第58話 本当の再会

 俺は今焚火の前にいる。

 横でクレアが三角座りをしながら俺の肩に凭れ掛かっていた。

 まさに至福のひと時。

 

 俺はニヤケそうになるのを必死で我慢していた。ローブを腰布代わりにしているような半裸の姿で隣にいる女性にニヤケていたら変態だ。

 それに泣いていた女性に欲情するほど落ちぶれてはいないし、一応礼節は弁えているつもりである。


 クレアの目はまだ赤いが既に涙は止まっていた。

 彼女の温もりが俺の身体にゆっくりと伝わってくる。


 森の喧騒すらなく風が木々を揺らす音すらもない。


 二人だけの世界。

 夜空に輝く星々、草木に眠る鳥や獣、虫すらも俺達を祝福しているのではないかと、思うほど俺は幸せだった。

 天国かと錯覚するほどに。


 ただ、まぁ周囲の状況は天国とは程遠いのだけど。

 黒焦げのゴリラの死体や中身が無くなった猿の死体がそこら辺に転がっている。その死骸から出る死臭や焦げた肉の臭いが立ち込めたこの世界はそれこそ地獄に近いかもしれない。


 それでも俺からすれば天国だった。やっとクレアと本当に心から再会できたのだから。

 今、俺の右腕は赤い炎が燃えていた。


 しかし熱さはない。

 クレアの回復魔法だ。『愛しき炎』という魔法らしくもう痛みもない。まぁ痛みがないのは多幸感とアドレナリンの大量分泌によるところが大きいのだが。


「右腕痛む?」


 クレアが右手を覗き込む。


「全く」


 俺は右手を握っては開きを繰り返し、回復をアピールした。当然痛みはあるが我慢する。


「無理しないで。時間を掛ければ骨折は治ると思うけど……学園に戻ったら医務室の先生に診てもらってね。うちの先生、その辺のお医者さんよりすごい医療魔術師だから」

「わかった」


 俺がそう言って笑うとクレアも笑ってくれた。

 やっぱりクレアには笑顔が一番よく似合う。


 俺は改めて右腕を見た。

 既に削げていた肉は戻り中身は見えなくなっている。体感としてはまだ骨折までは治癒していないが充分だった。

 流石、クレア。回復魔法まで使いこなせるとは。


 そんなクレアは焚火を見ていた。炎の揺れに合わせて彼女の横顔に陰影が映る。美しい。黒い瞳が赤に染まりそれはまるで絵画のようだった。

 風が戦ぎクレアの赤銅の髪が舞う。そっとその髪を後ろに掻き揚げた。

 一つ一つの所作が絵になる。


 俺はクレアのそんな姿を永遠に見ていられた。

 懐かしい。初めて彼女に会った時を思い出す。

 あの時、俺はクレアに無理を言ってずっと彼女が絵本を読んでいる横にいた。俺も絵本を読みたいと嘯いて。絵本なんて全く興味がないのに。


 俺はあの頃からずっとクレアを見ていた。

 懐かしい思い出だ。


「どうしたの?」


 クレアの視線が突然俺の方を向いた。

 俺は慌てて目の前の焚火に視線を合わせる。焦りからか、冷や汗が流れた。


「いや、魔獣出てこないかなぁって……」


 咄嗟に言い訳が口から出る。

 魔獣の死骸から立ち込める匂いで魔獣が寄ってこないことを熟知しているはずなのに。

 自分でも滑稽だと思う。


「大丈夫だよ。探知魔法は今も発動しているし。変なのが出てきたらすぐわかるよ」


 クレアはそう言ってまた焚火の方を向いた。

 俺は焚火に枯れ木を放り込み火力を上げる。照れた顔を焚火の炎で誤魔化すために。


「ねぇ、アイガ……」

「なんだ?」

「帰ったら全部話してね。あの身体の青色の文字のこととか、ここまで鍛えた理由とか……それに……あの狼のことも」


 俺は考える。

 どこまで話していいものなのか。

 全てを話すことになればそれはきっとクレアを傷つけてしまうかもしれない。


「アイガ……お願い!」


 俺の迷いを見破ったのかクレアが強く訴えてくる。


「わかった……」


 そう言うしかなかった。

 正直に話そう。仕方がない。ただ一つの部分を除いて。


「ねぇ、ところで……あの狼に変身するのって……身体大丈夫なの?」


 クレアが俺の首筋を摩る。

 それは俺が獣化液を打ち込んだ場所だ。今も薄っすら赤い点がある。


「大丈夫だよ」


 俺はそう言いながらクレアと目を合わさなかった。


 クレアの母親が覚醒剤で逮捕されたことは知っている。それ以来クレアは注射器が苦手なことも知っていた。それは針を怖いという子供らしい理由だからじゃない。

 母親が逮捕される瞬間、警察に向かって暴れたことに起因する。

 鬼のような顔で近くにあったものを手あたり次第投げ、最後に手に取った注射器の針を警察に向けて突き刺そうとするあの姿が脳裏に刻まれて忘れられないと、幼き日のクレアは言っていた。


 子供ながらにその恐ろしい光景を想像し、俺は怖くなった。

 あの獣化液を入れたケースは形こそ違えど確かに覚醒剤の注射器を彷彿とさせる。クレアのトラウマを刺激するのはわかっていた。それも変身を躊躇した理由の一つである。


 それとこれは墓場まで持っていくと決めた秘密。全てを話すとしてもこれだけは絶対に言わないと決めたただ一つの部分。

 それは俺が元に戻れる保証がない……ということだ。

 現状、俺は『人間』……なのかと言われたら正直わからない。人間以外の存在……かもしれない。非常に曖昧な立場だ。

 人狼、人外、魔獣、化け物、呼び名は数多あれど決して『人間』とは呼ばれる存在ではない。それだけは確かだ。

 人の姿に戻れる。が、元の俺に戻れるかと言われれば答えはノーだった。

 もう二度と普通の人間には戻れない。少なくても現時点で戻れる方法はない。


 そんなこと、クレアには口が裂けても言えなかった。


「大丈夫だよ。今だって元に戻っているだろ」


 渾身の作り笑顔でクレアに嘘をつく。


 しかし彼女は「そう」と一言だけ言って悲しい顔をしていた。

 もしかしたら俺の嘘は彼女に全く通じていないのかもしれない。

 それでも俺はこの嘘だけは貫き通す。


 暫く続く沈黙。

 クレアは不意に俺の腕を触れた。


「凄いね、ここまで鍛えるのってやっぱりしんどかったの?」


 俺が真実を話す気がないことを察してかクレアが話題を変える。

 俺は心の中で謝意を述べつつその話題に乗っかった。


「まぁな」


 少し自慢げに俺は答える。

 ついでに腕に力を入れ筋肉を膨らませた。


 クレアは純粋な眼で「おぉ」と感嘆し俺の上腕二頭筋を摩る。

 俺はそれが嬉しくて筋肉を脈動させ続けた。


 そのたびにクレアが驚いてくれる。筋肉を鍛えておいて本当に良かった。

 過酷だった修行の日々も、地獄の痛みに耐えた試練も、クレアに拒絶されたあの絶望も、もはや全てが帳消しにされた。


 あぁ、俺はこの日のために生きてきたんだ。

 そう、心から思える。

 俺は今、喜びに震えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る