第22話 それは突然に
手に入れた銀色の包みを剥がすと焼けた肉の匂いが一瞬で広がる。本能を刺激するその甘美な匂いは直感的に戦果のクレイジー・ミートが旨いとわかるほどの強烈なものだった。
脳裏に過るのは暴風雨のイメージ。
それくらい本能と理性を掻き乱す。違法なものが入っていないか少し不安になった。
「アイガ君ありがとう!」
ロビンは興奮冷めやらぬようで心から喜んでくれているようである。俺としても奪取した甲斐があるというもの。
「あ、お金払うね」
ロビンがポケットに手を入れた。
間髪いれず俺はそれを制止する。
「いいよ、二鉄貨くらい。奢るよ」
元々、ロビンから金を貰うつもりなど毛頭ない。これは感謝の印。恩返しなのだ。だからこそ余計に金など受け取れない。
「でも……」
ロビンの顔が少し曇った。
あれだけの人間を惑わせるクレイジー・ミートをただで貰うのは申し訳ないと思ったのだろう。
「いいってば! それよりさっさと食おうぜ。折角のクレイジー・ミートが冷めちまう」
「ん~……うん……」
未だ納得していないロビンだが俺は無理矢理彼が持つクレイジー・ミートの銀紙を剥がす。
さらに膨れる匂いの爆弾にロビンの心の天秤が完全に傾いたようだった。
「ほら、食おうぜ」
「ん……本当にありがとう! アイガ君!」
そうして俺はやっとロビンにクレイジー・ミートを受け入れさせた。
揃って二人で残った銀紙を全て捲る。すると湯気がフアっと上がった。持っているときは全く温度を感じなかったが、この銀紙に何か細工でもしてあるのだろうか。
クレイジー・ミートとやらの見た目はただのハンバーガーにしか見えない。パン、野菜、チーズ、肉、野菜、パンの順でよくあるハンバーガーだ。が、あれほどの人間を狂わせていたのだからきっと普通のものとは違うのだろう。
俺達の周囲にはまだ何人かが羨望や怨恨の視線を送ってきている。そのため少し食べにくい雰囲気ではあったが、気にしていてもしょうがないので俺は一切無視することに決めた。
一方でそんな視線を全く感じていない様子のロビンは初めて見る完全体のクレイジー・ミートを様々な角度から眺め、その見た目を堪能しているようだった。
まぁ、とりあえずあまり見ていても意味がないし、冷めるのも嫌なので俺はもう食うことにする。
大口を開けてクレイジー・ミートを迎え入れようとした時だった。
目の前の人垣が突然騒ぎ出す。そしてまだ疎らにいた人の群れが膨れた。
その光景に俺は何故か目を奪われる。ロビンも同じようでクレイジー・ミートを持ったまま二人でそちらを瞠った。
「サリー、もうクレイジー・ミート無いらしいよ」
「そんな! 申し訳ありません! 私としたことが! 私がもっと早く情報を手に入れていれば! サリー・ガードナー一生の不覚ですわ!」
「別にいいわよ。大袈裟ねぇ。仕方がないし、違うのにしましょ」
「本当に申し訳……え?」
人垣の向こうから二人の女性の会話が聞こえてくる。
その声を聴いたときから何故だろう、胸がドキドキしだした。心拍数が上がっていくのがわかる。
汗が滲んだ。目の前の景色が虹色に染まり始める。意識も途切れ途切れになっていった。
「大変ですよ! どうやらクレイジー・ミートを手に入れた方がまだその辺りにいるらしいですわ!」
「え? そうなの? じゃあ一口分けてもらえるかな~」
「ご安心ください。私が必ず交渉を成功させますので。クレイジー・ミートを絶対に手に入れます! ですので先にお飲み物でも選んでおいてください」
「本当!? じゃあ、サリーに任せるよ。でも無理強いとかはしないでね」
「大丈夫ですわ」
そんなやりとりが聞こえてくる。
だが、俺はこの会話をちゃんと聞けていない。それどころじゃないのだ。脳から迸るほどの感情のパルスが溢れ、心臓が破裂しそうになるほど鼓動を強く早く刻む。
俺は歯を食いしばり必死にそれらに耐えた。
「すみません、その方はどこにいるかご存知ですか?」
誰かに何かを訪ねている女性の声。それとその奥で微かに聞こえたもう一つの声。それが俺を狂わせている。
不意に人垣が割れた。まるでモーセの海割りの如く。
そこから現れたのは茶髪の女性だった。
「うわ……まさか……」
ロビンから驚嘆の声が漏れる。
しかし俺は未だ意識を繋ぎとめるのに必死で気にしていられなかった。
現れた女性が俺たちの方へまっすぐと向かって来る。
肩くらいまである茶髪がソバージュのようにうねっていた。天然パーマなどとは違い、ちゃんとセットしたらしいもので彼女の動きに合わせて髪が麗しく揺れている。赤い眼鏡をかけ、凛とした表情をしていた。目鼻立ちもしっかりしており綺麗な女性だ。
「あのう、すみません、貴方方ですか? クレイジー・ミートを手に入れた方は? あれ? え……と……そちらの方はこの学園の方?」
俺の服装を見て茶髪の女性は訝しがる。この世界では珍しい学ラン姿の男が校内にいては不信感を抱いても仕方がない。
俺は購買部のおばちゃんに見せたように学生証を取り出そうとした。
確実に頭はそう思っていた。
しかし、身体が反応しない。
脳も次第にその命令を取り下げる。
もはや俺の意識とは別のところに身体と脳があるような不可思議な感覚に陥っていった。
意識が途切れないよう奥歯を噛みしめて集中しているが、それ以外のことをしようとすると気絶しそうになる。耐える以外のことができない状況だった。
「アイガ君?」
ロビンが心配そうに俺の顔を覗く。
わかっている。
だが、やはり俺の身体と脳はストップしたままだ。
「あのう……」
茶髪の女性が困ったような顔になった。
「あ! すみません……彼はこの学校の生徒です。僕のクラスメートです」
ロビンが代わりに答えてくれる。
それを聞いて女性は少し黙考し、笑顔になった。
「なるほど、そうでしたか。まぁいきなり話しかけられて困惑するのも無理はありませんね。申し訳ありません」
彼女はペコリと頭を下げる。
「申し訳序でに少し相談があるのですが、できればそのクレイジー・ミートを一つ分けて頂けませんか。見たところ、お二つお持ちのようですし……勿論お金はお支払いします。倍額で構いませんか?」
彼女の目的はどうやら俺が先ほど手に入れ、今まさに食べようとしていたクレイジー・ミートのようだ。
即座にまだ食べられておらず、二つあることも確認し交渉を始める。値段も倍。その姿勢に彼女がこうした交渉事に慣れているような気がした。
そこまでわかっているのに依然として俺は動けない。
この状況を場外で観劇している観客のような気分だ。
物語をただ見ているだけ。当事者なのに。舞台上にいるはずなのに。
不思議な気分だった。
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