第35話 クレア編~全ての始まり

 私は日向ひなた紅愛くれあ


 これは私の物語。


 卑怯な女の物語だ。


 テーマは後悔。若しくは償い。


 何が始まりだったのか、今となってはもうわからないけれど……


 アイガと出会った時?

 この世界に来た時?

 魔法を覚えた時?

 契約した時?


 どれも違う。


 きっと始まりはあの忌まわしき日。


 私が生まれたあの日なんだと思う。そこから全てが狂っていたんだ。狂ったまま進んだから私の人生は歪が大きくなってしまった。


 そして……彼を……アイガを巻き込んだ。 

 


 私は日本人の母とアメリカ人の父の間に生まれたハーフだ。但し父の顔も名前も知らない。

 母は所謂売春婦だった。


 そしてたまたま出会ったアメリカ人の父と一夜限りの恋をして私が生まれた。

 母が言うにはその時にパスポートを見たからアメリカ人なのは間違いない。でも名前は読めなかったし、教えてくれたけど発音が良すぎて聞き取れなかった。そもそも本名じゃないかもしれない。

 ただ、そのパスポートが偽造じゃない限り間違いなくアメリカ人だった、とのこと。


 これは母が酒に酔い上機嫌だった時に話してくれたことだ。

 それはとても珍しいこと。だって母の機嫌は常に悪かったから。


 私は母に虐待されていた。

 殴られることなんて当たり前。水を頭から浴びせられたり、髪の毛を引っ張られたり。


 常に痛みが傍らにいた。


 母の人生はいつも自分だけのためにある。己のためにだけ生き、己の欲望に身を任せ、己以外は認めない人生。そこに私という異分子が生まれてしまった。その所為で母は自由を失い剰え貧窮してしまった。


 そんな中、他人の関心や同情を引くのは決まって幼い私。

 母はきっとそれが許せなかったんだと思う。


 じゃあ、なんで私を生んだのか。その謎は今もわからない。


 物心ついたとき、部屋はいつも暗くて臭かった。


 酒と煙草と気持ち悪い臭いに満ちていた。

 缶ビールの空き缶や袋が開けっ放しのおつまみ。ゴミだらけの床。そこを這う虫。

 臭い、汚い、気持ち悪い、それらが揃った最悪の部屋だった。


 そんな部屋で母はいつも怒っている。

 酒に溺れることでその怒りを緩和しているようだったけど母の怒りはそんなことじゃあ鎮まらない。


 だから毎日、嫌っている私を意味もなく殴った。

 酔っぱらっているから、イライラするから、男がいないから、なんでもいいから私を殴り続けた。


 最初は「ごめんなさい」と繰り返し泣き叫んだが、ますます母はヒートアップするだけ。誰も助けてはくれない。


 壁の薄いアパートのはずなのに、誰も私を助けてくれなかった。

 右隣には老婆、左隣は初老の男性がそれぞれ一人で住んでいることを知っていたけれど誰も私を助けてくれなかったし、警察すら呼んでくれなかった。絶対に私の悲鳴は聞こえているはずなのに。

 次第に私は我慢するようになる。泣いたらもっと酷い目に合うから。それでも母は結局怒るのだけれど。


「なんて薄気味悪いガキだ! 産まなきゃよかった! お前の所為で私の人生はめちゃくちゃだ!」


 そのセリフは未だに私の心に深く刻まれている。

 周囲にバレると思ったからか、それとも同じ女だったからなのか、顔だけは殴らなかった母。その代わり私の身体は痣だらけだった。


 そんな毎日の中で極稀に母が私を殴らない時がある。


 男がいる時だ。


 母の好みなのかだいたい外国人。欧米人特有の彫の深い男と逢う時だけ母は滅多に見せない笑顔になる。


 いつもとは違うメイクをして、男の人が好みそうな服を着て、色香を纏い部屋を出て行った。


 ごみ溜めのような場所に置き去りにされる私。


 そこには何もない。


 生きていくのに必要なモノなどなにもなかった。


 雨が降っていようが、夏の暑い時期だろうが、冬の寒い時期だろうがお構いなしで母は出て行った。

 幼子が生きていくことが困難なその部屋に独りおかれる恐怖。


 幼い脳裏に死が過る。

 出て行く母に泣いて縋る私。


「おいていかないで!」


 その言葉を口にしても母には届かなかった。


 見上げたところにあったのは、般若のような貌。汚物を見るように私を睨み、虫を潰すかのように私を殴った。

 本気で殺そうとする人間の力は子供じゃあ耐えられない。

 アパートの廊下を転がる私を一瞥することもなく男の元へ向かう母。


 私は咽び泣くだけだった。

 正直、母親の愛は欲しかった。でも殴られる恐怖や愛されていないことを理解した私はもう愛を諦めていた。


 飢えるということはなかった。きっとその頃の私は壊れていたのだと思う。

 束の間の愛情を感じていたなら私も愛を求めたのかもしれない。


 でも母は露ほどの愛も私には与えてはくれなかった。

 おきざりにされた私は外へと足を延ばす。そこにいても生きられないことはわかっていたから。


 公園で時間を潰し、腹が減ればコンビニのゴミを漁るようになっていた。

 恥など無い。幼いながらに『生きる』ということに順応した結果だ。


 そして何日か経つと母は帰ってくる。

 機嫌がいいときもあれば悪い時もある。その時にならなければわからない。


 私は祈るだけだ。


 そんな毎日。


 しかし、私が六歳の時、事態は急変する。


 母が逮捕された。


 覚醒剤だった。


 半狂乱で連れていかれる姿を私は如実に覚えている。

 警察がやってきて私は保護された。その時に婦警さんが私の身体を見て涙を流す。


 この人、なんで泣いてるんだろう?


 そう思った。私は自分のことなのにどこか他人事に感じていた。

 それから私と母は切り離される。流石にあんな母親の下ではダメだと行政が判断してくれたみたいだ。私は施設に入ることになった。


 これで私の生活は変わるのかな、そう思っていた。


 でも何も変わらなかった。


 アメリカの血が入っていることで外見が皆と違った私は施設でも浮いていた。加えて母以外の人間と接したことのない私は人と話す方法がわからなかった。

 誰も話しかけてくれないし、勿論私からも話しかけないでいた。


 心が壊れていた私は只管、無だった。

 部屋の隅でじっと絵本を読む毎日。

 遠目で何人かの子供たちが私を噂しているのはわかったが、だからといってどうすることもできなかった。


 その時現れたのが……

 私の大切な人だ。

 そして私が犯した罪を背負わせてしまった人なんだ……

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