第160話 オリエンテーション 44

 ゴードンは瞬時に自分が何を為すべきかを考えた。


 周囲にはハンマー・コングが十体。どれも異常な個体ばかりだ。

 目が血走り、涎を垂らし、呻くように唸っている。


 さらによく見れば筋肉の血管が溢れんばかりに浮き上がっていた。


 異常だ。

 それでいて、全個体がその場に留まっている。今にも襲い掛かりそうだが、まるで『待て』と命令された犬のようだ。


 ゴードンはハンマー・コングを知っている。実際に見たこともあった。

 それらの知見と重ねても眼前のハンマー・コングがおかしいのは明らかだ。


 どういうことだ?


 疑念が生まれる。が、ゴードンは即座にそれを切り捨てた。


 今はそんな疑念など気にしている場合ではないからだ。

 今すべきことは生き残ること。

 できれば五体満足で。


 それも自分が、ではない。ここにいるクラスメートたちが、だ。


 ゴードンの脳がフル回転する。

 できること、できないことを取捨選択し、できるだけ生き残れる確率を上げていく。危険な賭けはしない。


 自分だけならそれでいい。


 だが、全員が無事にこの場から脱するには安全が一番だ。

 ゴードンは目を見開く。


「うぬら! 我の背後に並べ! 前列六名! 中列六名! 後列三名だ! 誰がどこでもいい! 急げ! 最前は我が務める!」


 全員がゴードンの言葉に従った。

 ゴードンが何をしようとしているのかはわからないが、今迷い、惑うことが自分たちの命に関わる事を直感していたのだ。


 三秒ほどで普通科の面々がゴードンの言った通りの陣形に並ぶ。


 現在、この砂浜にはアイガ、ロビンを除く普通科全員がいた。計十六名。

 それらがゴードンを先頭にして隊列を組む。


「全員気合を入れよ! 生き残るぞ!」


 ゴードンが叫ぶ。全員の貌が引き締まった。


 その時、一体のハンマー・コングが吠える。

 次の瞬間一斉にハンマー・コングが動き出した。


 ゴードンは冷静に、右手を翳す。


「弔いの歌よ! 餞の飾りよ! 傍らの屍に賛辞を! 失われし魂に救済を! 『天楽園への道シャンゼリゼ・ストリート)』!」


 ゴードンの右手から煌めく光が出現した。

 その光は一気に広がり、中央にいたハンマー・コング三体を吹き飛ばす。砂浜を転がったハンマー・コングにその光がまとわりついていた。

 そして一気に天へと光が伸びる。


 空に届くほど伸びた光は宛ら虫を指すピンの如く、ハンマー・コングをその場に固定した。


 光は眩く、輝く。


「凄い……上級魔法……初めて……見た……」


 誰かが呟いた。


 ゴードンが繰り出した魔法は『天楽園への道』。

 それは光によって相手を封印する魔法だ。光魔法の魔素が空に伸びたのはそこにある光を求めたからである。


 即ち太陽だ。

 この魔法は太陽の光を吸い続け、術者の魔素とは別の力によって相手を封印、拘束するという魔法。つまり、発動時以降は魔力を消費しない。


 優秀な魔法。故に上級魔法に区分される。


 だが、発動の際に脳内で行う魔法演算は凄まじく複雑。誰もが容易に使えるわけではない。また、発動時の魔力消費も激しい。発動後の魔力消費がない代わりに発動時は魔力を多く消費するのだ。

 そのため、この魔法に失敗した場合のリスクが大きい。


 加えて、相手が契約者の場合、その契約魔法で封印を突破される危険もあるため簡単に強い魔法とも言い切れない側面があった。


 しかし、今回相手は魔獣だ。そのデメリットは無視していい。


 この場で即座にその上級魔法を選び使用したゴードン。その額に汗が滲む。


「呆けるな! まだあと七体いる!」


 ゴードンの言葉に生徒たち再び緊張した。全員が眼前を望む。


「前列の者は地、水属性の拘束魔法で我が行ったのと同じようにハンマー・コングの動きを封じろ! ここは砂浜だ! 資源は無限にある! 数は気にするな! 次の列は同じ魔法の準備だ! 前列が疲れたらすぐに交代! 後列は索敵! もしもの時に用心しろ!」


 ゴードンの指示を聞いて生徒たちは動いた。


 泥や砂が舞い、水が飛沫を上げる。

 それらがハンマー・コングを四体包み込んだ。拘束魔法によって動きを封じていく。


 彼らの魔法は全体を封じるのではなく、手足を固定していくというものだった。

 ハンマー・コングの魔法は膂力の強化のみ。それが幸いした。

 下手な魔法で攻撃してこない分、拘束に特化すれば生徒たちでも対応が可能だったのだ。


 純粋なパワーで拘束を破壊しようとするハンマー・コングたちだが、泥や水がそう簡単に拭えないように、その拘束は容易く解けなかった。

 地面から伸びる枷がハンマー・コングの手足に絡み、その動きを封じていく。


 残ったのは三体だ。

 その三体が一気に走り出す。捕まった仲間など見ていない。


 歯を剥き出しにして、舌を突き出して、涎を撒き散らす。

 その姿はまさに暴力の権化。恐怖を伴う暴力の権化だった。


 しかし、ゴードンはまだ冷静だ。


「深く昏い谷の底で花よそよげ! 『新しい園サイン・トゥ・マーク』」


 ゴードンが地面に両手をつく。

 瞬間、地面が大きく沈んだ。


 そこに飛び出していたハンマー・コングが落ちる。

 落とし穴だ。


『新しい園』。

 中級魔法に分類される地面の砂を変化させる魔法だ。

 本来は地面を泥濘のようなものにして相手の機動力を削ぐことを目的にしていたが、ゴードンはそれを砂地で使用することで落とし穴のようなものを作ったのである。


 その魔法によって駆ける三体が罠にかかった。

 ゴードンから大量に汗が噴き出す。が、彼は気にせず地面に手を置き続けた。


 落とし穴の周りは宛ら砂漠の流砂のようで、きめ細かい砂がハンマー・コングをさらに深みへと沈めていく。


 その時、落とし穴に落ちたハンマー・コングの一体が飛び出した。

 仲間を踏み台にして脱出したのだ。


 怒りとともにゴードンに殴りかかる。

 その拳はまるで鉄の塊のように強く、硬く握られていた。

 ゴードンは炎の魔法を右手に発動する。そのままその炎でハンマー・コングの攻撃を受けた。


「ぬぅ!」


 ゴードンは大きく弾かれた。

 地面を転がるゴードン。その右手は浅黒く変色していた。一目でわかる重傷だ。

折れた骨が歪に腕を曲げている。


「きゃあ!」

「ゴードン君!」


 クラスメートたちの悲鳴が飛び交う。

 彼らの顔に悲壮が漂った。


「大丈夫だ! 案ずるな!」


 ゴードンは即座に立ち上がり、クラスメートたちに檄を飛ばす。その目はまだ死んでいない。


「竜の王よ! 歯牙を刻め! 三界に嘶け! 湖の水はもう枯れている! 『暴れ狂う天火アウト・レッド・モード』!」


 ゴードンを殴ったハンマー・コングの右手から一気に炎が吹きあがる。その炎がどんどんと侵食し、ハンマー・コングを包み込んだ。


『暴れ狂う天火』。

 炎の魔法を自身に施し、その部分を攻撃したものを爆炎にて迎撃するカウンターの上級魔法だ。

 演算処理は簡単。それでいて高火力の爆炎が相手を包む。が、弱点としては直接攻撃に限られるという点だった。


 遠距離攻撃の魔法には聞かず、契約魔法の前では単純に魔法自体の火力で負ける場合もある。

 また、相手の攻撃を防御しているわけではないので今のゴードンのようにダメージを負うという弱点もあった。


 条件が揃わなければいけない面倒な魔法だ。


 だが、それでもゴードンは咄嗟とはいえそれを発動した。そして見事に決めたのだ。右手を犠牲にして。


 燃え盛る炎はハンマー・コングの右腕を消し炭へと変えた。

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