第34話 願い

 不意にクレアと目が合う。

 怯えた眼。化け物を見る表情だった。


 覚悟はしていた。

 それなのに、心に突き刺さるこの感情は絶望という言葉すら生温いほどの痛みを与える。


 俺は歯を食いしばり、アサルト・モンキーが貫いた上着を探した。

 辺りを見渡してそれを見つけるとそこへ行き、上着を拾い上げる。

 背中の部分に穴が開いていたが充分だろう。

 俺はそれを腰布のように巻く。右腕が使えないので口を使って器用に袖を結び付けた。


 そして目を閉じ、心を静める。


「丹田閉塞……」


 全ての力を無力化する祝詞。


 身体から青い湯気を放ち俺の身体は人間へと戻っていった。

 獣毛や爪は消え、筋肉も戻る。顔も勿論人間の物へと変化した。

 鼻の骨折は治っていたが、右腕は依然として折れたままだった。ただ痛みは少しだけ引いている。

 腹部の怪我もそれ以外のダメージもある程度回復していた。痛みはあるがここまで回復すれば大事に至ることはないだろう。これは獣王武人の副産物で人間に戻る際にある程度、身体を回復してくれるのだ。


 但し、今の右腕のような大怪我の場合は回復してくれない。


 そして俺は半裸の状態だ。

 獣王武人を解いても戻らないもの、それが着ていた服である。布切れと化した服の残骸だけは戻らず地面に散らばっていた。


 そのため俺は唯一無事な上着を探したのである。穴が開いているとはいえ全裸よりはましだ。いくら俺でもクレアの前で裸を晒すほど馬鹿ではない。


 そんな滑稽な姿で俺は泣きそうになっていた。

 情けない顔をクレアに見られたくなかった。


 だから彼女に背を向けていた。

 傍から見れば可笑しな恰好だろう。

 覚悟は容易く揺らぐ。


 あれほど心に決めてなお俺は目の前のクレアの反応を直視できなかった。

 俺はこのまま顔を見せずに学園へ帰還するつもりだ。


 クレアとはもう会えないかもしれない。

 口も聞いてもらえないだろう。


 それだけならまだしも拒絶され厭悪されるかもしれない。


 その現実を受け入れたくなかった。


 ただ、願わくは。

 もう少しだけクレアと語り合いたかった。

 五年ぶりに会えたのだから。募る話も合った。思い出話に花を咲かせたかった。


 しかし……

 甘い未来を描きすぎた。

 クレアを守った。それだけで充分だ。


 そう俺は自分に言い聞かせ全てを絶念する。

 ただ、まだ現実に抗いたいのか涙が止まらない。


「え?」


 そんな時、不意に背中に伝わる感触。

 暖かい温もり。

 仄かに香る馨しき匂い。


 混乱する俺は事態が飲み込めない。

 数秒経って理解した。

 クレアが俺を抱きしめてくれていたのだ。


「え? クレア?」


 俺は慌てて振り返る。


「アイガ……」


 その時に見えた彼女の顔はあの頃と同じ暖かくて優しい顔だった。

 学園で会っときや、魔獣と戦っていたときの勇ましいものではない。

 思い出の中のクレアと同じ顔だったのだ。


「クレア?」


 拒絶されるとばかり思っていた俺は意味が分からず無様に慌てふためくことしかできなかった。

 夢ではなかろうか。いや夢ではない。

 こんなにも暖かい彼女の温もりが夢幻のわけがない。


 考えあぐねいた俺はクレアをそっと抱きしめる。

 理由はない。頭で考えた行動ではない。

 いうなればこれは本能によるもの。


「アイガ……」


 クレアの声を聴き、温もりを感じ、俺の全身に多幸感が降り注ぐ。


 これだ。

 俺が望んでいた現実だ。


 夢じゃない。

 彼女は俺を拒絶などしなかった。


 俺の五年間が今、やっと本当に報われた。


「アイガぁぁぁあああ!」

「え?」


 クレアが急に泣き出す。

 幼い子供のように、美しい顔をくしゃくしゃに歪ませるほど大粒の涙を流して。大音声で泣いていた。


「うわあああぁぁぁん!」


 どうすればいいのかわからず俺はまたそっとクレアを抱きしめる。

 それでもクレアは泣き続けていた。


 深淵の森に彼女の慟哭が響き渡る。

 俺は、ただ只管に彼女を抱きしめることしかできなかった。

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