にあって周囲には道路と田んぼしかない。その道路を一直線に歩く。
その日は雲の無い夜空で三日月が綺麗だった。
誰ともすれ違わず私は歩き続ける。
すると、それは急に現れた。
アスファルトの道の上に、何もない空間に現れた大きな白い穴。消しゴムでそこだけ掻き消したかのような楕円の穴。
本来、道路の向こう側は只管一本道なんだけどその白い穴の向こうは何も見えない真っ白な虚無だった。
普段なら悲鳴をあげるかもしれない。
でも私はそれを見て一切声を上げなかった。
怖いという感情もなかった。
私を呼ぶ声はどんどん強くなる。
『クレア! クレア!』
私は無意識にその穴に入ろうとしたが……
右手をガッと掴まれる。
驚いて振り返るとアイガがいた。
「ダメだよ! クレア! 行っちゃダメだ! それ、なんかおかしいよ! 怖いよ! 帰ろ!」
どうやらアイガは私の跡をつけていたようだ。
アイガが必死に私を説得する。
「帰ろうよ! クレア!」
繰り返されるその台詞。
それは呪詛の如く、滓のように私の心に沈殿していった。
帰る? あの地獄に?
アイガには申し訳ないが私はもう限界だった。嫌だった。あんな生活心底嫌だった。
何故かはわからないけどこの穴に入ればこの生活から抜け出せる。そう思っていた。
だから私はアイガの手を振り払う。
「帰る? 嫌よ! 私は嫌なの! こんな生活! アイガに何がわかるの! 毎日、毎日、虐められて……私虐められたくない! お母さんがいないだけで? お母さんが犯罪者だから? それとも私がハーフだから? 虐められるの? もう嫌だ! こんな人生もう嫌なの!」
それはアイガにぶつけるべき言葉じゃない。それはわかっている。なのに、私は自分から放たれる汚い言葉を止められなかった。
涙を流し、間違った怒りをアイガにぶつける。
馬鹿だ。私は本当に馬鹿で最低だ。
いつもボロボロになるまで私を守ってくれたアイガを私は傷つけた。その言葉を向けるべきはアイガじゃないのに。
「俺が守るから! 学校が辛いながら行かなくてもいい! 俺が一緒にいるから! ね! 帰ろう、クレア!」
アイガはそれでも私を説得してくれた。優しく微笑んでくれた。酷い言葉をぶつけたのに彼はずっと笑顔だった。
アイガは優しい。本当に。
でもその優しさが私を苦しめた。
私はアイガに背を向け、穴に飛び込む。
私は卑怯な女だ。ずっと守ってくれていたアイガにお門違いな怒りをぶつけ、それでも許してくれたアイガの優しさを踏みにじった。
その事実が怖くて、怖くて溜まらなくなった。だから逃げたんだ。自分の人生に辟易していたことと重なって無性に逃げたくなってしまった。
私は本当に卑怯な女だ。
私を生んだ母親と何一つ変わらない。
どうしようもないその事実に気づいた時、私の意識は遠ざかる。強制的に眠らされたような感覚。
そして気が付いた場所は……
見知らぬ川辺だった。
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