第18話 声を与えた悪い魔女

 知らず知らずのうちに、不老の肉を食わされていた。

 その〝肉〟の正体が〝歌〟だと気付いた時には、もう、ジゼの体は人間ひとの時間を刻んでいなかった。



「──いって……」



 窓のない地下の牢獄。

 鉄格子に囲まれた暗がりの中、閉じ込められたジゼとエメリナは壁に背をついて座り込んでいる。


 数十分前、エマの介入によって尋問を中断されたサリは、つまらなそうに唇を尖らせながらもジゼとエメリナを解放して牢の中へと収容した。

 ジゼの口から情報を割り出すためか、それとも迂闊に歌わせないためなのか──魔水鏡ホロウメロウと共に同じ牢に収容された二人。やや切れた口の中や殴られた箇所の痛みに表情を歪めつつ、ジゼは力なく俯く。


 その時ふと、鏡の中に潜んで少し回復したらしいエメリナが顔を出し、彼の髪をくわえて引っ張った。



「……何だよ」



 ジゼは顔をもたげ、彼女へと視線を移す。エメリナは眉尻を下げ、何か言いたげに彼を見上げていた。


 火傷跡や傷が目立つ肌。ジゼは何となく気まずさを感じながら、か細く声を発する。



「……俺に失望したか?」



 ぽつり、問いかけるジゼ。エメリナは瞳をしばたたき、首を傾げた。


 ──なんでそんなこと聞くの?


 声は聞こえなかったが、そう問われているように感じて、そっと目を逸らす。



「……見ただろ。あのサリって男に、俺が手も足も出なかったの。お前のことも、守ってやれなかった」


「……」


「俺は、古代に滅びたはずの人間だ。だから魔法が使える……けど、得意なわけじゃない。脅し、不意打ち、目眩し──その程度が精一杯。……俺の唯一の武器は、この呪われた歌だけ」



 自身の喉元をさすり、ジゼは奥歯を噛んだ。

 おもむろに膝を抱えた彼は歪む表情を隠すように顔を埋め、「……でも、俺には、もうあんなもん歌えない……」と声を震わせる。



「気持ち悪いんだよ、自分が……。見ず知らずの誰かから奪い取った命を使って、のうのうと生きてるなんて、考えるだけで寒気がする……」


「……」


「失望しただろ……こんなヤツだよ、本当の俺は。誰かの命で生き長らえて、ずっと前に失ったものを、まだ引きずってる……無様で女々しい男なんだよ……」



 脳裏に過ぎるのは、己が殺した、人生で唯一の友人。

 実際にジゼが他人から直接寿命を奪い取ってしまったのは、あの日、あの時、たったの一回きりだ。


 だが、ウェインの体に蓄えられていた多くの人々の寿命じかんを、ジゼは呪われた歌を経由してその身に植え付けられてしまっている。彼の体の内側には、幾千年分に及ぶかも分からない未知の寿命が刻まれているのだ。



「気付いた時には、もう手遅れだった……とっくに人間じゃなくなってたんだ。俺の歌は呪われてる。人の命を喰う化け物なんだよ、俺は……」


「……」


「大事なものなんて、何も残ってない……俺には、もう、何もないんだ……」



 何年経っても歳を取らない体。変わらない見た目。

 幼い頃、街の人間がこぞって自分を『化け物』だと罵った理由が、今では理解出来てしまう。


 物心ついた時から、ジゼの世界は窓のない地下の部屋の中だった。外の人間との交流は断絶され、『一年』がどれほどのスピードで過ぎていくのかも知り得ない。


 彼にとっての『一年』は、ある日ウェインに〝歌〟を教わってから、少しずつ長くなっていったからだ。



『いいかい、ジゼ。ワシ以外の前では、この歌をうたってはいけないよ』


『どうして?』


『特別な歌だからさ。誰にも知られちゃいけない、魔法の歌だ』



 幼い喉に仕込まれた〝うた〟。

 それを言われるがまま嚥下したその日から、ジゼは次第に『ヒト』から遠ざかっていった。


 幼少より地下で過ごしてきたジゼにとって、時間の流れなどよく分からない。十年、五十年、百年と時が流れて行く中で、自分の見た目がほとんど成長しないことに疑問を持つこともなかった。ウェイン以外の人間との関わりが断絶されていたからだ。


 だが、あの日、生まれて初めて出来た友人を己の歌で殺したその時に──ジゼは、初めて自分自身を畏れたのである。



『ウェイン……っ、なあ、ウェイン……! この歌は何だ!?  俺の体はおかしいのか!? 俺は、本当に……っ、化け物、だったのか……?』



 トーガの寿命を歌で奪ってしまったジゼは、思考がまとまらないまま地下に駆け戻り、すぐさま老いた養父にすがりついた。


 しかし、ウェインは表情を崩さない。



『何を言っているんだ? お前さんはどう見ても人間じゃないか、ジゼ。脚があるし、ヒレも尾もない。鱗だってないだろう?』


『……っ、ヒレ? 鱗? どういう、こと……』


『大丈夫だよ、ジゼ。何も心配いらない。……ああ、もう歌の時間だね』



 普段と同じようにジゼの腕を握り取るウェイン。ジゼは表情を強張らせ、その顔を見上げた。



『──さあ、歌って』



 光を灯さない瞳。真っすぐとジゼを見つめ、抑揚のない声を紡ぐ。

 その時、あれほど愛おしいと思っていたはずの養父の姿が、どこか得体の知れない生き物のように見えた。まるで童話に出てくる海の魔女のような、恐ろしい化け物。


 ジゼは顔を青ざめ、掴まれた手を振り払う。そのまま外へと駆け出した。


 あの時、本当は気付いていたのだ。

 父の目が何を映していたのか。

 自分に何を求めていたのか。


 けれど、それが認められなかった。



「──だって、それを認めたら、俺はずっと孤独だったってことに、なっちまうだろ……」



 牢の中、か細く告げるジゼ。膝に埋めたままの表情は窺い知ることができない。


 エメリナはそばに寄り添い、黙って話を聞いている。



「……ウェインから逃げた俺は、行く宛てもなく森をさまよった。でも、ほとんど地下から出たことのない俺じゃ、遠くには行けない。……だから、結局またウェインのところに戻っちまったんだ」


「……」


「けど、俺が戻った時、ウェインは自警団の連中に捕まってた。……トーガが死んでるのが見つかって、それがウェインのやったことだと誤解されて、連れていかれたって話だ」



 顔を伏せたまま、ジゼは回想の続きを語る。



 ──あの日、ウェインから逃げて家を飛び出したものの、行く宛てもなく戻ってきたジゼ。


 しかし、家にたどり着く前に怒鳴り声や罵声が鼓膜を叩き、彼は近くの岩陰に身を潜めたのだった。



『やめろ、離してくれ!! 誤解だ、ワシは街の子どもなんぞ殺していない!!』


『黙れ化け物め!! 貴様が妙な魔法を使うことは分かっているんだ! 大人しく来い!!』


『やめてくれ、あと少しなんだぞ! あと少しでワシの寿命は尽きるんだ!! あの子を返してくれ!! あの子だけがワシの希望なんだ!!』



 自警団に引きずられながら、ウェインはしわがれた声で必死に訴えている。

 その姿に、ジゼは一瞬だけ光を取り戻した。やはり父は自分を愛してくれているのではないかと。


 けれど、老いた父の発言は、抱いたわずかな光をも容易く吹き消してしまう。



『頼む、あの子を返してくれ!! ──人魚・・をワシから奪わんでくれ!!』



 ──人魚。

 ウェインはそう叫び、自警団に懇願した。


 その時初めて、ジゼは今まで自分がどのような目で父に見られていたのかを真に理解したのだ。


 冤罪で連れて行かれたウェイン。

 黙って見送ることしか出来ないジゼ。

 やがて喧騒は去り、静けさが戻ってくる。

 その頃になってようやく、彼はふらふらと立ち上がり、誰もいない地下の部屋に戻った。


 荒れ果てた室内。部屋のものはいくつか押収されてしまったのか、鍵のかかった小箱は見当たらなかった。


 ジゼは一歩ずつ進み、部屋の隅に立て掛けられて残っていた魔水鏡ホロウメロウの前に立つ。そこに映った自分の姿は、やはりいつまでも変化しない。


 けれど、ほんの一瞬だけ──その肌に、気色の悪いヒレや、鱗が、あるように見えてしまって。



『……嫌だ……そんなわけ、ない……』



 青ざめた顔の自分が、鏡の前から一歩しりぞく。


 おとぎ話の中に出てくる悪い魔女は、人魚姫から声を奪って、彼女を人間に変えてしまうはずだった。


 だが、現実はどうだ?


 最初の自分は、確かに人間だった。

 なのに、いつのまにかうたを与えられて、気が付けば人魚ばけものになっていた。


 自分は悪い魔法で人魚にされたのだ。


 これではまるで、ウェインが悪い魔女だったみたいじゃないか──。



『そんなわけ……っ、そんなわけない!! 俺はウェインに愛されてた!! ウェインは俺に、たくさん愛をくれて、褒めてくれて……っ、俺のこと、大事だって……』



 現実に抗うように言い聞かせ、ジゼは震える。やがて、『確かめなくちゃ……』と呟いた彼は壁際の魔水鏡ホロウメロウと竪琴を手に取った。



『金だ……金がいる……金を貯めて、ウェインを釈放してもらうんだ……』


『それで、直接ウェインに聞いて確かめる……俺のことをどう思ってたのか』


『……そのために──』




 ──生きた人魚を売って、金を作らないと。




「……その日から俺は、当時すでに絶滅しかけていた人魚を探し始めたんだ。あれから二百五十年経った今……ようやく俺は人魚の生き残りを見つけた。それがお前だよ、エメリナ」


「!」


「笑えるだろ。お前を必死に守って、売りさばこうとした理由なんて、たったそれだけだ。……ただウェインに会いたかった。会って、この国から一緒に出れば、また一からやり直せると思った。ウェインに言って欲しい言葉があったんだ……」



 伏せた顔はそのままに、ジゼの声が少し掠れる。

 その姿はどこか幼い子どもさながらで、何百年も生きているはずなのに、生まれたまま成長が止まっている赤子のようだとすら錯覚してしまう。


 彼はただ、自分が愛した父親に、求められたかっただけ。



「……ただ、〝愛してる〟って。……嘘でもいいから、〝嘘じゃない〟って、言って欲しかったんだよ……」



 弱々しく紡いで、一層背中が丸くなる。

 エメリナは黙ってジゼのそばに寄り添っていたが、ややあってぱくぱくとその唇が動いた。


 しかし、その声は彼に届かない。


 もどかしさを感じながらエメリナが視線を落としたその時──不意に、鉄格子がガンッ! と音を立てて蹴り開けられたことで、二人は肩を震わせて顔を上げる。



「……!!」


「長々と昔話、どーもありがとさん。二人っきりにすりゃゲロるかなーと思ってたら、案の定だねえ。チョロくて助かるわ」



 牢の中に入って来たのはサリだった。

 なんとなく予想はついていたため、ジゼは深く溜め息をこぼして赤く腫れた目尻を擦る。



「……分かってて話したんだよ。俺がウェインのことを話すまで、解放する気はねえんだろうと思ってな」


「あらら、そりゃ失礼。協力的で助かるね」


「これで、もう俺のことはだいたい分かっただろ。さっさと解放しろよ。あんな何百年も前の手配書じゃ、俺を拘束できる力なんか残ってねえぞ」


「──あの手配書じゃ、ね」



 こつ、こつ、ブーツの音を響かせ、牢の中にもう一人の声が響く。ジゼはぴくりと眉をひそめ、その場に現れたエマの言葉に生唾を飲んだ。


 嫌な予感が満ちる中、彼女は続ける。



「確かにあの手配書は、もはやただの紙切れ。法律的にあなたを拘束できる力は一切残っていない」


「……」


「でも、あなた、もう一つ心当たりがあるでしょう。己が裁かれるべき〝罪〟に」



 明言された言葉。どくりと大きく心臓が跳ねる。

 ジゼは手のひらに浮かんだ汗を握り込みながら目を逸らし、「……さあ、何のことだか」としらを切った。



「馬は盗んだもんじゃない。たまたま拾ったんだ」


「そうね。あの馬は別の盗賊が盗んだものよ」


「あの男を怪我させたのはおおむね事実だが、あれは正当防衛だぜ。あっちが先にちょっかいかけたんだからな」


「確たる証拠はないけれど、そうね、それもそういうことにしましょう。……でも、私が聞きたいのはそれじゃないわ、ジゼ」



 こつり。エマはまたひとつ歩み寄り、この状況をいまいち飲み込みきれていないエメリナを見下ろす。


 ジゼは苦く奥歯を噛んだ。


 この女は、すべてを分かった上で語りかけている。



「人魚──エメリナには、大陸西部の貴族から盗難届が出ている」


「……っ」


「私たちが今回あなたを拘束したのは、その窃盗容疑がかけられているからよ。そうでしょう、ジゼ。そしてエメリナ」



 同意を求められ、ようやく意味を理解したエメリナは瞬時に顔を青ざめるとジゼの背後に身を隠す。薄手の布地を握り込む手は小刻みに震えており、潤んだ瞳が何らかの訴えをエマに投げかけていた。


 ジゼは目を細め、震える彼女に語りかける。



「……エメリナ、危ないから少し離れろ。俺いま薄着だから、体温で火傷させちまう」


「……っ、……!」


「おい、わがまま言うな、大丈夫だから」


「……! ……!!」



 エメリナは首を横に振り、『離れたくない』と強く訴えてジゼの背中に一層密着した。

 湿り気を帯びた肌は衣服を濡らし、素肌に張り付く。このままでは遅かれ早かれ彼女が火傷してしまうだろうとジゼは危ぶみ、振り返ってエメリナの顔を覗き込んだ。



「エメリナ、落ち着け。俺はどこにも行かない。もう置いて行ったりしないって言っただろ? 覚えてるよな?」


「……」


「大丈夫、一旦ちょっとだけ離れろ、な? いい子だから」



 努めて優しく言い聞かせるジゼ。

 エメリナはしばらく不安げな顔をしていたが、ややあって彼の言葉を聞き入れ、体を離した。


 エメリナはジゼの髪に触れ、そっと頬を寄せる。

 どこか切なげに、何らかの言葉を紡いだ唇。

 ジゼは安心させるように微笑みかけ、エメリナの髪をすくい取って撫でた。



「……分かった。ちゃんと一緒にいる」


「……」


「大丈夫、お前が言いたいことは何となく分かる。安心しろ」



 言葉がない中で何かを伝え合う二人。サリは彼らの様子を眺め、「泣かせるねえ、孤独な者同士の傷の舐め合い」と嘲るように口角を上げる。


 ジゼは彼を睨んだが、サリはお構い無しに続けた。



「尊敬するよ、短時間で随分と人魚を飼い慣らしたもんだ。姫は哀れにも自分を盗んだ人間を恋い慕っちまってるらしい。儚いねえ、人魚の恋物語の結末は悲恋だって決まってんのに」


「……黙れ! そんなもん、人間が勝手に作ったおとぎ話だろうが!」


「うわ、何マジな顔してんの? まさかあんたも人魚にご執心ですか? あはは、やめとけよ。そいつ、顔が綺麗なだけで実質ただの化け物じゃん。……ああ、でも、あんたも化け物か」



 無慈悲に言葉を紡がれ、ジゼは声を詰まらせる。サリは悪びれもなく肩を竦め、「ま、でも今回は、〝王子様〟が迎えにきてくれたみたいでよかったな、お姫様」と爽やかに微笑んだ。


 王子様──不可解な発言にジゼが眉を顰めたその時、突としてエメリナの肩が大きく跳ねて震え上がる。



「……エメリナ? どうした?」


「ああ、耳がいいな、人魚姫。さすが、数百年飼われてただけはある。元々のご主人様・・・・・・・の足音が分かるってわけだ」


「元々のご主人様……って……」



 ぞわり、脳裏をよぎった嫌な予感。まさか──と最悪の想定を危惧した刹那、牢の扉は豪快に開かれた。


 現れたのは、派手な装飾があしらわれたスーツに身を包んだ男。

 骨張った色白の肌に不気味な笑みを貼り付けた、見覚えあるその顔を視界に捉えた途端、ジゼとエメリナはたちまち血の気を失う。



「──ああ、エメリナ! 僕の美しい宝石! 愛らしいその姿を見せておくれ!!」



 長らくエメリナを地下に捕らえていた、元・主人──ドビーの登場に、二人は戦慄し、互いの髪を強く握り合った。

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