第56話 クレア編~アイガの力
アイガは無事みたいだ。まだ生きている。良かった。
「クレア!」
瀕死の重傷なのに私を心配してくれる。ズタボロの身体で私の名前を叫ぶアイガ。
私はアサルト・モンキーを屠るため睨んだ。よくもアイガをあんな目に合わせたな。私は怒りの炎をその手に宿す。
性懲りもなくまたアサルト・モンキーが消えた。
魔力を完全開放した時に私は探知魔法を強制解除していた。これはどうしようもない。圧迫する土塊を吹き飛ばすのに探知魔法を発動したままでは無理だったのだから。
何故か、今日は本当に不調なのだ。いつもならこんなことにならないのに。
私はすぐに探知魔法を発動する。
即効の探知魔法の網にアサルト・モンキーが引っ掛かった。
私はすでにこいつの魔法を見切っている。
このアサルト・モンキーは『空間座標』によるテレポートではなく『対象物の後方』という条件でテレポートしていた。
その予測通り、アサルト・モンキーの反応は私の右斜め後ろにある。
私は勢いよく振り返った。
ほら、いた。
あれ?
眩暈が。
こんな時に。
でもさっきよりは大丈夫だ。片目が霞む程度。
だけどその一瞬の間が私を遅らせた。
アサルト・モンキーの攻撃が私に迫る。鋭い爪がキラリと光っていた。眩暈を起こしながらも私は冷静に防御魔法を全身に張る。熱の鎧ともいえる簡易的な魔法。
「きゃ!」
でもダメージ全てを防げなかった。構築が甘かったためかアサルト・モンキーの爪が私の頬を掠る。赤い線が入り、血が滲んだ。
無様に地面を転がる私。
大丈夫、大したダメージじゃない。
それより明らかにおかしいのは私の体調のほう。さっきから上手く魔法が構築できていない。こんなの今まで生きてきて初めてだ。
何故?
今も防御魔法の構築を失敗している。
こんなこと……今までなかったのに。
それにどこか気怠い。風邪を引いた時とは微妙に違うと思うけどどこがどう違うかわからない。
ただ、今はすぐに立ち上がらねば。
こうなったら、アレを使おう。
大丈夫、アイガなら……大丈夫……
その時だった。
「エテ公!」
アイガが叫ぶ。
彼は重傷の身で立ち上がった。
その姿に慄く。
違う。今までの彼と明らかに違ったから。何が違うのか明確にはわからない。だけどさっきまでのアイガとは纏う空気が明らかに違っていた。
「てめぇ……許さねぇぞ……クレアを……傷つける者は……誰であろうと! 何人で
あろうと! 許さねぇ!」
アイガはズボンのポケットから何かを取り出す。
長方形のような掌にすっぽりと収まるサイズのものだ。
嫌な予感がする。
アイガの背中に輝く文字よりも怖い。その何かが異様に怖かった。
アイガが強く握るとその何かの先端から針が飛び出す。同時にその先から液体が数的零れた。
そこで思い出したのは逮捕された時の母親の映像。
覚醒剤で逮捕された母親が警察に連行されるときに振り回した忌まわしき注射器。
あれに似ている気がした。
背筋が凍る。
「アイガ? なにそれ?」
私の質問にアイガは答えてくれない。
不安が加速した。
「ごめんな、クレア。でも必ず君を守る。必ず助ける」
アイガはそう言って手に持っているそれを首に突き刺す。
「アイガ!」
私の叫びはもう届いていないのか彼は雄叫びを上げる。
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い!
途方もなく怖い。心の中に這う蟲がまた鎌首を持ちあげる。
それは純然たる恐怖。
アイガがアイガでなくなる。そんな気がした。
「はあああぁああぁぁああああ!」
紫に近い青い湯気のようなものがアイガを包み込む
一瞬の発光。
そして……
そこにいたのはもう私の知っているアイガじゃなかった。
仄かに暗い紫色の湯気を放ち仁王立ちするその姿は人外の物の怪だ。
服を弾き飛ばして現れたのは屈強な肉体。獣毛が風に戦ぐ。
後ろには尻尾も垂れていて、手足の先には鋭い爪が光っていた。
貌は狼のような肉食獣そのもの。その獰猛な双眸でアサルト・モンキーを睨んでいる。
人狼。
神話の世界や物語に登場する人型の狼。その姿はまさにそれだった。
そこにはもうアイガの面影は何一つない。
異様な気配を感じ、何故か私は母親の姿がリンクする。
「ア……イガ? なに……それ?」
私は戸惑いながらアイガに尋ねた。
でもアイガは何も答えない。
アイガの右腕からはまだ血が流れていたが膨れ上がった筋肉によって傷が埋まっている。
よく見れば他の箇所も傷が塞がっていた。お腹の傷も見事な腹筋によって痕が薄っすら残る程度だ。
アイガは狼の貌で手鼻をかむ。
赤黒い血が地面に落ちた。
堂々たる姿。
一瞬そんなことを思うけど私はどうすることもできなかった。目の前の情報を処理しきれていない。
立ち上がることすら忘れて呆然と目の前の光景を眺めるだけだった。
一方でアサルト・モンキーはアイガの変貌に驚いていたがすぐさま攻撃態勢を取り、消える。
またテレポートだ。
危ない!
探知魔法が使えないアイガじゃアイツの場所はわからないはず。
「しゃ!」
そんな私の心配を余所にアイガが後ろに廻し蹴りを放つ。
「ぐぎゃ!」
その一撃がテレポートしたアサルト・モンキーに見事に決まった。
アサルト・モンキーは吹き飛ばされ地面を転がる。明らかにダメージを受け、蹴られた脇腹を押さえていた。
アイガがどうやってアサルト・モンキーのテレポートの位置を予測できたかはわからないけど、さっきとは明らかに違うその攻撃力に私は驚く。
素手では魔獣に勝てない。
その道理を捻じ曲げるほどの攻撃力をアイガは有していた。
そしてこの時に私は確信する。
やはり昨日の魔獣騒ぎの件で魔獣を仕留めたのはアイガだ。最早疑いようがない。
廻し蹴り一発でアサルト・モンキーにダメージを与えるなんて考えられないのだから。
でもアイガの姿は異質すぎた。それこそ魔獣のようにも見えてしまう。
不意に魔法の気配がした。
のたうち回っていたアサルト・モンキーが土魔法を発動する。小賢しい。瞬時に発動した土の大砲がアイガのお腹に決まった。
私は目を瞠る。
アイガは無傷だった。鍛え抜かれた腹筋に砂埃をつけただけ。
それを優しく払うアイガはアサルト・モンキーを睥睨する。
見下ろされたアサルト・モンキーの顔が蒼白になっていった。己の会心の魔法が利かなかったためだろう。
アイガは駆ける。
一瞬で距離が縮まった。
「きぃぃいい!」
アサルト・モンキーが鋭い爪で迎撃する。先ほどまでの威勢が無くなり、恐怖心からパニックになっているような拙い攻撃だった。
アイガはその攻撃を怪我している右腕でガードする。アサルト・モンキーの攻撃はそのアイガの腕によって阻まれた。
まるで重厚な盾。折れた右腕とは思えない頑強な筋肉がアサルト・モンキーの攻撃を受け止めた。
「引っ掻くってのはこうするんだよ!」
アイガは左手にある強靭な爪でアサルト・モンキーの右腕を裂く。撫でるように振り下ろされた攻撃によってアサルト・モンキーの右腕が輪切りのように五分割された。夥しい血が噴き出し、肉片が地面に転がる。
「ぎしゃあああああああああ!」
白銀の身体を朱に染め、アサルト・モンキーは吐血しながら倒れた。
圧倒的。
先ほどまでとは真逆だ。
蹂躙されていたアイガが今度はアサルト・モンキーを蹂躙している。
ただただ、驚くしかない光景。
だけど、アサルト・モンキーの苦しみ方が異常だ。腕を切断されたのに残った手は胸を押さえている。それに口から出る血もどこか黒く、腕から流れる血と色が異なっているように見えた。
そもそも、なんで腕を斬られて血を吐くんだろう?
私は意味が分からなかった。
そういえば、アイガが人の状態? と形容していいのかわからないがさっきの姿の時もアサルト・モンキーに一撃入れて同じように苦しめていた。
もしかしてアイガの魔法とは異なる力とはそれのことだろうか?
じゃあ、今の姿は?
私の脳はオーバーヒート寸前になる。
もはや思考がままならない。
ただアイガのあの姿が怖い。それだけは確かだった。
「死して贖え。俺の大切な人を傷つけた報いを」
アイガはそう言ってアサルト・モンキーを見下ろす。
冷たい殺意が周囲に撒きだされた。
「宵月流奥義! 月齢環歩! 『三日月』!」
アイガの強烈な左の廻し蹴りがアサルト・モンキーの右足に決まる。
その右足が生々しい音と共に折れ、アイガの足の爪によって寸断された。
血飛沫が舞い、肉が削がれ、骨が見える。
アサルト・モンキーの貌はもう敗残者のそれだ。最初に現れた時のような凶悪さは皆無だった。
「しゃあ!」
アイガの前蹴りでアサルト・モンキーを空中に上げる。
その足をそのまま地面に踏み下ろした。
そこからの動きはまるで芸術だった。
一分の無駄もない完璧な体捌き。
「せめて、安らかに逝けるようにと祈れ! 宵月流秘儀! 『
足から伝わる衝撃を肉体がそのまま伝えるように全身を駆動させて、強く硬く握られたアイガの左正拳がアサルト・モンキーの胸部に炸裂した。
瞬間、アサルト・モンキーの背面が吹き飛ぶ。
血や肉、臓物に骨をばらまき、中身の無くなった外側だけのアサルト・モンキーが地面に沈んだ。
圧勝。
その言葉しかなかった。
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