第132話 オリエンテーション 16

「ふふふ」


 女性の笑い声が聞こえた。

 まだ女性は遠くにいる。それなのに声は耳元で囁かれたようだった。

 鳥肌が立つ。これも魔法か?


 俺は警戒する。すると一陣の砂塵の風が吹き荒んだ。その砂が俺の視界を一瞬奪う。

 再び視線を戻した時、あの女性が消えていた。


 どこだ?

 俺が辺りを見渡す。


 その時、突然背後に気配を感じた。

 すぐさま距離を取ると、そこに先ほどの女性がいた。


 改めてみるとデカい。

 身長百七十の俺が遥かに見上げている。


 足元はスカートでどんな靴を履いているかわからないが、百八十五から九十ほどはあると思えた。


「あら? 元気がいいわね」


 女性の声はマスクによって、くぐもっておりはっきりしなかった。

 だが、その声は俺の耳元から聞こえる。


 眼前に女性がいて、マスク越しに口が動いているのがわかった。それなのに声は俺の耳元から聞こえる。その違和感に脳がバグを起こしそうになった。

 冷や汗が流れる。


「テレサ先生」


 ん? 先生?

 クレアの呼びかけに女性はくるりと踵を返した。

 そして長机の近くにあった椅子に腰かける。


「貴方とは初めましてね。私は特別科の担任、テレサ・パーヴォライネンよ。よろしくね」


 声の違和感が聞こえる。耳元からではない。確実にこの女性から声が発せられていた。


 そして……なんと、特別科の担任だったのか。

 ここに来てわかってきたが、この学校の教師……一癖ある人間多すぎないか?


 混乱が加速する。


 テレサ先生はそんな俺を余所に椅子に座ったまま日傘をくるくると回した。

 傘は次第に大きくなり、あっという間にビーチパラソルのようになる。それを地面に差した。


「あっついわね~普通科の子たちは? 泳いでいるの? よくやるわね。流石十代」


 テレサ先生はそのまま足を組み、頬杖を突く。


「ん? あれ? 生徒は泳いでいるけど誰も見てないの? 危ないわね~あぁ監視用のマジック・ドールがいるのね。デイジー先生らしいわ」


 テレサ先生に言われて俺は空を見上げた。

 そこには翼が生えた異形のマジック・ドールが二体飛んでいた。


 成程、あれが監視しているのか。

 翼の生えたマネキンだが、その足は猛禽類のような形になっていた。

 察するにもしもの時はあの足で救助するか、どうにかしてデイジーに知らせる仕組みなのかもしれない。


「あれ? パーシヴァル先生は!? 全然見かけないけど」


 テレサ先生が辺りをキョロキョロ見渡す。

 すると、ジュリアがテレサ先生に近づき何かを耳打ちした。


「まぁ! あのデカブツ、ぶっ倒れているの? なにしてんだか……」

「まぁ……あれには誰も抗えませんよ」

「にしても……醜態をさらして……そりゃデイジー先生に悪いことしたわね。てっきり二人いると思ってたんだけど」


 そんな話をしていると森からデイジーがやってきた。

 両腕に壊れたマジック・ドールを抱え、後ろからでかいマジック・ドールが二体従者のように付き従って出てきた。


 そのマジック・ドールは二体で大きな箱を持っており、そこに俺が壊したマジック・ドールの残骸を乗せている。

 まるで江戸時代の篭屋のように。


「あぁ、テレサ先生。もう来られていたんですね。聞いていた時間より早いですが大丈夫ですか?」

「えぇ。大丈夫よ。それよりごめんね。まさか一人でやっているなんて思ってなかったのよ。てっきりあのデカブツもいると思ってたから」

「デカブツ? あぁパーシヴァル先生ですか。パーシヴァル先生は熱中症で現在お休み中です」

「熱中症……ねぇ……」


 テレサ先生は含みのある笑いをしながら海の方を眺めた。


 あれ? パーシヴァル先生は熱中症ではなかったのか?

 わからない。


 そんな中、デイジーはいそいそとマジック・ドールを箱に詰める。

 俺は海を眺めるとクラスメートたちが島からちらほら帰ってきていた。


「あぁそうだ。学校から晩御飯届いてたわよ。私、それを届けに来たのよ」

「もう届いていましたか? 早いですね。ありがとうございます」


 テレサ先生の指さす方向に大きな箱が二つ置いてある。箱の下は台車になっていて動かすのに問題はなさそうだった。

 あれに晩飯が入っているらしい。


「晩飯は用意してあるんですか?」


 俺が聞くとデイジーは丁寧にマジック・ドールの残骸をしまいながら答えてくれた。


「あぁ。流石に夜もサバイバルをさせると一日中飯が食えない奴がでるからな……と、思っていたんだが……お前がいたおかげでその心配はなかったな。こんなことなら晩飯もサバイバルにすればよかったよ。まぁ安全面の配慮もあるから結局夜はダメだな」


 そういう理由か。確かに俺というイレギュラーがいなければ晩飯すらもありつけない連中がいたかもしれない。

 得心がいった。初めて俺の常識とこの学園の常識が合致してくれた気がする。


 兎に角、夜も張り切って狩りをするつもりだったがそれは俺の杞憂だったようで安心した。


「デイジー先生、もう休んでくれていいですよ。ここからは私が取り仕切りますから」

「私なら大丈夫ですよ」

 テレサ先生の申し出にデイジーはニッコリと笑って答える。それを見てテレサ先生はオーバーに空を見上げた。


「若いっていいわねぇ~元気いっぱいで。懐かしいわ。そんな時代が私にもあったのに」

「まだテレサ先生だってお若いじゃないですか」

「ふふふ、デイジー先生もあと十年すればわかるわ。年齢の壁の高さにね」


 テレサ先生は笑っているがどことなく悲しそうな雰囲気を醸し出している。

 同時に何故か怒気も感じた。あまり触れてはいけないような気がする。


 そういえば、クレアたちは自分たちの担任、テレサ先生を吸血鬼と言っていたが……

 その辺りも気になるところだ。


 そうこうしている間にクラスメートたちが遠泳から帰ってきた。

 全員ヘトヘトだ。ゴードンが辛うじて立っているくらいでロビンなどは完全に倒れ込んでいた。


「あらあら、大丈夫? 体力のない子は水魔法を使ったみたいだけどそれって結局魔力使っているからしんどいのは変わらないのよね~まぁ、どっちにしろお疲れ様~」


 テレサ先生は地面に這い蹲る普通科の生徒を優雅に眺めながらそう言った。

 ほう、魔法でそういうこともできるのか。水魔法で水泳の補助を担うとは。俺にはそんな発想全くなかった。


 ただ、テレサ先生の言う通りゴードン以外の面々は全員グロッキーなのでいい使い方ではなかったのかもしれない。


 そんな中で元気だった俺が率先して晩飯の用意をする。用意といっても支給された弁当と飲料水を配るだけなのだが。


 デイジーは壊れたマジック・ドールを片付けにロッジに戻る。

 その間テレサ先生が俺達を見ていたが然して言葉を挟むわけもなく黒いパラソルの下でのんびりとしているだけだった。


 時間が経ちクラスメート達が雀の涙ほど体力を回復させる。

 さらにデイジー、テレサ先生に加え、養護教諭のリチャード先生も揃った。まだ、パーシヴァル先生はグロッキーらしい。


 晩飯の弁当は肉と野菜がバランスよく彩られたもので魔法のお陰か暖かい。

 全員、砂浜で食べるが教師陣、特別科、俺くらいしか食べていない。


 殆どの面々が箸をつけていなかった。ゴードンは疲労困憊ながら無理矢理胃袋にねじ込んでいる感じだったが。


 一日目から、普通科の生徒達は辛そうだ。オリエンテーション合宿が牙を剥きだした、そんな感想を抱く。

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