第8話 膨れっ面にハチミツ

「いい演奏だったわ、すごいわね! 王宮お抱えの楽団みたいだったわ」


「それはそれは、光栄です。お美しいマダム」


「お兄ちゃん、すごーい! かっこいいねえ!」


「はは、ありがとう」



 太陽も西に傾き始めた、午後の大通り。広場の近くで竪琴の演奏を終えたジゼは、賞賛する周囲の言葉に慣れた作り笑顔で丁寧に応対していた。


 演奏の腕には自信がある。大きな街であればあるほど、路銀の確保など容易い。



「ほんとスゲェなァ、兄ちゃん。相当練習したろ? ベテランの演奏よりうまいと思うぜ。まだ若く見えるが、アンタいくつなんだ? 」



 ふと、何気なく問われた言葉にジゼは目を細めた。面倒だなと考えながらしおらしい困り顔を貼り付けた彼は、「年齢ですか……僕は孤児だったので、正確な年齢がよくわからなくて。いくつに見えます?」と逆に問いかける。


 男は一瞬頬を引きつらせ、ぎこちなく答えた。



「そ、そうか……そりゃ悪いこと聞いたな。んー、パッと見は十八ぐらいに見えるが……」


「では、十八ということで。まだまだ若造なので、お小遣いなど貰えると喜ぶ年頃ですよ。いかがですか、お兄さん」


「かーっ、言うねえアンタ! 気に入った、持っていきな!」



 テイル紙幣を三枚投げた男。外行き用の笑顔を丁寧に貼り直し、ポロンと竪琴の音色を奏でたジゼは、「ありがとうございます」と上辺だけの言葉を紡いで品良く頭を下げた。


 足元のカゴには想定していたよりも多額のおひねりが収められており、これならばエメリナへの手土産も無事に購入して帰れそうだと安堵する。



(かれこれ二時間……いや、三時間か。一人で部屋に置いてきたからな。拗ねて部屋中を水浸しにしてなきゃいいが……)



 あいつならやりかねん、と危惧したところで、不意にジゼの服はくいっと引っ張られる。驚いて目を見張った先では、年端も行かない男児が無邪気に微笑んで彼を見上げていた。



「ねー、お兄ちゃん、お歌はうたわないのー?」



 そうして問われた純粋な問いに、ジゼはぴくりと反応を示す。連れの保護者も「そうね、歌もあれば素敵ね!」と同意した。



「あなた、声が綺麗だもの。それだけ演奏が素晴らしいんだし、きっと歌を乗せたらもっと素敵だわ!」


「……あ、あ~……ありがとうございます、マダム。けれど、残念ながら僕は音痴なんですよ。歌はどうにもうまくいかなくて」


「まあ、そうなの? ふふ、それはそれで聴いてみたいものだわ」


「あはは……いや、やめておいた方がいい」



 薄く笑い、ジゼはカゴの中身をしまいながら目を閉じる。吹き抜けた柔い風は、片側でひとつに言われた彼の長い髪を撫でて消えていった。



「──聴いたら、きっと後悔するでしょうから」



 冗談めかした牽制の言葉を残して、ジゼは寂しげに目を細め、やがて大通りを後にするのだった。




 * * *




 小銭稼ぎが一段落したジゼは、エメリナとの約束通りに蜂蜜を購入し、宿へ帰る道をたどっていた。


 稼ぎが多かったため、奮発して少し高めの蜂蜜を二瓶も購入した彼。部屋に一人で置いてきた際はむくれていたエメリナだが、これを見れば怒りも忘れて大喜びするに違いない──ジゼはそう考えて口角を上げる。



(ふん、アイツのことだから今も部屋で怒ってるんだろうが、これ見りゃ一発で機嫌直るだろ。あのアホ人魚を相手するなら、泣きっ面にも膨れっ面にもハチミツだ。もう学んだぜ)



 結論を出して頷くジゼ。

 彼が脳内で思い描いたエメリナは嬉しげに表情を綻ばせ、『ハチミツ、いっぱい! エメリナ、嬉しい!』『ジゼ、すごい! 天才!』と己を褒めちぎっている。


 想像したジゼは、「ふっふっふ……よせやい」と自らの鼻尖びせんを指先で撫で、軽い足取りで上機嫌に裏通りを進んで行った。


 しかしその時、彼はふと通りがかった古書店の前で足を止める。目に付いた本の背表紙。そこに並ぶ文字を視線で拾い上げ、ぽつりと唇の上に乗せる。



「……〝人魚の生態〟か……」



 埃をかぶる棚の端で寂しそうにしている本の背にはそう記されていた。なにげなく手に取ったジゼは、黴臭いそれを開いて目を通す。



〝──人魚は森の奥の淡水に棲息し、水辺の精霊と称される神聖な存在である。人魚の住む湖は非常に水が澄んでおり、魚の数が豊富で、生命力に満ちているからだ〟



 目でなぞりながら拾い上げる文字。そこには人魚にまつわる情報が、事細かに記録されていた。



〝人魚には雌の個体しか存在しない。寿命は千年以上と言われているが、外傷に弱く、天寿をまっとうする個体は非常に少ないとされる。


 特に熱に弱く、人の体温では人魚の肌を焼いてしまう。そのため、人間が触れることは出来ない。

 弱点は喉であり、焼ける・もしくは傷が付くと彼女達はたちまち絶命してしまう。『人魚の喉の肉を食らうと不老不死になる』という言い伝えを信じる者は今でも少なくなく、人間に捕獲された人魚が喉をえぐられて死亡する例が後を絶たない。


 加えて、長時間水辺を離れることも人魚にとっては致命傷となる。そこで、捕獲する際には一般的に魔水鏡ホロウメロウと呼ばれる魔法具が使用される。

 ただし使用者が一定の魔力量を持っていなければ正常に発動しないため、人間の魔力そのものに衰退傾向が見られる近年では使用出来る者も限られている。


 また、人魚の歌には魔法が宿ると言われているが、地上で声を聴くことは困難であり、確たる論証はない。

 とある専門学者の研究報告によると、人魚の歌には『死を遠ざけるような魔法』が宿っているのではないかと推測され、現在も研究が続いているという──〟



「……おや、それが気になります? お客さん」



 途中まで読み進めたところで横から声をかけられ、ジゼはあからさまに肩を震わせた。店主らしき老人は「ああ、びっくりさせてすみませんねえ」と目尻を緩め、ジゼの持つ本を指さす。



「読めたもんじゃないでしょう、その本。ペルデール文字なんて古い文字が使われているせいで売れるはずもなくてねえ、そろそろ処分しようと思っていたところで」


「え? ……いや、まあ……読めなくは、ないですけど……」


「えっ? お客さん、お若いのにペルデール文字の解読が出来るので? 何百年も前に失われた文字ですよ」


「あー……その、むかし一緒に暮らしていた祖父が考古学者でして……古代の文字は、一通り勉強したというか……」


「ほお! それは素晴らしい!」



 老人は感心したように頷き、「でしたら、その本は特別にお譲りいたしましょう!」と手を叩いた。予想外の言葉にジゼの目が点になる。



「は? い、いや、別に欲しいわけじゃ……」


「どーぞどーぞ、ご遠慮なさらず! 読めるお方の手元にあった方が、きっとその本も喜びますでしょ! どうせ処分するつもりだったし……あっ! もしよろしければ、似たような古書があと五十冊ほど裏に──」


「あーーっ、分かった分かった、この一冊だけでいい! どうもありがとさん!」



 このジジイ、俺を使って在庫処分しようとしてやがる……! と店主の魂胆をいち早く悟ったジゼはうんざりした顔で古書の一冊を荷袋の中にしまった。またどうぞ〜、と手を振る老人に背を向け、彼は再び歩き出す。


 不本意ではあるが、しばらく人魚の世話をしなければならないのは確定的だ。人魚に関するこういった専門書があるのならばありがたい。一応参考程度に読み進めてみるか、と彼は嘆息した。



(しかし、人魚の生態が書かれた古書なんてまだ残ってたんだな……。何はともあれ、今どきペルデール文字の本なんて滅多にないしラッキーだった。俺がちゃんと読めるのはこれだけだからな)



 ふう、と息を吐き、ジゼはそのまま裏通りを抜ける。

 しかしその直後、前方から駆けてきた黒馬が突如目の前を通過したことでジゼは「うおお!?」と後退した。


 風を切って衣服の裾を掠め、走り去っていく馬。あわや轢き殺されるところだ。



「ッの野郎……! あぶねえな……!」



 狭い路上で馬を走らせていたのは、小汚い無精髭の男だった。背中には大きな麻袋を背負っている。ニヤついたまま馬に鞭打つその男を睨んでいたジゼは、ふと、彼の背負う麻袋に目を凝らして眉根を寄せた。


 もぞり。人の背丈ほどあるその中身が、一瞬身じろいだように見えたのだ。



「……? あの麻袋、いま動いた……?」


「おォい!! 助けてくれ!! ドロボーだァ!!」



 刹那、通りに響いた大声。

 駆けてきた男は切羽詰まった様子で今しがた通り過ぎた黒馬を指差す。



「うちの馬が盗まれた!! 盗賊だ!! 誰か自警団に連絡してくれ!!」



 半泣きで叫ぶ馬の持ち主。通りにはたちまち喧騒が広がり始める。


「やだ、盗賊ですって?」

「怖いわ……」

「早く自警団を……」


 ひそめく群衆。ざわめきは少しずつ大きくなる。

 ジゼは先程の麻袋の中身を気にかけつつも、物騒なことには首を突っ込まない方がいいと素早くその場を後にした。



(まずいな……騒ぎが大きくなれば、自警団やら王国騎士団の連中が動き始める。自警団ならともかく、騎士団の連中に俺の存在を嗅ぎつけられたら厄介だ。トレイシー家の坊ちゃんが人魚と俺の情報を与えている可能性がある)



 顎に手を当て、この街に下手に長居するのは危険だと判断したジゼ。本来ならばあと二日ほど滞在する予定だったが、今夜この居住区コロニーを立つべきだと結論をだした。


 さっさとエメリナを連れて街を出よう──そう考えながら宿に戻ったジゼは、騒がしいロビーを素通りして階段を上がる。


 しかし、廊下を数歩進んだところで、自分の客室の様子がおかしいことに気がついた。



「……? 扉が開いて……?」



 どういうわけか、部屋の扉がわずかに開いている。

 客室を出る際は確かに鍵を施錠した覚えのあるジゼ。小首を傾げ、彼は廊下の床に視線を落とした。



「濡れてる……」



 水を撒かれたかのように湿っている床。従業員がモップがけでもしたのだろうかと訝しんだが、清掃後にしては宝石のカケラのような小さな破片がいくつか散らばっていて不自然さを覚えた。

 その場に屈み、破片を拾い上げてみる。それは翠色の鱗だ。誰の落としものであるかを悟った瞬間、ジゼは顔をしかめる。



「あいつ……! まさか外に出たのか!?」



 エメリナが扉を開けたのだと理解した直後、手に取っていた鱗はジゼの体温に触れたことで茶色く焦げ付き収縮してしまった。彼はハッと目を見張り、近くに散乱する鱗に今一度視線を落とす。


 綺麗な翠玉の色を保っているもの。

 熱によって収縮し、形が変化したもの。

 焦げて完全に色が変わっているもの……。


 それらを視界に捉えた途端、彼はどくりと胸を震わせる。



 ──違う。アイツは、自分で部屋を出て行ったんじゃない。



 焦げた鱗が廊下に飛散している意味をようやく理解した彼は、焦燥をあらわに身をひるがえした。



「──エメリナ!!」



 客室に飛び込み、部屋の中に叫ぶ。しかしそこには鏡と小瓶が転がるばかりでエメリナの姿などなく、静寂が返ってくるだけだ。


 床にはやはり焦げた鱗が飛散しており、おそらく火傷の痛みに身悶えて暴れたのだろうと予測がついた。人間の手で体に触れられ、何者かに連れ去られたことは間違いない。



「くそ……! やられた……!!」



 苦々しく声を絞り出し、ジゼは煮えたぎる怒りを押し殺して冷静に状況を整理する。


 床の湿り気がまだ残っているということは、彼女が連れ去られてから時間はそれほど経過していない。追いかければまだ間に合う。だが、追いついて奪還したところで、エメリナの肌はおそらく以前のような綺麗なものではなくなっているだろう。


 商品としての価値が下がった人魚を奪い返すために、我が身を危険にさらしていいのか──そんな葛藤が胸を包んだ。



(あいつが怪我してるとしたら、商品価値は確実に落ちてる。魔水鏡ホロウメロウが部屋に残ってる時点で水にも浸かれていない状況だ……最悪、もう手遅れかも)



 奪還しに行くべきか、それとも諦めるか。


 迷いが生じると同時に脳裏を駆けたのは、寂しげにジゼを見送った、孤独な人魚の泣き出しそうな顔。


 そして、ジゼ自身が彼女に告げた言葉だった。



 ──すぐ迎えに来てやっから。



「……迎えに……」



 ぼそりと呟き、ジゼは瞳を上向かせる。程なくして一歩足を踏み出した彼は、人魚のいない魔水鏡ホロウメロウと空の小瓶を拾い上げた。


 数時間前の己が吐いた言葉を思い返しながら、彼は静かに覚悟を決める。



「……危険が伴おうが、関係ねえ」



 迷いを振り払い、鏡を背負って扉を蹴り開けたジゼ。


 くすんだ蜂蜜色の髪をなびかせた彼は、廊下に落ちた鱗を拾い上げると、世間に忘れ去られて久しい〝魔法〟の呪文を小さく紡いだ。



「〝汝の主の居場所を示せΒρείτε-βρίσκεστε〟」



 刹那、淡い光を帯びた魔力の糸が現れ、南西方向へまっすぐと伸びる。同時に鱗は焦げ落ちてしまったが、残った糸はしっかりとジゼの小指に結び付いた。


 細いそれを指先で撫でれば、鼓動を刻むかのような一定の拍が糸を経由して伝わる。どうやらまだ生きてはいるようだ──ジゼは密かに安堵した。



(……よし、魔法なんざ久しぶりに使ったが、ちゃんと成功したな。人魚に魔力があって助かった、生きてる限りは俺の魔力探知・・・・に引っかかってくれる)



 普通の人間じゃ魔力なんてもう残ってねえからな、と浅く息を吐き出し、ジゼは糸の先を睨んだ。


 この魔力糸の伸びる先に、エメリナがいる。



「……あの人魚を先に盗んだのは俺だぞ。どこのコソ泥だか知らねーが、この俺を出し抜けると思うなよ」



 立ち上がり、ジゼは廊下の窓を開けて屋根の上へと飛び移った。糸の伸びる南西方向を見遣り、彼は己に言い聞かせるよう宣言する。



「あの人魚は、もう俺の商品だ。傷があろうが火傷してようが、俺のもんなら俺が面倒見る──他人になんか渡すもんかよ」



 力強くのたまって、彼は屋根を蹴り、糸の指し示す方角へと駆けて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る