第89話 決着 その六

 突然の発光。

 悪寒が身体を這う。


 ほんの数瞬遅れて、眼前に深紅の壁が現れた。

 それはまるで白いキャンバスに太い絵の具を塗りたくったような濃い赤だった。

 炎は身を焦がすほどに熱い。が、同時に優しさも感じる。

 ただこれが炎だと気付くのに時間が掛かった。それほど大きく、赤く、思い描く炎とは全てが一線を画していたのだ。


 言うまでもなく隣にいたクレアによって産み出されたものだ。その炎が俺達を救ってくれた。

 いつの間にか、クレアの顔は泣き顔から勇ましい表情に変化している。


 そしてサリーと俺を後ろに引っ張った。


「サンキュー、クレア!」

「ありがとうございます。クレア様」


 俺とサリーが謝意を伝えるも、クレアはまだ前を見据えたままだ。


「ううん、それより二人とも大丈夫?」


 そう言ってクレアは右手を前に掲げる。彼女の視線は敵を射貫いていた。

 それに呼応するかのように俺も構える。

 炎の壁が次第に消えていった。


 その向こうには血まみれのモーガンがゾンビのように立っていた。

 鎖は引き千切れ、もう彼を拘束するものは何もない。

 着ていた服もボロボロだが、魔法で徐に再生していく。

 ただ、肉体の傷は癒えていない。

 夥しい出血と火傷の痕が罪人の咎の如くその身に刻まれていた。


 だが、その程度だ。死ぬほどではない。

 至近距離での爆発で奴が死んでいないことに俺は少し驚いていた。


 何かしらの魔法で防御していたのだろう。

 血塗れの姿だがその眼は未だ鈍く輝いている。狂気を孕み、まっすぐにこちらを睨んでいる。


 そんな姿ながらまだ心が折れていないモーガンに俺は認識を改めた。

 こいつは単なるクソガキじゃない。


 テロリストと組んだテロリスト。そう、こいつもテロリストなんだ。

 己の我欲を貫くために手段を択ばない卑劣極まりないクズなんだ。


 そして、こいつはまだ諦めていない。


「許さん……」


 辛うじてそう聞き取れた。

 唇は動いているが、声までは聞こえない。

 爆発を至近距離で受けた影響は思ったより大きいようだ。


 しかし、まさか体内から爆弾を吐き出すとは思わなかった。

 油断はしていなかった。が、奇策に反応できなかったのは完全にミスだ。


 俺は心の中で覚悟を再燃させる。


「許さん! 許さん! 許さん! 許さん! 許さんぞぉぉぉおおお!! お前だけは! 絶対に! 殺す! 殺す! 殺す!」


 不意にモーガンは叫んだ。眼が赤黒く光り、口から血の泡を吐いている。

 そのまま、血塗れの両手をポケットに突っ込み素早く何かを取り出した。

 その五指にはピンポン玉くらいの黒い球がそれぞれ四つ、計八つある。


「なんだ!?」


 俺の脳内で警報が最大音量で鳴り響いた。

 危険が迫っている。そう直感した。


「死ねぇ!」


 モーガンはそれを勢いよく地面に叩きつけた。

 瞬間、球はガラス細工のように砕ける。灰色の煙が噴き出した。


 その中からアサルト・モンキーが八体出現する。


「な!? アサルト・モンキー?」


 サリーが慄く。

 クレアも驚いていた。


 俺だけは怒りで震える。

 ここにきて、貴様はまだ抵抗するのか?

 汚い歯牙をクレアに向け、思い出を穢した。

 クレアを脅かし、泣かし、怖がらせた。

 それでもまだお前はその汚い思想をクレアに向けるのか?


 そのアサルト・モンキーがクレアを傷つけたのに、また同じ蛮行を繰り返すのか?

 アサルト・モンキーを出現させたのがこいつの魔法なのか、魔法具によるものなのかわからない。

 そんなことはどうでもいい。


 実際アサルト・モンキーを出現させ、クレアを危険に晒している。

 それだけで罪だ。


 またあの黒い埋火の如き激情が蘇る。

 これは減退魔法の効果なのかもしれない。

 今もなお、俺は減退魔法の魔の手に落ち居ているのかもしれない。


 だが、それもどうでもいい。

 クレアを何度も危険に晒し、クレアを泣かせた。


 その二つの事実が大罪に値するのだから。

 今まで俺の中に溜め込んだ殺意と、憎悪と、憤怒が、解放される。


「贖え」


 俺はそう言って、一気に駆けだした。


「え? アイガ!?」

「アイガさん!?」


 二人の声がもう遠くに感じた。

 ゴードンとの競走のときよりも早い。

 まるで己が風になったかと錯覚するほど。


 俺はポケットから獣化液を取り出す。同時に上着を脱ぎ棄てた。


「丹田開放! 丹田覚醒!」


 走りながら、氣を解放する。

 先ほど以上に、迸るように氣が全身を駆け巡った。

 背面に群青色の刺青が輝く。

 その刺青を伝って氣が脈動していた。

 手足の先が青く煌めく。

 まるで俺の気持ちと重なるように烈しく、烈しく、燃えていった。


 充足感が漲る。


「死ねぇぇぇえええ!!」


 モーガンはまた叫んだ。

 血を流し、血を吐き、血を撒き散らすその姿は宛ら化け物のようだ。

 いや、化け物は俺も同じか……


「獣王武神!」


 俺は獣化液を首筋に打ち込む。

 後ろでクレアの叫び声が聞こえた気がした。

 だが、その声は俺に届かなかった。


 サリーの前で変身したことに躊躇はない。後悔もない。わかってもらおうとも思っていない。

 今は敵を殲滅したいという気持ちでいっぱいだった。


 言い訳はあとで考える。


 俺の身体は化け物へと変貌していった。

 筋肉が弾け、尾が生え、顔が狼となる。

 牙が、爪が、人を殺すための形となった。

 殺意が、憎悪が、憤怒が、具現化する。


「なんだよ? それ……なんだよぉぉぉおおお!! それぇぇぇえええ! 猿共ぉぉぉおおお! 殺せ! 殺せよぉぉぉおおお!!」


 モーガンの命令に従うように八匹のアサルト・モンキーが俺を襲う。

 好都合だ。

 クレアやサリーを狙わずに俺を狙ってくれるなら。躊躇いなく屠れる。


 僅かに俺は嗤っていた。

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