第10話 諍い

 ゴードンは上着のローブを脱いでおり、その上半身は白い無地のシャツだった。全く草臥れていない純白のシャツの胸元には何かの徽章があしらわれている。

 ゴードンの体つきは、どちらかというとプロレスラーに近い気がした。一見すれば肥満ともとれるがその実しっかりと鍛えられている。


「お前は俺と組め」


 俺を指さし、相も変わらず尊大な態度で一方的な命令を下してきた。だが、生憎既にパートナーは決まっている。


「悪いが、拒否するぜ」

「拒否権は無いといったはずだ」


 間髪入れずに命令するゴードン。後ろにいる取り巻きが「そうだ、そうだ」と合唱してきて鬱陶しい。他のクラスメートはチラチラ見ているし、ロビンも慌てていた。


「てか、なんで俺がお前と組まなきゃいけねぇんだよ」

「何度も言わせるな。下民に拒否権なぞ無い! 黙って俺に従え!」


 恐らく彼は俺に対してマウントを取りたいのだろう。目立つ存在を徹底的に潰しておきたい。お山の大将らしい考え方だ。

 この世界も元の世界も似たような奴はいるものだとつくづく思う。俺は転校生に近いポジションなのでもう少し穏やかにクラスに馴染みたかったのだが。


 先程からこうも高圧的な態度でこられると俺としても穏やかではいられない。と、言うのは建前で八つ当たりは重々承知だがイライラが募っている俺は既に彼をサンドバックにしようと決めていた。


 何より燻っていた闘争本能が再燃している。怒りのエッセンスも加わって俺の中でそれはどす黒く燃え盛っていた。


「わかった。じゃあ、お前と組むよ。その代わりこの授業で俺が勝ったらもう二度と俺にいちゃもんつけないでくれよ」

「ふん! 口の利き方に気をつけろ! 何故貴様の言うことを効かねばならんのだ! 黙って従え! 愚か者が」

「あれ? 器の小さい貴族様は下民に負けるのが怖いのか? こんな簡単な勝負もできないとは。自分から喧嘩売ってきて情けない奴だな」

「何!?」


 予想通りだ。ゴードンは直情型。プライドを擽り貴族というワードを用いて挑発すれば容易く乗ってくる。


「そうだな。貴族様が負ける姿なんざ下々の者に見せられねぇもんな。悪かったよ。お前は賢い。負け戦をやらないんだから。そうやってお前は勝てる場所で勝ち続ければいいさ。上を見上げず、温い場所で温い相手に。ここには文句を言う奴もいないしな」


 わざとゴードンの負い目に触れた。より彼の怒りを増幅させるためだ。

 後ろをチラ見するとロビンが真っ青な顔をしている。

 安心しろ。君から情報をもらったとは言わないから。そういう意味を込めてロビンにだけ見えるように振り向きウィンクをした。


 それでもロビンはまだあわあわとしている。


「ふざけるな!」


 ゴードンがブチ切れた。


「貴様に負ける要素など微塵もないわ! やってやる! 俺が勝ったら今日からお前は奴隷だ! 永遠にこき使ってやるからな!」


 ゴードンはそう言って取り巻き達のほうへと戻っていく。取り巻き達は怒れるゴードンを怖れ黙って後ろを付いて行くだけだった。


「ちょ……ちょっとアイガ君!」


 ロビンが震えながら俺の袖を引っ張る。


「ごめんな、ロビン。折角ペアになってもらったのに」

「そこはいいよ! ていうかまずいって! 今からでも謝ろうよ! 僕も一緒に謝るから!」


 俺は余裕の笑みでロビンを宥めた。


「大丈夫だって」


 しかし、ロビンはさらに困惑しているようだ。


 俺は「大丈夫」という言葉を繰り返すが、結局彼の心配を払拭するには至らなかった。


「よし! お前たち! まずは百メートル走だ! そこから私のところまで一直線にダッシュしろ! 誰からでもいいぞ。適当に順番を決めろ!」


 俺達の小競り合いなど全く感知していないデイジーの大声が広場に響く。

 ゴードンがそれに合わせて「来い」と命令してきた。

 俺は黙ってスタート地点に赴く。


「お? まずはゴードンとアイガだな。よし。では私が上げたこの手を下ろしたらスタートだ!」


 俺とゴードンはスタートラインに立った。ロビンや取り巻きの二人を含め俺とゴードンのやりとりを見ていたクラスメートたちがハラハラした表情で俺たちを見ている。


「泣いて謝るなら今のうちだぞ」


 俺は無視しながら余裕の笑みで返す。これも挑発だ。

 ゴードンの額の青筋がピクピクと震えていた。


 そしてデイジーが右腕を上げる。

 俺はそのタイミングで上の学ランを脱ぎ捨てた。


「え?」

「うそ……」

「凄!」


 俺の肉体を見て、クラスメートは驚いてくれる。予想通りだが嬉しい。

 隣にいるゴードンすら怒りを忘れたのか、口が開いたままになっている。


 それもそうだ。

 俺の肉体はここにいる生徒の比じゃない。純然たる高密度の筋肉で固められているのだから。

 昆虫の外骨格ほどまでに鍛え込んだこの鎧ともいえる筋肉が今漸く日の目を見る。

 

 そんな中で湧き上がる彼らの驚く声は俺にとって称賛なのだ。

 学ランの下にはタンクトップを着ていたがワンサイズ小さいものを着ていたため、溢れんばかりの胸筋、引き締まった腹筋、暴れだしそうな背筋が嬉々として太陽に照らされる。

 

 剥き出しの上腕筋は皆の喝采を浴びて喜びに震えていた。

 自慢の大腿筋を見せられないのは残念だが俺はこの上半身を見せつけられて大満足だった。


「はん、見せかけだ! そんなもの!」


 ゴードンは負け惜しみのようにセリフを吐いて前傾姿勢を取った。

 この世界にもクラウチングスタートはあるんだな、と思うと同時にこの俺の筋肉を見せかけと断じたゴードンを完膚なきまで叩き潰そうと心に決めた。


「それでは……」


 デイジーの声が響く。百メートルも離れているのに彼女の声が聞こえるのはこれもきっと魔法の一種なのだろう。

 俺の筋肉に驚いてくれたクラスメートは今から始まる勝負を見届けるため一様に静かになった。


 暴君と新参者の戦い。催し物としては申し分ないだろう。


「よーい……スタート!!」


 デイジーの号令と共に俺の筋肉が爆ぜた。

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