第15話 契約

 背後のグリフォンが嘶いた。同時に再びデイジーの右腕に風が集まる。

 砂を巻き上げ、彼女を中心に竜巻が生み出されていった。


変形トランスフォーム!」


 デイジーは右腕を前に突き出す。同時に発生した風がその右手に集約されていった。


 そしてなんと彼女の手甲が変形を始めたのである。


 手首の部分にあった三本の爪の内、両端の二つが下部へ移動し正面から見ると三角形になった。背の部分の翼が広がり、宛らボーガンのようになる。肘部分まであった手甲の背はさらに伸び肩にまで達した。さらに掌には黒い穴が出来ている。まるでキャノン砲だ。


 あれは爪付き手甲クロー・ガントレットではなく、可変式手甲チェンジ・ガントレットだったのか。


「穿て! 『颱砲斬華ドゥーム・ストーム』!」


 デイジーが叫んだ瞬間、三本の爪が震え、その掌中に灰色の風の塊が生まれる。それは暴れるのを無理矢理抑止されているかのように轟音を掻き鳴らしていた。

 一秒にも満たない時間で集約された風の塊が手甲の周囲にあった風を飲み込みながら巨大化し、勢いよく放たれる。

 圧倒的な速度でその風の塊は猪の群れに命中した。途端に吹き飛ぶ猪たち。筋肉で覆われていたはずの猪たちは一瞬で肉片に変わる。


 細切れだ。


 風の塊が命中した瞬間に風の斬撃が発生し、周囲にいたトライデント・ボア四体を切り裂き、吹き飛ばし、四散させたのである。


 慄いていたクラスメート達も驚いたのかポカンとしていた。ただ一様に安堵しているのは遠くから見てもわかる。その場に座り込む者や咽び泣く者もいたが全員怪我はないようだ。


 契約者が契約によって施行する魔法はその者しか使えないオリジナルの魔法になる。契約魔法ユニークと呼ばれ、その威力は通常の魔法とは比較できないほど高火力。加えて通常の魔法を発動する際に用いる複雑な工程を全てすっ飛ばせるし、尚且つ魔力の消費も格段に抑えられるというとんでもない代物。

 全てにおいて通常の魔法とは一線を画す存在である。


 トライデント・ボアを呻く暇も与えずに瞬殺したデイジーは右腕を振り下ろした。


 グリフォンがまた嘶く。同時に、彼女の右腕が仰々しい音とともに最初の手甲の状態に戻った。


「次は貴様だ!」

「ブフォ!」


 仲間を殺された怒りからかトライデント・ボアのボスは雄叫びを上げる。怒りに身体を震わせ、地面に前足を叩きつけ、その目は殺意に満ち満ちていた。


 そしてボスは勢いよく走り出す。


「ブフォォオオオ!」


 咆哮を上げるトライデント・ボアのボスの角が青白く輝く。その輝きは一瞬でボスの身体を覆った。猪の軌跡も合わせて輝きそれはまるで一本の槍のようだ。角と牙は刃に見え、まさに三又槍トライデントの如し。


「ヤバい!」


 俺は身構える。咄嗟に後ろのポケットに手をやった。危機感と警戒心が一気に跳ね上がる。


 魔獣の本来の意味は『魔法を使う獣』だ。

 そう、魔獣は魔法が使える。但し人間のように色んな魔法が使えるわけではない。こいつらは各個体で使える魔法が限られている。


 トライデント・ボアの場合は角から無属性の強化魔法で全身をコーティングし己のスピードとパワー、そして硬度を高めるといったもの。シンプルながら侮れない魔法だ。

 魔獣のランクはその個体の強さともう一つ、複雑な魔法を使えるかどうかで変わる。トライデント・ボア自体の戦闘力は高いが複雑な魔法は使えないため討伐自体は容易ということで下級ランクなのだ。


 また、もう一つ魔獣の特徴を上げるなら魔獣は魔力を感知できるという点。その上で一番魔力の高い者を狙う習性があった。


 ただ、魔力が己自身より高い場合は様子見をして、勝てないと踏めば逃げる狡賢さもある。非常に厄介だ。


 俺は後ろのポケットに手を置きつつ思考する。

 あれだけ静観を決め込んでいたこのボスがここでデイジーがいる方向に走る意図がわからなかったからだ。


 仲間が殺されてキレたのか?


 それでも契約武器を顕現しているデイジーは圧倒的な魔力を放っているはずだ。魔獣としての性質から考えれば逃走しか選択肢はないはず。その性質を上回るほどの激情に駆られているのか?

 セオリーでは考えられない行動をとるこの個体に俺の危機感が警報を鳴らす。いくらデイジーがいるとはいえ、特殊な攻撃をされた場合俺の後ろにいるゴードンは回避する手段がない。その時に備え俺は後ろのポケットにあるアレをいつでも取り出せるようにしていた。


「力量の差もわからず突っ込んでくるとは愚かな!」


 デイジーはトライデント・ボアのボスを見据えたままそう断言する。その時の彼女の背中は何故か頼もしく思えた。

 デイジーは手甲の右手を硬く握り閉め下に構える。それに合わせてグリフォンが翼をはためかせた。


「斬り裂け! 『颱剣猛星スプラッシュ・クラッシュ』!」


 彼女は思いきり右腕を下から上に振り上げる。


 瞬間発動する暴風の魔法。爪の切っ先から放たれた三本の風の刃が一直線にトライデント・ボアに命中した。


 歴戦の傷跡があった体表を意とも容易く切断し、三枚おろしの如く切り裂く。血飛沫が舞う頃には青白い輝きは消え、トライデント・ボアの赤黒い血で地面が染まっていた。肉塊が遅れて地面に落ち、血溜まりの上で死骸が肉と血を飛び散らせた。

 強化魔法で覆われた魔獣の突進をまるで関係ないと言わんばかりに無慈悲に切断した風の魔法。その圧倒的な攻撃力は見事というしかない魔法だった。


 あっという間に魔獣を撃破したデイジーは手甲をおろし、威風堂々と立つ。

 その様に俺の中で彼女に対する敵愾心が小さくなり、代わりに尊敬と憧憬が入り混じった感情が大きくなっていく。


「ふぅ……」


 俺はその感情を払う。

 数秒瞼を閉じ、杞憂に終わった危機感を鎮めた。加えて後ろのポケットに入っているアレを使わずに済んだことに安堵する。


「がは!」


 そんな折、デイジーがいきなり血を吐いてその場に跪いた。


 何故?


 彼女は一度もトライデント・ボアの攻撃を受けていない。何故彼女が血を吐く?


 契約におけるデメリット?


 そんな話聞いたことがない。

 パニックになる俺を他所にデイジーはまた血を吐く。地面に鮮血が零れ白銀の手甲は雲散霧消した。背後にいたグリフォンは悲しそうな表情で消失する。


「大丈……」


 問いかけの途中でデイジーは俺に向かって手を翳した。恐らく問題ないという意思表示なのだろう。そのままゆっくりと手で血を拭いながらヨロヨロと立ち上がった。呼吸を整えているようだ。


 何が何だかわからず、俺は茫然とそんな彼女を見ているだけだった。デイジーの目は血走り、口からは未だ血が流れている。魔法に関係なくダメージを受けているように見えるその姿は先ほどまで圧勝していた人間とは思えないほど憔悴していた。


 その時である。


「ギャッホ!」


 突如唸る獣の咆哮。

 後ろを振り返ると俺の影から一匹の猿が飛び出していた。


 黒いオランウータンのような猿だ。手の先にはアーミーナイフのような太くて鋭い爪があり、明確な殺意をもって鈍く光っていた。


 不意を突かれたため俺は対処が取れない。

 パニックになりながらどうすべきか思案するが禍々しい猿の爪はもう俺の眼前に迫っていた。

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