第33話 獣王武人
天頂にある満月。俺はそれを眺めながら叫んだ。
体内から漏れ出る氣が具現化し、湯気として外へ流れ出る。
群青色だった氣は滅紫色へと変貌していた。まるで荘厳な天使の羽が堕天し邪悪に染まったような色合いである。
「ア……イガ? なに……それ?」
クレアの戸惑う声が聞こえた。それもそうだろう。この姿はあまりにも人智を越えているのだから。
もう人でない。ただの化け物だ。
月夜に照らされて俺の全貌が露わになった。
全身を包むダークブルーの獣毛。鋼の如き硬さと柳の如きしなやかさを併せ持つ。
屈強な筋肉はより膨れ、強く、硬く、人間の領域を超えたものになっていた。身長は少し伸び体重も重くなっている。尻からは尻尾が生え、だらんと垂れていた。
俺を包んでいた制服はただの布切れになり地面に散らばっている。そのため今は裸ということになるのだが羞恥するようなものは何一つない。化け物にそんな感情など不要なのかもしれない。
この姿になると耳と鼻がよく聴こえる。
顔は狼、体形は人。中身は魔獣に近い。
それが今の俺の状態。
獣人だ。
あの長方形の箱の中にあったのは『獣化液』と呼ばれる特殊な液体。あれを体内に投与し、氣を発動させることで俺の身体は人間から獣人へと変貌を遂げる。
右腕の痛みもだいぶとマシになっていた。が、傷跡は塞がっておらず、指は動かない。骨折までは治っていないようだ。
まぁ、問題ない。ハンデにすらならないだろうから。
鼻は変化が著しいせいか再生しているようで呼吸ができた。
ただ、鼻血が詰まって鬱陶しかったので俺は手鼻を噛むようにして詰っていた鼻血を押し出す。
勢いよく赤黒い血の塊が飛び出した。この姿でも己の血が赤いことに少しだけ安堵する。それに何の意味も無いことはわかっているのだが。
鼻がすっきりするとアサルト・モンキーの悪臭が鬱陶しいことがわかった。鼻が利きすぎるのも厄介だ。
俺は改めてアサルト・モンキーを睨む。
どうやら眼前の猿もこの姿の変貌に驚いているようだ。
少し狼狽えた表情をしたがすぐに殺気立ち、そしてまた消えた。
音もなく、臭いも無い。
つい先ほどまではパニックに陥っていたが、この状態になると感覚が研ぎ澄まされるせいか自分でも驚くほど落ち着いている。
「しゃ!」
俺は後ろの空間に思いきり左の廻し蹴りを決めた。
「ぐぎゃ!」
そこには瞬間移動したアサルト・モンキーの姿があった。
ベストなタイミングで決まった蹴りにアサルト・モンキーは目を見開きながら蹴り飛ばされる。手応えからして肋骨二、三本は砕いたはずだ。
ご丁寧に使えない右手の側から奇襲をしかけてくれたおかげで想像していた何倍ものカウンターが決まった。
この猿の瞬間移動による魔法はこの戦闘中幾度となく観察してきた。
その上であるルールがあることがわかった。
まず、必ず後ろに現れること。その際、右か左の斜め後ろに現れている。最初の奇襲もクレアを襲ったときも全て左右の違いはあれどほぼ同じ場所へ移動していた。
『空間座標』を用いるタイプの魔法ではなく、『相手の斜め後ろ』という条件を持つ魔法と推察した俺はその場所に向かって蹴りを放ったに過ぎない。
問題は右か、左か。この二択だったが俺の右手が使えないことを鑑みて狡い猿ならば右側にくると踏んだのである。無論、左だったとしても回転の度合いを強めれば充分対応できた。
結果、俺の予想通り、アサルト・モンキーの奇襲にカウンターを決めることができたのだ。
ふと、大地が輝く。
地面に転がるアサルト・モンキーがまた土魔法を発動したようだ。鈍く光る地面から一発の土塊が大砲のように射出される。
俺は気にしない。
腹に直撃する土塊。
だが無傷だ。
先程は無様に倒れるほどのダメージを負ったその一撃が今となっては、ぐちょぐちょの泥団子に等しかった。
ダメージはおろか、痛みすらない。感触だけだ。
俺は土塊が当たった場所を払う。土埃が舞いあがるだけでアサルト・モンキーも俺が無傷だと理解したようだ。
それを見てアサルト・モンキーが初めて怯えた眼をする。
少しだけ溜飲が下がった。
ただ、もう遅い。後悔では足りない。懺悔しろ。俺の大事な者を傷つけた意味を深く知れ!
俺は駆けた。彼我の距離を数歩で潰す。
「きぃぃいい!」
アサルト・モンキーが鋭い爪で迎撃してきた。恐怖心に苛まれたなりふり構わない攻撃だ。
俺は使えない右腕でそれをガードする。痛みはあるが肘までは動くので盾代わりには充分使えた。
アサルト・モンキーの爪が右腕にぶつかる。が、硬い獣毛と筋肉の壁に阻まれ、その爪は文字通り歯が立たない。
「引っ掻くってのはこうするんだよ!」
俺は左腕でアサルト・モンキーが攻撃してきた右腕を薙ぐ。
豆腐のように切断される猿の右腕。
「ぎしゃあああああああああ!」
アサルト・モンキーは血飛沫と断末魔を上げ崩れ落ちる。
俺の手足の爪にもアサルト・モンキー同様ナイフの如き爪があった。が、その切れ味は猿とは比較にならない。ナイフと形容したがそれは形だけだ。切れ味は日本刀に匹敵するのだから。
獣王武人のメリットは膂力の強化、感覚の鋭敏化、魔獣として爪など肉体の武器化。そしてあと一つ。
常時、氣が解放状態になること。
前にも言ったが氣は量によってダメージが変わる。少なければ大した威力は持たない。
そして通常の状態では氣は一度解放してから溜めるという手順がある。電気と同じで氣は溜めておくことができないからだ。溜めておくにも数秒程度が限界。
中級魔獣以下なら即席で生み出した氣で充分だが、上級以上となると数秒の溜めが必要となる。
アサルト・モンキーに後れを取っていたのもその辺りが原因なのかもしれない。
だがこの獣王武人状態ならばその溜めが必要ない。すぐに最大値まで生成できるのだ。それは急速充電と同じようなもの。
即座に溜め、即座に放つ。シンプルだがこれにより純粋な攻撃力が大幅に向上していた。
今の爪による斬撃にも当然氣が混ざっている。
切断された箇所から猛毒の氣がアサルト・モンキーの体内に侵入し、その体内を爆破していた。
アサルト・モンキーは血反吐を吐きながらのたうち回っている。
奴は今苦しみながら混乱しているだろう。
切断された腕の激痛とは別に体内を駆け巡る謎の衝撃という二重苦の中にいるのだから。
白銀の体毛が己の血液で赤黒く変色している。顔からは余裕が完全に消え青白くなっていた。
先刻とはあまりに違うその姿は無様を通り越して哀れにも思える。
それでも俺はこいつを許さない。
「死して贖え。俺の大切な人を傷つけた報いを」
血塗れのアサルト・モンキーの姿を見ても俺は冷酷だった。どこまでも深く、深く、冷酷になっていくのが自分でもわかる。
俺は己の左足に力を込めた。
「宵月流奥義! 月齢環歩! 『三日月』!」
廻し蹴りの『三日月』がアサルト・モンキーの右足にヒットする。
確かな手応え。
アサルト・モンキーの右足は、くの字に折れる。同時に俺の足の爪によって肉が削がれ、骨が丸見えになった。そこから夥しい血が噴水のように溢れる。
この状態でも勿論俺は宵月流殺法術が使えた。その威力は最早通常のそれとは桁違いに跳ね上がっているが。
体内を駆け巡る猛毒の如き氣の奔流と足を破壊されたことでアサルト・モンキーはもう動けない。死期を悟ったのか、恐怖に歪んだ顔で俺を見てくる。
それは哀願か、謝罪か。どちらにせよ、俺はお前を許さない。
俺は止めを刺すべく左手に氣を込めた。
「しゃあ!」
そのまま怯えるアサルト・モンキーを中空に蹴り上げる。
蹴り足を戻すと同時に地面を強く深く踏みしめた。
地面に踏み込んだ力が足先へ、足先から足首へ、足首から膝へ、膝から股関節へ、股関節から腰へ、腰から胸部へ、胸部から肩へ、肩から肘へ、肘から手首へ、手首から拳へ。
全てがほぼ同時というような拍子で駆動させる。
動く関節全てに意識を注いだ。
地面を踏んだ衝撃が螺旋を描きながら足先から全関節を通って拳へと伝うイメージ。
そのイメージのまま、ミサイルの如く突き出した左の正拳突きは中空に浮かぶアサルト・モンキーの胸に突き刺さる。
「祈れ! 己の神に! せめて安らかに逝けるようにと! 宵月流秘儀! 『
俺の拳が直撃した瞬間、アサルト・モンキーの背中が爆発した。皮が弾け肉と骨と臓物が飛び散り、あふれ出た氣がそれらをさらに遠くへと押し飛ばす。
アサルト・モンキーは即死しその場に崩れ落ちた。
「利き腕じゃなかったから加減を間違えたか」
俺は左手についた返り血を払い、踵を返す。
あれほど苦しめられたアサルト・モンキーを獣王武人により余裕綽々に完勝したがその心に去来するのは勝利の余韻などではなく只々絶望と恐怖だった。
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