第30話 紅蓮の切札
「ぐぉぉぉおおお!!」
燃え盛る屍の後ろから飛び出すハンマー・コングたち。
まだ十数頭はいた。
俺は臨戦態勢を取る。
「動かないで! 貴方は見ていて!」
俺の足元に火が走り、円を描いた。その円は俺を囲い、まるで境界線のようになる。
動けない。クレアの気迫とこの魔法陣から放たれる威圧感が俺の身体にストップをかけた。
俺は抗うつもりで試しに地面の砂を蹴る。
その砂が円に当たるとそこから火柱が上がった。
理解する。これは檻だ。
火の魔法によって組み上げられた檻。俺が出ようものならそこいらに転がるハンマー・コングと同じように焼け焦げてしまう。
無論、クレアがそんなことをするわけがないとは思っているが死なない程度に焼かれる危険もある。
クレアと目が合った。
驚く俺を悲しそうな眼で見るクレア。
その目を見て俺はもう抗うことを止めてしまった。
何故だか、これ以上彼女を泣かせたくないと思ってしまったのだ。
「大人しくしてて」
そう呟きクレアは俺から視線を外し、猛襲するハンマー・コングの群れを睨んだ。
「世界を紅蓮に染めよ!」
迫りくるハンマー・コングに臆することなく悠然とクレアが叫ぶ。その右手が真っ赤に燃え始めた。
そこに顕現したのは拳銃だ。黒を基調とし、グリップや銃身に赤いラインが走るオートマチックタイプの拳銃。
契約武器だ。
クレアはその拳銃でハンマー・コングの一匹を撃ち抜いた。
「ぎゃあ!」
弾丸は見事に命中する。そしてその瞬間爆発した。
ハンマー・コングの上半身が跡形もなく消し飛んだのだ。
それは最早ミサイル。サイズが拳銃になっただけのミサイルだった。
本来ハンマー・コングは中級魔獣に分類されている。
戦闘特化型とはいえ強靭な肉体に強化魔法でコーティングされたそのタフネスさから斃すより逃げた方が得だと言われている魔獣だ。
一端の魔法使いですら斃すのを諦めるレベルのはず。
それをたった一撃で退治するクレア。
ハンマー・コング達はそれでもクレアに襲い掛かる。
クレアは慌てず、狙いを定め、その引き金を引いた。
次々と爆死するハンマー・コングの群れ。
肉の焦げる臭いと獣臭が混ざる中、気が付けば炭化した死屍累々の山が出来上がっていた。
屍を焦がす小火が少しだけ森を明るくする。
その中で息一つ切らさず冷徹な眼で睥睨するクレア。拳銃をクルクルと器用に片手で回転させていた。
「クレア!」
そこへ、死体の山の中から一匹のハンマー・コングが奇襲をかける。溜まらず叫ぶ俺。
だが、クレアは気付いているようだった。
回転させる拳銃をすぐに掴みなおし、一瞬で狙いを定める。
そして撃つ。
しかし、このハンマー・コングは仲間の死体を盾にしてその銃撃を防いだ。
「へぇ~」
俺は驚くがクレアは全く動じていない。
近づくハンマー・コングから冷静に距離を取りつつ銃弾で迎え撃つが、ハンマー・コングは既にその弾道を見切っている。
あの個体は仲間を犠牲にして弾丸を見切ることに徹していたようだ。
「ふ~ん」
クレアは後ろに飛び、さらに銃を撃ち続けるがハンマー・コングには当たらない。
そして突如、クレアの拳銃がカチっと破裂音だけを鳴らす。弾丸は出ていない。弾切れを起こしたのだ。
「クレア!」
俺は例え身を焼かれようともクレアを守るためこの檻から飛び出そうとする。
「動かないで!」
クレアが叫ぶ。
彼女の目はまだ冷静だった。
一方でハンマー・コングはニタリと嗤いながらその腕を振り上げた。既に間合いだ。一撃で生物を粉砕するその腕は工事現場の鉄球にも等しい。
それが間近に迫る中クレアは左手で指鉄砲を造る。
その指で何かを指す。
俺の視線がそれに釣られた。
そこは地面。あったのは弾痕。
ハンマー・コングが躱したため標的を失った弾丸が地面を穿った跡だ。
俺は気付く。
それが何かの形になっていることに。
クレアはその指鉄砲をハンマー・コングに向ける。
「燃やせ!」
クレアの言葉と同時に弾痕が赤く輝いた。
五芒星だ。弾痕が五芒星を描いていたのだ。
そこから真っ赤に燃え盛る紅蓮の大蛇が生み出される。
紅蓮の大蛇は一瞬でクレアを襲うハンマー・コングを飲み込んだ。そのまま天へと昇る。
天を焼きながら昇る大蛇に驚いたのか、周囲の鳥たちがけたたましく逃げ惑った。
獣たちの阿鼻叫喚も聞こえる。
深淵の森が昼間かと思うほど明るく照らす炎の蛇は数秒で消えた。
中にいたはずのハンマー・コングは灰すら残っていない。
凄まじい。
やっぱりクレアは大天才だ。
一瞬で魔法陣を作り上げた。それも弾痕の急ごしらえの不完全な魔法陣。さらに詠唱も破棄している。
それであの威力の魔法を生み出したのだ。
彼女と初めて会った時の『紅蓮の切札』という言葉を俺は思い出していた。
「フレ……ア……ジョーカー……」
つい口に出る。
「その二つ名、嫌いなの」
クレアは静かにそう答えると拳銃の銃口から昇る硝煙を艶めかしく息を拭いて消した。
「さぁ帰りましょう。私は学園に。貴方は貴方の世界に」
俺の足元にあった火の円が消える。解放されたのだ。
それでも俺は一歩も動けなかった。
純然たる実力の差もあるがそれ以上に俺は彼女を尊敬していた。
まだ学徒でありながら中級魔獣の群れを颯爽と片づけるその実力。初めての魔獣退治……否、正確には初めてではないのだが、それに近い体験にも関わらず躊躇うことなく魔獣を殲滅したその胆力。
全てが規格外。
全てが圧倒的。
天才すぎる。
彼女と俺との間には埋め難いほどの差があることを実感した。
あの五年の修行で俺は追いついたと思っていたがそれはとんだ勘違いだったようである。
俺が成長した速度の何倍もの速さで彼女もまた成長していたのだ。
クレアの悲しい目が俺を射抜く。それは無言の圧力。
言葉を投げようとしても彼女の視線がそれを許さない。
しばし時が止まる。
時間の経過とともに身に染みるクレアの絶対的な拒否。
俺はそれでも彼女と一緒にいたい。
それに。
俺は守ってもらいたいんじゃない。
俺がクレアを守りたいんだ。
もう二度と。
彼女を泣かせない。
そのために、俺は五年間修業してきたんだ。
全てを捨てて。
例え、クレアに嫌われても、俺は彼女を守りたい。
「クレア! 俺は……」
その時だった。
俺とクレアは同時に同じ方角を見る。
死屍累々のハンマー・コングの屍に腰掛ける白銀の猿。
体躯はハンマー・コングよりも小さい。身長は二メートル弱。筋肉はがっしりしているがハンマー・コングの後に見ると見劣りがする。
貌は般若の如く。下顎を限界まで開き、汚い唾液が長い舌に絡みながらボトリボトリと滴っていた。
何よりも狂気が違う。ハンマー・コング以上の殺気。俺の全神経が慄くほどの狂気。そいつから放たれるプレッシャーはハンマー・コングと比べ物にならない。
「アサルト・モンキー!」
クレアが叫ぶ。
こいつはまずい。本当の化け物だ。
アサルト・モンキー。
ハンマー・コングの数倍以上の魔力と凶暴さを持つ最悪の個体。上級魔獣に分類され、一体で何百人も殺せる力を持ち、戦闘が主の魔術師ですら返り討ちに遭う可能性がある危険種。
何故こいつがここにいる?
アサルト・モンキーはアルノーの森には生息していないはずだ。
危険度七の領域に生息する魔獣が何故ここに?
そんな疑問が浮かぶ中、不敵にアサルト・モンキーが嗤う。
俺の背中に嫌な汗が流れた。
クレアが殺意を秘めた眼でアサルト・モンキーを睨み、拳銃の照準を合わせる。俺はそれにやや遅れて構えた。
最大限警戒している。片時も目を離していない。
それなのにアサルト・モンキーは一瞬で消えた。音もなく、気配すら感じさせずに。
「な!?」
気付いたときには遅かった。
白銀の猿は俺の背後で下卑た嗤いを浮かべていたのだから。
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