第13話 歌うたいのばけもの

 ──随分と昔の話。

 ジゼのいた場所も、窓のない地下の部屋だった。


 ジゼは毎日その部屋の中で竪琴を弾き、気まぐれに絵画を描き、硬いパンを食べて、決まった時間に必ず歌をうたう。

 一緒にいたのは、ウェインという名の老人だけだ。

 捨て子だったジゼを拾ってくれた頃は彼の髪も黒々としていたが、次第に老け込んでいつしか結った髪が真っ白になってしまった。しかし歳を重ねても尚、少しずつ成長するジゼを大層可愛がっていた。



『ジゼや、ワシにはもうお前だけだ。お前だけが、ワシの心の拠り所なんだ。……すまない、すまない、ジゼ。許しておくれ』



 当時、ウェインは口癖のように『すまない』『許してくれ』という言葉を繰り返していた。しかし、ジゼにはその言葉の意味が分からない。何を許せと言っているのか理解ができなかったのだ。


 確かに暮らしは裕福ではなかったし、外へも自由には出させてもらえなかった。だが、ウェインは毎日食事を与えてくれたし、精一杯の娯楽でジゼを退屈させないようにと努力してくれたことを覚えている。


 何より、ジゼは孤独ではなかった。

 愛情を感じていたのだ。

 ウェインが心から自分を愛してくれていると、彼はちゃんと分かっていた。


 けれど、時折、ウェインは酷く苦しげな顔をする。



『……お金がないから、かな』



 窓のない廊下で足を止めて呟いたジゼは、何か金になりそうなものはないだろうかと引き出しや物置を漁った。少しでもウェインの生活の足しになればと思ったのだ。

 けれど金目のものは見付からず、唯一見つかったのは、錆びてボロボロになった何らかの鍵だけだった。


 一瞬何だろうかと首を傾げたジゼだったが、やがてそれが小箱の鍵ではないだろうかと思い至る。この地下室には、鍵のかかった小箱が置いてあるからだ。


 きっと中身は高価なものに違いない。そう考えて鍵を持ち出し、早速小箱を開けたジゼ。


 しかし、その中身は期待したものとは違っていた。



『……何だこれ。ただの汚い小瓶じゃないか』



 箱の中に入っていたのは、澄んだ水と翠色の硝子玉が入った、薄汚い小瓶。随分と年季が入っており、文字がかすんで、何と書いてあるのかすら読み取れない。


 ジゼは落胆しながら小箱を閉め、鍵も元の場所に戻した。

 どうやらこの家の中には金になりそうなものはないらしい──そう判断し、今度は壁に掛けられた魔水鏡ホロウメロウを手に取る。

 左右で髪の長さが違うジゼを映す鏡面は、彼の持つ魔力に反応して淡い光を帯びていた。


 これは、人魚を捕獲するための鏡だ。



『……そういえば、人魚を売ればそこそこ良い額の金になるって、ちょっと前に街の人が話してるのを聞いたことあるな……。じゃあ、森で人魚をとっ捕まえてお金にしたら、ウェインが喜ぶかも!』



 ジゼは微笑み、ずしりと重たい魔水鏡ホロウメロウを壁から外すと、専用のベルトを肩にかけ、繋げて落とさないようしっかりと背負う。そのまま周囲を気にしつつ、彼は階段を上がって裏口の鍵を開けた。


 もしも王国騎士団が尋ねてきたら、ここを開けて逃げろと言われている扉だ。理由は知らないが、おかげでジゼも自由に出入りが出来る仕様となっている。



『本当は、勝手に外に出ちゃだめだけど……歌の時間までにもどってくれば大丈夫だよな。よーし、待ってろウェイン! 俺が人魚をとっ捕まえて大金にしてやるぜ!』



 期待を胸に扉を開き、まだ〝子ども〟に程近かったジゼは外へと飛び出した。見たこともない人魚を探すために。


 その先で、自分が普通ではないことを彼は知ることになるのだが──


 悪い夢は、そこで途絶えてしまった。



「チッ……嫌な夢見た……」



 独りごちる星空の下、横目で見遣った鏡の中に、いつまでも代わり映えしない自分の姿が映っている。


 ──化け物。


 あの日の言葉がまぶたの裏に蘇って、ジゼは眉根を寄せ、鏡の中の自分から目を逸らした。




 * * *




 ポロン、ポロン、ポロロン。



 深夜。

 ふと懐かしいメロディーが耳に届いて、夢心地を微睡んでいたエメリナは水中で目を覚ます。


 眠たげな目をこすり、あくびをこぼして起き上がった彼女の耳が拾い上げたのは美しい旋律だった。なんだろうかと小首を傾げ、おもむろに水の中を遊泳したエメリナは、外に繋がる銀の枠を目指して浮上する。


 ちゃぷり。

 やがて鏡面に顔を覗かせた彼女は、近くの岩に腰掛け、竪琴を奏でているジゼを見つけた。



 ポロン、ポロン、ポロロン。



 遠くを見つめる横顔と、繊細で美しい旋律。

 初めて聴くメロディーのはずなのに、なぜかエメリナはそれを懐かしいと感じた。竪琴を奏でる、彼の寂しげな表情も含めて。



「……?」



 訝しみつつ、流れてくる音に耳を傾ける。


 物心ついた時から、エメリナが居たのはドビーの屋敷の狭い水槽の中だ。それこそドビーが産まれる前、先代の先代、そのまた先代が産まれる前から、エメリナはあの水槽で飼われていた。


 長寿である彼女の年齢は二百歳を超えている。

 いつ、どこで自分が生まれたのか覚えていないエメリナにとっては、あの狭い水槽の中だけが記憶の全てだ。


 けれど、この光景にはなぜだか見覚えがある。



「──」



 ぱくぱく、地上では出せない声でジゼの名前を呼んだ。しかし、いくら呼びかけても彼の耳には届かない。


 ジゼはエメリナの声に気が付かぬまま、竪琴の演奏を続ける。だが、やがて彼は演奏を中断し、消え去りそうな言葉を不意に紡いだ。



「……時間がない……ウェインの寿命は尽きかけてるんだ……金さえあれば、俺が連れ出せる……。そのために、俺はずっと、人魚を……」



 誰に告げるでもなく、闇の中でこぼれ落ちる言葉。虚空を睨んだまま振り向かないジゼ。


 どこか物悲しげな彼の背中を黙って見つめるばかりのエメリナだったが、ふと背後にいた馬が彼女の元へ近付いてきたことで、その視線は真横に逸れた。



「ヒヒーン」


「!」


「ブルルル……」



 興味深そうに一声鳴いて、顔を近付けてくる馬。

 おさかな──先日命名したその名をぱくぱくと呼びかけ、エメリナは手を伸ばす。しかし直後、ようやく振り返ったジゼは「うわっ、おい!!」と慌ただしく駆け寄ってきた。



「コラ、人魚!! 馬はヒトより体温高いんだから絶対触んなって言ったろ!? 今度こそ焼け爛れるぞ!」


「?」


「キョトンとしてんじゃねー! とにかく触んなって言ってんだよ!! つーかまだ夜中だろうが、何でこんな時間に起き、て……」



 いつもの調子で声を荒げたジゼだったが、次第にそのボリュームは小さくなって途切れてしまう。

 なぜだか黙ってしまった彼にエメリナが瞳をしばたたいた頃、ジゼはため息混じりに眉間を押さえた。



「……俺の演奏のせいか」



 呟き、彼は踵を返す。置いていた竪琴を手に取ると、ジゼはまた岩場に腰掛けた。


 エメリナは小瓶を掴み、ぷくぷくと泡を吐く。



『ジゼ、えんそう、じょうずだった』


「あ? ……あー、そりゃどうも……」


『……? うれしくない?』


「別に。もう長いこと弾いてんだ、言われ慣れてっから今さら褒められようが何とも思わねーよ」



 投げやりに吐き捨て、年季の入った竪琴を丁寧に手入れする彼。エメリナは馬と顔を見合わせ、またジゼへと視線を戻した。



『ジゼ、えんそう、きらい?』


「さあな。普通だよ、普通。吟遊詩人なんてやってんだぞ? 毎日のように弾いてんだから、もう日常の一部みたいなもん」


『ぎんゆうしじん、うた、うたう?』


「……は?」


『エメリナ、うた、すき。ジゼのうた、ききたい』



 期待に満ちた眼差しで見つめるエメリナ。ジゼは一瞬振り向いて表情を歪め、また顔を逸らす。



「……ヤダ」


『いや? どうして?』


「あー……音痴なんだよ」


『おんち? じゃあ、さっきのきょく、エメリナにおしえて。ジゼの代わりに、エメリナが──』


「ダメだ」



 代わりに歌う、と主張しようとするエメリナの泡沫を遮ったジゼに、彼女は大きく目を見張った。

 一瞬の沈黙を挟んでも尚、彼は「ダメだ……」と重々しく繰り返す。



「……お前、人魚の歌に、どんな力があるか分かってんのか……?」


「……?」


「人魚の歌には魔法が宿る──そんな言い伝えも最近は迷信扱いされてやがるが、あれは本当だ。……ろくでもない魔法・・・・・・・・が宿ってんだよ、お前の歌には」



 一瞥もせずに告げられ、エメリナは首を傾げる。


 ──人魚の歌には魔法が宿る。


 元の飼い主であるドビーも、同様のことを口にしていた覚えがあった。



『……でも、エメリナ、うたっても何もおきたことない……』



 小瓶の中で弾ける声。ジゼは遠くを見つめたまま答える。



「テキトーな歌ならな。……でも、さっきの俺の曲で歌うのはダメだ。もう忘れろ、アレは二度と演奏しない」


『どうして?』


「何だっていいだろ。……もう寝ろよ、明日には街に着くぞ」



 どこか突き放すような口振りのジゼに、エメリナは眉尻を下げてちゃぷりと口元を水に沈めた。「ヒヒ〜ン……」控えめに鳴く馬の声で振り返ったジゼは、明らかにしょぼくれたエメリナを見て「う……」とうろたえる。



「そ、その顔やめろって! お前にそういう顔されると、なんか調子狂って面倒なんだよ……」


『……めんどう?』


「そーだよ、お前といるの、本当めんどくせえ……」



 居心地悪そうに呟き、後頭部を掻くジゼ。その言葉にエメリナは一層肩を落としてしまい、ぷくぷくと泡を吐いて小瓶を差し出した。



『ジゼ、エメリナのこと、きらい……?』


「え……」



 問われ、ジゼは目を泳がせる。しかしすぐさま眉根を寄せ、顔を逸らして返答を紡いだ。



「……最初に言ったろ。人魚なんて嫌いだって」


「……」


「俺の人生は、お前ら人魚のせいでおかしくなったんだ。……だから、人魚なんて、俺は──」



 ──ちゃぷん。


 彼の言葉を最後まで聞かず、エメリナは鏡面に波紋だけを残して水中に沈む。「あ……」とジゼは無意識に手を伸ばしたが、そっとかぶりを振って黙り込んだ。


 行き場をなくした手で自身の喉に触れ、視線を落とす。

 己が過去に嚥下してきたものを思い出すと吐き気がした。


 この体は呪われている。



「……大っ嫌いだ……化け物め……」



 紡いだそれが人魚に対する言葉なのか、それとも自分自身に対する言葉なのか。ジゼ自身にも、よく分からなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る