第17話 氣術

 俺は獅子奮迅の如く猿に突っ込んだ。

 地面に着地したシャドー・エイプは腕を振り回して攻撃してくるが冷静に回避し、カウンターで左ストレートを猿の腹に打ち込む。


 瞬間、俺の左手から青い輝きが猿に流れ込んだ。

 猿の動きが止まる。こいつは今、自分の中に入ってきた何かに驚いていることだろう。


「ぎゅふ!」


 少し遅れて、黒い血反吐を吐くシャドー・エイプ。


「やはり……氣術か……」


 後ろでデイジーが呟いた。

 流石に知っていたか。


 そうこれは氣術。

 魔法を使う全ての生物が忌み嫌う失われた技法。

 それは魔力とは相容れない水と油のような関係。否、もっと酷い関係だ。

『氣』は魔力と混ざると毒になる。

 厳密には毒に近い何か。故に解毒魔法も効かない。体内の魔力と『氣』が触れ合うと激痛と吐血、そして体内を破壊していくのだ。ウィルスに近いかもしれない。人によっては爆発とも表現する。


 それが『氣』。


 この世界で魔法使いがより強い魔法を使うために進化していったのと同時に『氣』を強く恐れていった。

 魔力を持つ者は『氣』を持つことができない。自らの魔力と氣が混ざり自滅するからだ。だからなのだろうか、過去の優れた魔法使いは『氣』を徹底的に排除していったのである。

 己の天敵である『氣』を恐れるのは自明の理。

 これにより少数いた氣術使いも絶滅し、やがてこの世界の人間は『氣』というものを忘却していった、と聞いている。


 だが、密かに『氣』を研究していた者がいた。眉唾な存在で御伽噺のようにあるかどうかもわからない『氣』を真面目に研究していた者。それがシャロンだ。


 この世界に迷い込み、一切魔力が無かった俺はシャロンの研究結果である『氣』を体得した。非人道的な方法で。

 皮肉なことに魔力が全くなくこの世界で生きる資格が無かった俺だからこそ『氣』が使えたのだ。


 それは修行よりも辛い苦痛の日々だった。地獄という言葉が生温いと感じるほどに。


 同時に師匠から徒手空拳でも戦えるように拳法、宵月しょうげつ流殺法術を学ぶ。その宵月流と『氣』を融合させた武術によって俺はこの世界で戦えるようになったのだ。


 『氣』だけでは不十分だった。例えるなら普通の人間が大砲を担ぐようなもの。使いこなせないのだ。だから身体を鍛え、拳法を覚え、『魔人の証明』で下地を造り、何とか大砲を持てる身体に仕上げた。


 『魔人の証明』、『氣術』と師匠より賜りし『宵月流殺法術』、そしてあと一つ、最後の『切札』。この四つが魔力を持たない非力な俺が死に物狂いで手に入れたアイツを守るための……俺だけの武器だ。


 シャドー・エイプは血反吐を吐きながらのたうち回る。


 俺の丹田より作られた『氣』は全身を駆け巡り、投打を通じて相手に流れ、その体を内から破壊していく。

 シャドー・エイプは今、俺が打ち込んだ『氣』によって内臓がズタボロのはず。そしてヤツ自身は何が起こっているかわからないだろう。自然界に存在しない天敵である氣を今初めて喰らったのだから。


 漸く痛みが引いたのか、シャドー・エイプが動き出す。まだ血反吐を吐いており、怯えた目で俺を見ていた。


 それでも俺は容赦などしない。雑念を振り払い、シャドー・エイプに止めを刺すべく力強く踏み出す。

 丹田より流れし脈動が背中で活性化した。背にある傘連判状の文字が鈍く輝きその光が背の文字を伝って全身へと伝っていく。


「宵月流奥義! 月齢環歩げつれいかんほ! 『三日月』!」


 俺は体重を乗せた渾身の左廻し蹴りをシャドー・エイプの右足に決めた。直撃の瞬間、魔獣の骨が砕ける。

 シャドー・エイプは呻き声を出しその場に崩れた。

 攻撃に使った左足をそのまま地面に深く落とし、軸足にする。

 身体を回転させ、握り固めた右拳を解き放った。


「月齢環歩! 『既朔』!」


 全身を駆動させ、カーブを描きながら撃った右の拳がシャドー・エイプの胸部に決まる。

 同時に流れ行く瀑布の如き氣の濁流。


「ぎゃ!」


 短い断末魔のあと、シャドー・エイプは目、鼻、口、耳から赤黒い血を放ち、手足の爪も剥がれそこからも血を飛ばし、絶命した。

 猿の胸部には俺の拳の後がくっきりと刻まれ、俺の手には骨を砕いた感触が残る。


 宵月流殺法術はこの世界で古来より脈々と受け継がれる徒手空拳の拳法である。

『氣』を使うことを前提にして作られた拳法であり、魔法を扱うものを死に至らしめる恐るべき拳法だ。故に『殺法』と付く。


 その中の奥義の一つ、『月齢環歩』。

 これは十五の月齢を冠した技で構成されており、どの技から入っても次の月齢の技に続くよう、つまり連撃できるように組み込まれた演武のような技の集まりである。

 今、三日月を打ち、止めに既朔を決めたのだ。

 本来ならここからまだ技は増えるがシャドー・エイプ相手なら二つで充分。


「しゃあ!」


 俺はシャドー・エイプを斃した右手に払う。そこにこべりついた感触を拭うかのように。

 所詮は猿一匹。斃したところで褒められることは何一つないが、久々に『氣』を使って大暴れできたことで俺の闘争心がゆっくりと鎮火していった。


 後ろを振り返るとデイジーとゴードンが何かを言いたそうな顔で見ている。二人が何を言いたかったのかはわからない。


 ただ、ゴードンの目は先ほど斃したシャドー・エイプの今際の際と同じ目だったような気がしていた。

 怯えた目だ。


 俺は目を逸らし天を仰ぐ。ゴードンの視線が俺の心からあらゆる感情を削ぎ落とした。ついさっきまであった爽快感や戦闘の興奮など全てが削れていく。


 最後に残ったのはドロっとした形容し難いぬめりのような感情だけだった。

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