第177話 クレアの密かな闘い(番外編)

 不意にお気に入りのオルゴールが鳴る。


 それを止めたとき何気なく見た窓辺。そこにあったカレンダーに目が止まった。

 オリエンテーション合宿までの日にちにバツを付け続け、残りはあと二日。

 そう、二日後にはもうオリエンテーション合宿だ。

 

 私はクレア。日向紅愛。

 異邦人として別の世界からこの魔法が使える世界に誘われ、『紅蓮の切札フレア・ジョーカー』の字名を賜りし者。

 

 そんな私が今、焦っていた。

 まさか、こんな事態になるなんて思ってもみなかった。魔法の世界に来て最大の窮地だ。正直、焦りすぎて目の前が真っ暗になっている。

 

 まさか……

 

 ジュリアがアイガに興味を示すなんて……

 これぽっちも予想していなかった。


 ジュリアのことだからどこまで本気かはわからないのだけれど。

 そもそも彼女の好みはもっとシュッとした……ホストみたい人がタイプだと思っていたのに……

 

 いや、アイガだってかっこいい。それこそその辺のホストなんか目じゃない。

 まぁ、ホストなんて見たことないけど。


 それにあの逞しい頼り甲斐のある筋肉は魅力的だ。はち切れんばかりに鍛えられたあの肉体はもう芸術だと思う。

 性格だって凄く優しい。私を守ってくれるあの優しさに何度救われたことか。

 

 そう……だからこそやばいんだ!

 

 そんなアイガにジュリアが興味を持つなんて考えもしなかった。

 このままじゃあ……本当にヤバイ!

 

 私は頭を振って思い出から現実に帰ってきた。にやついた顔を元に戻す。


 とにかく、ジュリアを何とかしないと……

 このままじゃあ……負けちゃう。

 

 私は今、下着姿だ。


 そして自分の部屋にいた。

 目の前には大きな姿見がある。

 そこに映る鏡像の中の自分。その姿をゆっくりと眺めた。

 

 昔ほど貧相な身体じゃあない。

 嘗て、私はこちらの世界に誘われたときにアイガを巻き込んでしまった。

 その時の後悔、贖罪の感情から寝食を忘れ魔法の修行に没頭していた時期があった。


 その頃は本当に必要最低限だけの食事と睡眠しか取らず起きている間はずっと魔法の修行に費やしていた。

 狂っていたんだ。自分でも可笑しいと思えるほど。


 その所為か当時、私の身体は骨と皮だけだった。

 肌には艶もなく、ハリもない。十代の肌とは思えないほど枯れ果てていた。


 だけど、サリーと友達になってからはちゃんと食事も睡眠も取るようになった。

 年頃の女の子らしい化粧やオシャレもするようになった。


 結果、私の身体は標準の体形になったし、お肌も潤いを取り戻した。

 

 ただ……

 胸だけは……胸だけは……育たなかった……


 成長期に栄養を取らなかった罰なのか、元々その素質がなかったのか。

 わからない。

 

 私は深い溜息を吐きながら下を向く。

 足が見える。


 ジュリアは階段を降りるとき、足元が見えないから怖いなんて宣うけど……そんなこと一度もない。

 いつも軽やかに降りれてしまう。

 未だって普通に足が見える。

 平たい胸を通して。

 

 なんで同じ年齢の女の子でこんなに違うんだろうか。

 なんだったら私の身体にはアメリカ人の血が半分入っているはずなのに……


 思い返しても忌むべき母親だって胸はあった。

 ほんと、なんで私の胸は育たないの?

 全くない。ちょっとくらい膨らんでくれてもいいのに。そのちょっとすらない。

 

 私は項垂れるようにしゃがんだ。

 平たい胸を抱え込むように。折りたたまれた膝に圧迫されないことを私は悲しむべきなのだろうな。


 ジュリアの勝ち誇った顔が脳裏に浮かぶ。同時にあの豊満な胸も。

 溜息しか出ない。

 ちょっとくらい分けてほしい。


 しかもその胸でアイガを誘惑するなんて……

 腹立たしい。


 ていうか!

 抱きつかれているアイガもなんで嬉しそうなのよ!

 そんなにあんな脂肪の塊がいいのか!

 脳裏に想起される鼻の下を伸ばすアイガの顔が無性に苛立たせる。

 

 私は立ち上がった。

 そしてまた姿見に映る自分を望む。


 確かに胸は……ない……

 でもそれ以外は別に悪くないはずだ。


 アイガが来てから、オリエンテーション合宿のためにダイエットだってしたし、ちょっと高いクリームも毎晩塗ったし。


 胸はないけど、それ以外なら私だってそこそこ勝負できるはずだ。

 ウエストはくびれているし、お尻だってちゃんとあるもの。お肌だって綺麗だ。

 

 でも……

 やっぱり胸が……


 またにやけるアイガの顔が浮かぶ。

 イライラする。そんなに駄肉がいいのか!

 

 私は項垂れるようにベッドに腰掛ける。

 負けたボクサーのようだ。敗北感が圧し掛かる。


 私は横に置いてある水着を手に取った。

 これは去年まで使っていた水着。


 ピンクのワンピース。

 去年はこれを着てサリーの家の近くの海で遊んだんだ。

 その時はこんなピンチを迎えるなんて露ほども思ってなかった。


 水着を握りしめる。

 

 これじゃあ……ジュリアには勝てない。

 あの子のことだからきっとオリエンテーション合宿では、胸を強調した水着を着てくるに違いない。


 そうなるとこんな子供っぽい水着じゃあとても太刀打ちなんてできない。

 アイガもきっとジュリアに靡いちゃう。


 アイガのそんな姿を妄想するとまたイライラが私の脳と精神を焼き焦がした。

 

 わかったわ! やってやるわよ!


 私は立ち上がり、ベッドの脇にあった袋から新しい水着を取り出す。

 これは昨日買ったばかりの新しい水着だ。ピンクで女性らしいセパレートタイプ。これならアイガも喜んでくれると思う。


 私はそれに着替えて姿見の前に立つ。

 うん、問題ない。

 

 だけど……

 やっぱり……

 決定的に胸が……ない。


 このタイプの水着だと余計に胸のなさが際立つ。


 でも……

 それでも闘わないと……いけない!


 あれを使う時が来てしまったんだわ。


 私は箪笥の前に立つ。

 そしてその一番下の抽斗ひきだしを引いた。


 その奥。普段は使わない服で隠してあるそこに隠した箱を取り上げる。箱は掌ほどのサイズ。

 軽いはずなのにこの上なく重く感じるのはきっと精神的なものからだろう。


「ふぅ……」


 無意識に私は深呼吸をしていた。

 これはもしもの時。もしもの時のために買った奥の手だ。

 できれば使いたくなかった。でも使わなければいけない。

 

 私は箱を開ける。


 中に入っていたのはパットだ。

 私の胸を盛るための最終兵器。

 それを水着の胸に仕込んだ。


「おぉ」


 感嘆の声が漏れる。

 自分の胸とは思えない。

 膨らみが、膨らみができた。


 でもこれを使う以上、後には引けない。

 それに海にも入れない。最悪パットが取れて悲惨なことになってしまうから。


 私はそれを想像して身震いした。

 まぁ、海に浸かれないんてデメリットは我慢すればいいだけ。そこは重要じゃない。


 水着にパットを入れるなんてあり得ないんだけど、こうでもしないとジュリアに対抗できない。

 

 私は自分の頬を叩き気合を入れる。

 絶対に負けない。


 闘志がメラメラと燃え広がっていくのがわかった。

 私は紅蓮の切札、日向紅愛だ。

 これしきの闘いで音を上げるなんてあり得ない。


 絶対にジュリアに勝つ!

 

 私は嘗てないほどに闘志を燃やして拳を握る。

 頭の中のアイガは笑顔で微笑んでくれていた。

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