第8話 ワープ
本当に一瞬だった。
瞬きほどの速度で、視界の上から新しい世界が塗りつぶされていくように、眼前の景色が上書きされていったのである。
余りの光景に、その現状に、暫し脳が理解できず、いや理解はしているのだが把握するのに……時間が必要だった。
今も当惑して言葉が定まらない。
現在、俺は屋外にいる。
『ワープ』という言葉は耳にしたことはあったが体験したのは初めてだ。その驚きはこの世界に来て一番のものだった。
圧倒的な速度……もはや速度と表現するのも憚れるほどのスピードで屋内から屋外、教室から見慣れない野外に移動した。これほどの衝撃はもう二度と味わえないだろう。
結局、俺の不安は杞憂に終わったようで身体は無事だった。
心を落ち着かせつつ改めて周囲を見渡す。
そこは木々の間にぽっかりとできた隙間のような場所。目の前には林道があり、地面には先ほどの部屋にあった魔法陣と似たようなものが描かれていた。よく見ると文字や配列が微妙に違うが概ね変わりない。
この隙間のような場所や林道を見るに人工的な手入れがされた場所のようだ。
俺は地面に描かれている魔法陣を足で少し擦ってみる。
だが、少しも消えなかった。砂埃が舞うだけだ。この魔法陣は魔法によって描かれているものらしくそう簡単に消えないような仕組みになっているようである。
まぁ、そうでなければこんな見晴らしのいい場所に設置しないだろう。雨が降っただけで消えてしまっては大変だろうし。
ふと、俺は右手の数珠の変化に気づく。
黒一色だった数珠の玉の一つが微かに白く濁っていた。
シャロンの言葉を思い出し合点がいく。どうやらこの数珠が俺の代わりに魔力を消費したようだ。消耗品という言葉にも納得する。この数珠の玉が全て白に変わったら交換の合図なのだろう。
そういうことはしっかりと教えといてほしいものだ。
しかし、シャロンにそのような親切さが無いことは既に承知している。
「どうしたの? 早く行こ」
立ち止まっていた俺をロビンが急かした。
「あ……あぁ」
俺はシャロンへの怒りを鎮めロビンと共に林道を歩く。
道中やはり不安だったので身体の具合を確かめるため簡単なストレッチをしたがワープによる影響は皆無だった。
林道を抜けた瞬間、俺の脳は再びフリーズする。
眼前には煉瓦で囲われた巨大な壁がそそり立っていたのだ。向こう側にいくにつれその壁はさらに大きさを増しており、形を例えるなら竹を斜めに切ったような形だろうか。
赤茶色の巨大な壁は最早、崖と見まがう程。その大きさはもうどれくらいなのか見当もつかない。
正面には入り口部分と思しき厳かな門があった。観音開きの門扉は重厚な鋼鉄製のものだ。大きさは凡そ2メートル半ほどか。漆黒で冷たい印象を受ける。
その扉は、か細いロビンの片腕で容易く開いた。これも恐らく魔法の類なのかもしれないし、はたまた機械的な仕組みで安易に開閉が可能なのかもしれない。
とりあえず、俺はロビンに続いた。
門扉の向こうはグラウンドそのものだった。向こうの世界で俺がいた小学校のグラウンドと殆ど変わらない。が、広さが違う。
圧倒的だ。圧倒的に広い。そこは天井のようなものは存在しないため青空が広がっていた。それがまた余計に広さを感じさせる。
周囲の壁は階段のようになっていて所謂擂鉢状である。その景色は映画で見たコロッセオを彷彿とさせていた。
最奥には既に俺たち以外の生徒が集結している。驚愕の中、俺はロビンを追うように小走りでそちらへと向かった。
彼らの前にはTシャツと七分丈くらいのズボンに履き替えたデイジーがいた。
「あれ? デイジー先生? なんでだろ……」
ロビンがそう呟く。
俺は意味が分からなかったが、心が逸りそれどころではなかった。もうこの場所に圧倒されるのも終わっている。
アイツに会える。その一念のみが俺の心を占めていた。
だが、その一念に不安の影がよぎる。
全員の顔が見えるほどの距離になったとき、集まっているメンバーの中にアイツの姿は無かったからだ。皆、先ほど教室にいたメンバーばかり。
アイツがいないことを不審に思った俺はデイジーの下へ駆け寄る。
「デイジー先生、アイツがいないのはどういことだ? 話が違うぞ」
いくら俺でも皆の前で大声で怒鳴るような無粋なことはしない。気を使って小声で、しかしやや強めに俺はデイジーに問うた。
デイジーは右手に持っていたノートを開きながら面倒くさそうに答える。
「あぁ、特別科の担任から連絡があってどうやら授業が長引いてしまったらしい。体術訓練に遅れるそうだ。心配せずともお前の会いたい人間は来るさ。それより早く並べ。お前たちが最後だぞ」
淡々と答えるデイジーに俺は項垂れがっくりと肩を落とした。
なんと、まだ会えないのか。
なまじ希望に溢れていた反動か、不本意なおわずけに膝をつきそうになる。
しかし遅れているだけだ。もうすぐ会える。
そう自分に言い聞かし己を鼓舞した。
そしてロビンと共に俺は一列に並ぶクラスメートの右端にそっと立つ。
「どうしたの? なんかデイジー先生と話していたみたいだけど」
俺とデイジーのやりとりを見ていたロビンが心配そうに尋ねてくれたが俺は「大丈夫だ」と返すだけで精いっぱいだった。
ロビンは尚も心配そうな顔で見つめてくる。彼は本当に優しい人間だ。が、申し訳ないが今はそっとしておいてほしかった。
「すみません、デイジー先生。今日の体術訓練はパーシヴァル先生では無いのですか?」
誰かがデイジーに質問した。
デイジーは相手の顔を見ずになおもノートに目を向けたまま答える。
「うむ、報告が後になって申し訳ないが、今日パーシヴァル殿は体調不良で欠席だ。それで私が代理を任された。なぁに、心配は無用だ。パーシヴァル殿から今日は基礎体力調べだけでいいと聞いているので私でも充分熟せる」
どうやら体術訓練という科目ではパーシヴァルという人物が担っているようだが今回はお休みのようだ。代わりにデイジーが取り仕切るらしい。成程、ロビンが先程不思議に思っていたのはこのことか。
「よし、では始めよう」
デイジーはノートを閉じて俺たちを眺めた。
不意に身体が震える。
それは武者震いか、それとも……
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