第87話 決着 その四

 仮面の下にあった顔。それは見知った人間のものだった。

 予想通り。


 こいつが不倶戴天の敵だ。


「誰?」


 クレアが首を傾げる。


「え……と……どこかで見た気はしますが……」


 サリーも困惑していた。

 そうか、やはり二人とも知らないか。

 サリーなら或いは、と思っていたが。


「こいつは俺のクラスにいたゴードンの取り巻きの一人だ。いや、今となっては黒幕か。なぁそうだろ? モーガン・シャムロック!」


 痩せた顔に靡く黒髪。


 その瞳に宿る光はやはり鈍く輝く。

 それが狂気を伴った光だったとは。今、理解したうえで見ればこの上なく汚れ、淀んだ色をしていることに気付く。


 モーガンは素顔を晒されたためか静かになった。

 捕縛している鎖から出る金属音が鳴り止む。


「減退魔法を掛け続けるためお前は四六時中、ゴードンと共にいたんだ。昼間はお前自身が減退魔法を掛け、夜間は部屋に仕込んだ魔法陣から発動し続けた。あぁ言い忘れていたが、既にお前の部屋は調査が行われているぞ」


 その一言にモーガンは顔面蒼白になった。

 己の秘密が暴かれたことを悟ったようだ。


「寮でのお前の部屋はゴードンの部屋の真下。あの気持ち悪い魔法陣は解析魔法でもうすっかり分析済みだ。あ、あのゴミみたいなカモフラージュは瞬時に看破されていたぞ。見縊るなよ? 子供の浅知恵如きで誤魔化されるほど俺達は馬鹿じゃない」


 俺達、と表現したがそこに俺は含まれていない。カモフラージュを看破したのは調査隊の一人だったからだ。

 だが、まぁこの程度の虚勢は許容される範囲だろう。


「そうやってお前はゴードンにずっと減退魔法を掛け続け、精神を揺さ振り洗脳していったんだ。精神的に追い込まれていたゴードンの気持ちを上下させて、巧みに餌を与えて煽ててどんどん自分の傀儡にしていったんだ」


 モーガンは何も反応しなくなった。

 敗北を悟ったのか? いやまだだ。俺の中の警戒心はまだ鳴り響いている。


「楽しかったか? 強者と思われたゴードンを陰で操るのは? そこにあったのは愉悦か? 優越感か? それとも恍惚か? 威張り散らす馬鹿に傅くフリをして裏で糸を引いているのは自分だというのは……さぞ気持ちが良かっただろうな」

「黙れ!」


 モーガンは立ち上がろうとした。

 しかし、サリーの鎖がきつく、きつく締め上げる。骨を折らんとせんばかりに。


「お黙りなさい!」

「ぐぅうう」


 無様に這いつくばる姿は無様の一言。だがその瞳にはまだ汚泥のごとき濁りと獲物を捕食せんとする澱んだ輝きがあった。

 どうやらまだ諦念はないようだ。


「ゴードンの洗脳に成功したお前は続いてやっと本当の作戦に着手する。本来のお前の目的……それがクレアだ」


 クレアは生唾をゴクリと飲んだ。その音が虚しく響く。


「クレア様を洗脳しようとしていたんですか? この人は……」

「あぁ。あの髪飾りは何度も言うが布石だったんだ。髪飾りが交換された時点ではまだ発動していなかったはずだからな。クレアとこいつは寮が離れている。四六時中発動するという条件は当てはまらない。それにクレアの精神状態もわからない。だからこそ、布石が必要だったんだ」

「それはつまりどういうことですか?」

「髪飾り以外にもあったんだよ」

「え?」

「え?」


 二人が同時に驚く。

 それは無理もない。


 この事実には俺も驚いたのだから。

 今朝、こいつの部屋に侵入した際にあった大量の証拠品。

 厭悪するほど気持ち悪い証拠品の数々。


 そこにあったのはクレアが持っていた小物、鞄、靴、そして制服。それらと同じものがあった。


 無論、全て新品で用意されたものだ。

 それら全てに減退魔法の魔法陣が仕込まれていた。


 俺はそれが記された紙を懐から取り出し、二人に見せた。

 瞬間、二人の顔が蒼白となる。


 男の俺でも理解できる。

 これほど気持ち悪い証拠があるだろうか。


 気持ち悪いという言葉では表現できないほどの嫌悪感。

 怖気が俺の背中を這う。


 二人はそれ以上だった。特にクレアは当事者。俺以上に怯えているはずだ。


「時間をかけて、ゆっくりとクレアが持つものとこれらを交換する予定だったんだろう。本来なら洗脳は時間をかけて行うもの。クレアとはクラスが違うが三年間一緒にいられることはほぼ確定している。その三年間でゆっくりクレアを洗脳するつもりだったんだろうな」


 サリーは震えている。それは恐怖か怒りか、はたまた両方か。

 クレアは相変わらず表情は青いままだ。が、小刻みに震えていた。最早仮面の敵すら見ていない。


 俺はクレアに近づきそっと抱き寄せる。

 その瞬間、クレアから伝わる鼓動が「助けて」と聞こえたのは身勝手な幻聴かもしれないが、俺はしかと受け止めた。


「今、クレアが震えているのも織り込み済みだったんだろ?」


 俺の台詞に、クレア、サリーが首を傾げる。

 モーガンは目を見開いた。こいつの核心に今、俺は迫る。


「クレアは今……精神的に追い込まれている。この状態を近い将来、お前は作り出す予定だったんだ。ストーキングされていることにいつかクレアは気付く。いや、お前は徐々にそれをクレアに気付かせるつもりだったんだろ? 誰が? どこで? 疑心暗鬼に囚われたクレアを持ち物に仕込んだ減退魔法で揺さぶり、ゴードンと同じように洗脳するつもりだったんだろ? ゴードンを洗脳したことで要領を掴んだお前はクレアにその毒牙を伸ばそうとしたんだろ?」


 モーガンの顔が病人のような顔色になる。

 サリーは怒りのためか赤くなっていた。

 クレアは、震えながら俺の身体を強く抱きしめる。


「下劣……ここまで悍ましい生物を私……初めて見ました」

「あ……が!」


 サリーは無意識に魔法を強めたようだ。

 絡める鎖がギシギシと音を立てながらモーガンの身体を締め上げる。手足の先は鬱血で青紫に変色していった。


「サリー……」


 俺が止めようとしたが次の言葉は出なかった。

 俺も怒っている。憎んでいる。


 だからこそ、こいつが苦しむ様を見たいとも思っている。

 サリーの瞳に宿る殺意を止めるほどの気持ちは終ぞ出てこなかった。


 鎖はさらにがっちりとモーガンの身体に食い込んでいった。

 このままでは痛みでこいつが気絶するかもしれない。

 気絶だけならいいが、手足が千切れて死なれては困る。


 まだ、俺の復讐心は満たされていない。

 俺は言葉を吐くことを続けた。

 きっと俺は今、この上なく醜悪だっただろう。それでも構わない。

 それほどに俺はこいつを憎んでいた。

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