第31話 蹂躙
凍てつくような殺気。
俺の背後に突如として現れたアサルト・モンキーの鋭い攻撃が背中を掠める。
「アイガ!」
クレアの叫ぶ声が木霊した。
俺は死を如実に実感する。
しかし身体がそれを拒否した。
俺の精神を置き去りにして身体が勝手に動いたのだ。咄嗟の行動。シャドー・エイプの時と同じだ。
それが功を奏す。俺は上着のローブを脱ぎながらしゃがみ込んでいた。
アサルト・モンキーの攻撃は上着を貫く強烈な抜き手。サバイバルナイフのような爪がキラリと光る。
だが、その感触は思っていたものとは違ったらしく下卑た笑みを消して不思議そうな表情になっていた。
上半身裸になった俺はそれを見届けつつ屈伸のバネを利用して立ち上がる。身体を半回転させ迎撃のため切札を二つ、一気に発動した。
「丹田解放! 丹田覚醒!」
同時発動により俺の身体に浮かび上がる刺青が群青色に輝く。奮起する肉体がその鼓動に呼応して躍動した。
「え? なに?」
後ろでクレアの驚く声が聞こえたが説明は後回しだ。俺は『魔人の証明』によって強化された膂力でアサルト・モンキーにカウンターのアッパーを打ち込む。さらに氣もアッパーのために握り込んだ右手に集約した。
決まれば例え上級魔獣と言えど無傷では済まないはず。
「しゃああ!」
気合一閃。
だが、俺の一撃は空を切る。
「何?」
アサルト・モンキーは寸でのところで俺のアッパーを後ろに躱した。そのまま飛び上がる。
まずいと思った時には遅く、俺の胸に痛みが走った。
両脚で蹴られていたのだ。所謂ドロップキックだった。
「がはあ!」
俺は激痛を覚えながら後ろに勢いよく転がる。
カウンターを決められた。
がら空きの鳩尾に走る激痛が俺から呼吸を奪う。
鋭い足の爪が俺の肉を抉り、そこから飛び散った血が地面を染めた。
「この!」
後ろからクレアが拳銃を放つ。
紅い弾丸が数発、アサルト・モンキーに向かって飛んだ。
しかし、アサルト・モンキーはまるでダンスでも踊るかのように躱す。そして地面に両手を置いた。瞬間、地面が鈍く輝く。
「離れろ! クレア!」
俺は己の痛みなど気にせずクレアに向かって叫んだが遅かった。
クレアのいる周囲の地面が悪魔の爪のように隆起する。それは三角錘と円柱が合わさったような形で六本あった。
「な!?」
数瞬でクレアを覆った土塊の頂点が彼女の真上で重なると一気に横へと広がる。そしてテントのような形になり、クレアを包み込んでしまった。
「クレア!」
俺は急いでクレアの下に駆け付ける。
もし圧死していたらとよからぬ不安が脳裏を駆け巡った。
「クレア! 大丈……熱!」
土塊に触れようとすると凄まじい熱さを感じる。よく見れば土塊は薄らと赤みを帯びていた。
「大丈夫……私は大丈夫よ。炎の魔法で防いだから。それより貴方は早く逃げて! あれはヤバいわ! 早く!」
クレアの声が聞こえて俺は安堵する。
そして徐々にだが僅かに土塊が開いていった。中にいるクレアが炎の魔法で土の塊を押していたのだ。これにより完全に閉じることはなく圧死の心配はなくなる。
開く土塊の隙間から熱波が零れる。その隙間から見えたクレアは必至の形相だった。
クレアですら本気で魔法を発動しなければいけない相手。それがあのアサルト・モンキーなのか。やはりあの猿は上級魔獣だ。
師匠から教わったことを思い出す。
『中級と上級の魔獣の違いは単に強さじゃ。紙の上では中級の上に上級があるがその間には埋め難いほど雲泥の差がある』
トライデント・ボアやシャドー・エイプ、ハンマー・コングとは比べ物にならないその差を体感し俺は慄く。
だがとりあえず、クレアが無事なことに俺は安心した。そしてアサルト・モンキーを睨む。
白銀の猿は地面に手を触れたまま俺を馬鹿にしているように笑っていた。明らかな挑発だ。
俺は後ろのポケットに手をやる。
使うか、否か。
先程の攻防で俺は理解した。自分がこの猿に勝てないことに。
完璧なタイミングでカウンターを見舞ったはずがアイツはそれすら読んで回避した。挙句、ドロップキックなど非合理的なカウンターを決めてきたのだ。
格下相手だからこそできた芸当。
このままでは負ける。それは死を意味する。
ここでこの切札を使えばそうはならないだろう。
だが、それはクレアの前でするべきことなのか。
できることならそれは避けたい。
いつかは話さないといけないかもしれないが、それは今ではない。
一瞬の逡巡。
時間にすれば数秒にも満たない時間の中で俺の脳が高速で考え迷う。
その迷いが大きな隙を産んだ。
またアサルト・モンキーが消える。
二度目の消失によって俺の脳が強制的に思考を中断した。
俺は背後を勢いよく振り返る。
アサルト・モンキーはニタニタと嗤いながら立っていた。
但し、俺の背後ではなく、クレアの背後だ。
土塊で身動きが取れない彼女の後ろにいた。
そうか、アイツは最初から俺なんて眼中になかったんだ。
土魔法でクレアの動きを止め仕留める気だったのだ。あの狂気を孕んだ腕で。
俺は走る。
アサルト・モンキーを駆逐するために。
今、クレアは身動きが取れない。いくら彼女でもあの中では抵抗できないだろう。がら空きの背後からアサルト・モンキーがクレアを串刺しにすべく左手を勢いよく引いた。
俺は渾身の力を込め、氣を右手に集め、我武者羅に走り、アサルト・モンキーに殴り掛かる。
アサルト・モンキーは嗤いながら俺の攻撃を躱した。
この猿はまだ本気でクレアを仕留める気は無いらしい。
恐らく遊ぶつもりだ。俺という玩具で。
だがそれは好都合。狙いが本当にクレアに行く前に、彼女があの土塊から脱出するまでに、なんとか時間を稼がなければ。
俺は必至に攻撃を続ける。拳打と蹴りを織り交ぜて一心不乱に打ち続けた。
宵月流の技も何度か放つ。だがそれは焦燥からか技とは呼べない幼稚な攻撃だった。
アサルト・モンキーには一撃も決まらない。
魔獣の天敵となる氣も当たらなければ意味がない。
虚しく空振りを続ける俺の攻撃。
呼吸も忘れ技を繰り返した俺の肺が空気を欲した。身体が強制的に止まる。チアノーゼによる強制ストップだった。
その隙を狙われる。
俺は隙とは思っていない。攻撃が来れば迎え撃つ腹積もりだった。が、それは傲慢な考えだった。
鋭いストレートが俺の腹を穿つ。
脳味噌が沸騰しそうになるほどの激痛。思考も呼吸も全てが停止するほどの一撃。
そこから乱打の嵐だった。
今まで回避に徹していたアサルト・モンキーの尋常ではない速度が攻撃に回った時、為す術などありはしなかったのだ。
痛みが走る。
どこが痛いのかもわからいほどの激痛。
俺は顔と心臓をガードしながら防御に徹した。そうせざるを得なかった。
本能で急所をガードしたがアサルト・モンキーの攻撃はそんな俺を嘲笑うかのように急所など関係なく打ち込んでくる。
この魔獣の武器は爪だけではない。
筋量はハンマー・コングのように大きくはないが圧縮されていたのだ。普通の殴打がまるで鋼鉄の棍棒で叩かれているような攻撃だった。
それによって皮膚は削げ、肉は抉れ、血が飛び散る。
それでも俺はまだ諦めない。
一撃でいい。
一撃さえ決められれば、俺の氣がアサルト・モンキーを抹殺する。
その隙を虎視眈々と狙った。
いったいどれほど時間が経っただろうか。恐らく十秒程度のはずだが俺は体感として何十時間にも感じていた。
それでも精神力だけで意識を繋いだ。
そして不意に訪れる静寂。
アサルト・モンキーの攻撃が止まった。
ここだ!
俺はボロボロの身体で強く踏み込んだ。
動くだけで痛みが走るが俺はそれら全てを無視する。奥歯を噛みしめ、拳を硬く握り締める。
臍で生み出された氣が背中に回り刺青を輝かせた。その輝きは刺青を伝って右手に集まる。
俺の右手が今、莫大な氣を蓄え、昂然と輝く。
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