第三章

第178話 雨

 赤子が泣くように六月の空は激しく雨を降らした。

 それは正しく土砂降りというのに相応しい。


 俺はレクック・シティのワープ・ステーションで雨宿りしていた。

 一つの任務を終え、ここに戻ってきたとき丁度、この雨にぶつかったのだ。

 遠くのほうに浮かぶ雲は切れて空が見えている。故にこの雨も直に止むだろう。


 俺は、ステーションに併設されているベンチに腰掛け、傘をさす人、雨に濡れる人、走る人、諦める人を眺めていた。


 ガイザード王国の気候は日本と似ている。が、この国に梅雨はない。

 雨季はあるのだが、それも今ではない。また、梅雨独特のジメジメとした鬱蒼とする湿度の猛攻も存在しなかった。

 この雨はただの通り雨だ。


 だが、六月に降る雨とは否が応にも元いた世界を思い出させる。

 懐かしい思い出に浸るほどの年齢でもないが、感傷に浸ることに年月は関係ないのかもしれない。


 在りし日の頃。

 あの雨の日。

 隣にいたのはクレアだ。子供ながら相合傘をしていた。俺の右肩はビショビショに濡れていた。

 それを苦痛に思ったことはない。寧ろ濡れるほど誇らしかった。

 

 懐かしい思い出だ。

 そんなことを考えていると雨足も徐々に弱まっていく。

 雲の鈍色が薄まり、空の青色が広がっていった。

 

 もうすぐ止むのだろうな、この雨は。

 

 ガイザード王国の月は十二ある。俺たちが元いた世界と同じだ。

 また、こちらの世界では四月から年度がスタートしている。これもまた日本と同じだった。

 

 ただ、元いた世界とはかなり社会のシステムが違う。

 学生のスケジュールとしては四月、五月と勉強し、六月に中間試験がある。その後、七月を超えて八月に前期期末試験だ。

 それを終えると九月は丸々休みになる。元いた世界でいうなら夏休みなのだが、九月というのはガイザード王国の建国記念日があるらしくそのための休みなのだ。

 

 この月には盛大に祭りを行うため子供も大人も関係なく忙しない。全てにおいてこの祭りが優先されるのだ。

 

 そして十月から学校が再開し、十一月を超えて、十二月にて中間試験。

 一月を過ぎて、二月に後期期末試験があって学校が終了。

 三月も丸々休みになる。

 三月の休みは次の年度の準備とされている。

 

 ただ、十二月の中間試験の後少しだけ年末年始の休みもあるらしいのだが。

 社会人もこれに準拠している。

 まぁ、三月の休みは学生ほどないらしいし、代わりに年末年始の休みが多いなどこの辺りはまちまちだ。

 

 また、『四月』を四月と呼称するのは異邦人だけでもある。

 ガイザード王国ではそれぞれの月には名前があり、数字では区別していない。外国のそれと同じだ。

 英語のエイプリルみたいなものだろう。もっと例を出したいが、生憎俺は四月をエイプリルということしか知らない。

 エイプリルフールという言葉のお陰だが、ほかの月の英語なんて知らなかった。

 

 ガイザード王国では異邦人のことを考え、四月、五月といった数字での呼称でも問題ない。

 その辺りはありがたかった。

 

 そして、今は六月。

 前期の中間試験が目前に迫っていた。


 ウィー・ステラ島の戦いから既に二週間が経過している。その状態で中間試験を予定通り行うのだからやはり魔法の学校とは俺の常識からは逸脱していた。

 もう慣れてしまってはいるが、驚かずにはいられない。

 

 そう、すでに学校は再開され、ゴードンも退院し、日常が復活していたのだ。

 クラスメートたちは心に傷を負ったと思っていたが、存外大丈夫そうだった。

 それどころかその瞳にはメラメラと決意の炎が灯っている、ような気がした。

 

 こんなに早く学校が再開していいのか、と思ったがこれは杞憂に終わる。

 どうやらウィー・ステラ島でテロリストと戦った際にゴードンが発した言葉にクラスメートたちは覚醒したようだった。


 彼らは覚悟を決め、そして魔法使いの矜持と本懐をその身に刻んだのだ。

 だからこそ、必死に学び、鍛える。

 その姿は武骨だが、美しかった。

 何かをなすために行う努力はまっすぐであればあるほど、美しいものだ。

 その輪に入れない俺としては羨望と嫉妬の中で歯痒いと思っていた。

 

 魔法が使えない。

 だから彼らには永遠になれない。


 昔は別にそれをなんとも思わなかった。

 魔法が使えない。ちょっと使いたかったな。

 その程度だった。

 

 しかし、今は違う。

 クレアと再会し、ロビンという友ができた。ゴードンという友ができた。サリーやジュリアと知り合えた。


 そうなると魔法が使えない自分が仲間外れに見えてしまうのだ。

 否、仲間外れだ。それは間違いない。それを再認識されるのが堪らなく嫌だったのだ。

 

 無い物強請りなのはわかっている。

 それでも俺は今、心底魔法が使いたい。


 クラスメートと同じように修練を積みたい。

 あの輪に入りたいのだ。

 仲間外れになりたなくない。


 なんと幼稚な願いだろうか。叶わないとわかっているのに願うほど俺は浅はかだった。


「はは」


 渇いた笑いが自然と零れた。

 行きかう人は俺に気にせず、曇天を眺めながら歩を進める。

 

 もう雨は止んでいた。

 俺は立ち上がり、学校に向かって歩き出す。

 

 現在、俺に与えられる任務はいつも以上に雑多なものだ。

 シャロン曰く、まほろばの事後処理でギルドから回ってくる任務を精査している暇がないらしい。それもそうだろう。

 だから、簡単だが面倒で量が多いものを幾つか回してくる。

 それを熟し終えた帰りなのだ。

 

 以前にも同じようなことがあった。その時は時間つぶしに公園に寄った。

 そこで踊り子のミリアと出会い、己の無知で彼女を傷つけた。

 愚かだった。本当に、救いようがないほど、俺は愚かだったんだ。


 不意にあの時も雨だったことを思い出す。

 最後に見せてくれたミリアの笑顔が俺の心を微かに温める。

 

 彼女は元気にしているだろうか。

 両足が義足の踊り子ミリア。

 彼女との邂逅は俺にとって掛け買いのないものになった。


 また、彼女に会いたい。機会があれば遠出してみるのもいいかもしれない。

 泥濘を歩きながら俺はあの時を思い出す。やはり、雨は感傷的になりやすい。

 

 今頃、クラスメートたちは自習に励んでいるだろう。もしかしたら魔法の研鑽に精を出しているかもしれない。

 中間試験といえど赤点を取るわけにはいかない。


 最悪、その成績によっては退学処分になるかもしれないからだ。

 妙なところでこの学校はシビアだった。

 

 だが、彼らにその心配はないだろう。

 全員真剣だった。

 退院したばかりのゴードンなどは遅れを取り戻そうと必死だった。


 そういえば、ゴードンはその活躍が認められたのかクラスメートの蟠りは前と比べてかなり減っているように見受けられた。

 これは喜ばしいことだ。

 

 俺自身はまだ壁を感じているのだが。


 さて、中間試験だが俺は魔法が使えない。そのため普通に試験を受けるわけにはいかない。

 現状、俺が魔法を使えないことを知っているのはクレア、シャロン、師匠くらいだ。が、デイジーやパーシヴァル先生も知っているかもしれない。


 シャロンがどこまで話しているかはわからない。

 あの女は隠し事が大好きだからな。

 

 その証左に未だに俺は事件の結末を知らないのだから。

 俺たちを襲ったアンドレイがどうなったのか、ウィー・ステラ島が今どうなっているのか、全く知らされていない。

 断片的な情報しかないのだ。当事者なのに。

 

 本当に腹立たしい。

 心に蠢く怒りの埋火を必死に抑えながら俺は帰り道をひたひたと歩く。

 雨の残り香が、鼻孔を擽った。


「ん?」


 その匂いで俺は気づく。

 匂いの中に紛れて俺がよく知っている人間の匂いが混じっていたのだ。

 俺は振り返る。

 そこにいたのは……

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