第1話 入学-前編
俺の目の前には一人の淑女がいる。
いや、年齢を考えれば淑女という言葉では語弊があるかもしれない。
詳しい年齢はわからないがおそらく孫がいてもおかしくない年齢のはず。だが、彼女はそれを微塵も感じさせないほど美しい。
ふんわりとパーマが掛かった白銀の長髪は手入れが行き届いていて麗しく、顔には一切の染みや雀斑がない。
その身なりも豪奢で俺には皆目見当もつかないが多分高額なものであろう立派な服装に身を包んでいる。
振舞も一流の優美さを兼ね備え見た目だけならその辺を歩くどんな女性よりも秀麗だ。
容姿端麗という言葉がぴったりの貴婦人。
それが彼女に対する周囲の評価。
しかし、中身はその辺の悪魔より残忍で情け容赦など微塵も持ち合わせていない人物であるということを俺は知っている。
寧ろ羊頭狗肉という言葉のほうが似あうかもしれない。
「飲まないの? 紅茶、冷めますわよ」
淑女ことシャロン・ウィンストンはそう言いながら優雅に自分の眼前にある紅茶を飲んだ。
俺が悪口を脳内で叫んでいることがバレたか?
邪推かもしれないがこの女ならそれくらい平気でできそうだ。
俺の前には豪華な装飾が施された白亜の机があり、その上には湯気が立つ紅茶の入ったティーカップが置かれている。
旨そうだが、俺は決してこれを飲むことはない。
毒はないだろう。そこまでこの女は短絡的な馬鹿じゃない。
ただ、この女の前で警戒心を解くほど俺も馬鹿じゃない。
「悪いな、紅茶は嫌いなんだ」
「あら、残念。でもアイガ、好き嫌いはだめよ」
こいつから俺の名前を、『アイガ』と、呼ばれただけで虫唾が奔る。それくらい俺はこの女、シャロンを厭悪していた。
紅茶に関しては、本当は好きでも嫌いでもない。シャロンが淹れた紅茶が嫌なだけだ。毒じゃないにしろ何が入っているかわかったもんじゃないのだから。
まぁ、多少の毒なら俺は耐性を持っているから問題はないのだが。
「そんな話はどうでもいい。そろそろ解放してほしいんだが」
俺がそう言うとシャロンは残念そうに飲んでいた紅茶を机に上に置いた。どこか大根役者のような嘘くささが見え隠れする。
これもわざとやっているのだろう。
「そう……ね。じゃあ楽しい歓談はここまでにしましょうか」
楽しい歓談などしているつもりなど毛頭ない。漸く本題に入ってくれたのかと辟易しているくらいだ。
本当にこの女は性悪だと再認識させられる。
「正直貴方をこの学園に入れるのは大変だったのよ。少しは感謝してほしいわ」
やはりこいつは俺の頭を覗いているのかもしれない。
確証はないし、そんなことできないとは思うがこの女を前にするとそれが杞憂には思えないのだ。
しかし、シャロンの言葉は本当だろう。ため息交じりの顔に真意が零れていた。
「わかっている。そこは感謝しているさ。才能のない俺をこの学校に入れてくれたんだからな」
「とりあえず、私は約束を守ったわ。次は貴方の番よ、アイガ」
挑発的な目で俺を見つめるシャロン。その目は幼子が虫の標本を作るような無邪気さと邪魔な足を躊躇なく取り除く残酷さが同時に垣間見れた。
「問題ない。師匠からもお墨付きを貰えている」
「あら、それはよかった」
俺の答えにシャロンはにこやかに笑う。これもまた嘘くさい笑顔だった。
「じゃあ、もういいか。授業はとっくに始まっているんだろう?」
「えぇ。まぁ、貴方が今日来ることは担任の先生には通してあるから多少の遅刻は大丈夫よ。いってらっしゃい」
シャロンはまた優雅に紅茶を飲み始める。
俺はやっとこの苦痛の時間から解放されると思いながら立ち上がった。
「あ、そうだ、忘れていたわ。これを持っていきなさい」
シャロンは不意に机の上に何かを取りだし、ふぅと息を吹きかける。それはふわふわと風船のように俺の下へと飛来した。
立ったまま俺はそれを手に取りマジマジと眺める。
それは黒い球でできた数珠のようなものだった。
「これは?」
「
悪戯な笑みを見せるシャロンは腕に付けるようなジェスチャーをしてくる。
その行動に俺の警戒心が加速したが、とりあえず促される形で数珠を腕に着けてみた。
紐部分はゴム製で伸縮しサイズに問題はなく数珠は俺の腕にぴったりと収まる。
「そう、そんな感じで身に着けておいて。あとそれ消耗品だから無くなったら私か担任に言いなさい。新しいものを用意するから」
黒い数珠を眺めていた俺はシャロンのセリフに中にあった違和感に引っ掛かった。
「ちょっと待て、担任とやらは俺のことを……魔力がないことを知っているのか?」
シャロンは笑ったままだ。
驚く俺の様を楽しんでいるようでそれがまた俺の神経を逆なでする。
「えぇ。でも大丈夫。彼女は私の一番弟子よ。信頼できるわ。あと、とても優秀な魔法使いですからきっと貴方を助けてくれるはずよ」
「っち」
体のいい監視役か。俺はそう思ったが口には出さなかった。ただ舌打だけが漏れてしまったのだが。
俺の秘密まで握られていてはどうにも動きが制限される。俺は己の首に忌々しい首輪が付けられた幻が見えた。
シャロンは俺の舌打ちなど気にしていないようだ。呑気に紅茶を飲んでいる。
俺は幻を振り払い無言のまま扉を開け、部屋を出た。一度も振り返らずその扉を閉めようとする。が……
「ミスター
俺のフルネームを呼びながらシャロンが祈りの言葉を送ってきた。
「心にもないことを」
皮肉を込めて俺はそう言い返し扉を閉める。
重々しかった部屋の空気から解放された俺は無意識に背伸びをしていた。
窓から差す日の光がこの身に付いた穢れを浄化してくれているような錯覚を覚える。それくらいシャロンと二人きりというのは苦痛だった。
ともかく、これで俺は晴れてこの学校の生徒になれた。
ボルティア大陸三大魔法学園の一つ、ディアレス学園の生徒に。
なんの魔力も無い、魔法など全く使えない……ましてやこの世界の人間でもないこの俺が魔法使いの学園に入ったのだ。
ここからが本番だ。
舞台の幕が上がる。そんな幻影が俺の前に現れた。
眼前にいるのは観客か、刺客か。それとも……
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