第五話 再会

 何か見てみたいものはないかと問われて、真っ先にアウロラの頭に浮かんだのは海だった。テハイザ王との謁見の間からも海は見えたが、玻璃越しではなく、やはり直に、もっと近くに大海原を感じてみたいと思ったのだ。

 その旨を告げると、スピカは自信たっぷりにアウロラの手を引いて廊下を歩き始めた。


「このお城から海に行くなら一番気持ちいいのは、小舟ですいーっ、です! 船着場こっちなの!」


 聞けば、城に沿う形でシューザリエ川の支流が海まで伸びているという。緩やかな傾斜を下って真南に出ると大海に行き着く。帰りは西側にある船着場へ小舟をつけ、城を囲む林の間道を通って使用人の使う戸口まで戻ればいい、とスピカは説明する。

 シューザリエ川はシレア王都でも荷物の運搬に使われているし、アウロラも小舟なら自国で何度か乗ったことはあった。しかしそれはあくまで川を行くもので、両側に陸のない海の上に出るなど想像もつかない。アウロラはすぐにスピカの提案に賛同し、早足で進む少女に歩調を合わせた。


 ***


 そのようなわけで今に至るのだが、大海原に身を浮かべた感動も束の間、いきなり勝手わからぬ水の上で、アウロラは窮地に立たされた。

 スピカの瞳から先ほどまでの自信満々の輝きが消え失せ、頬は強張り、顔が真っ青になっている。


「ちょっとそこから動くな!」


 そう叫ぶとシードゥスは露台から室内にとって返し、廊下を駆けた。

 勝手知ったる城の中だ。時間を空けていても、どう進めば最速で地階へ出られるかはわかっている。頭の中の地図を辿って階段をひた走る。東から南にかけては城が直に海に面しているため、舟も何もなしで海上の二人を助けるのは無理だ。向かうのは西の船着場だった。

 そう思って使用人口から飛び出し、丸木をつなげて作られた桟橋へ駆け出る。幸い二人が乗った小舟も波に乗せられて随分と桟橋近くまできていた。これなら何とか、泳いで舟を押してやることも可能か。


 目標を見据え、シードゥスは桟橋の手前で海に飛び込む踏み切りの体勢へ身体を整えた。


 その時だ。


 シードゥスの横を背の高い人影がすっと通り過ぎ、次の瞬間に細長いものがその人物の手元から伸びて宙を飛んだ。それが優美な曲線を描いてアウロラとスピカが乗る舟まで届くと、カコン、と音が鳴り、上空の曲線が直線へと姿を変える。


「姫様! その重石おもし、しっかり掴んでてくださいねー。いまからゆっくりこっちに引き寄せますから」


「ロスさん」


 横で足を踏ん張りながら細綱を張る男性は、シードゥスの方を向くと半ば呆れ顔で諭した。


「冬の海水の温度は極端に低いぞ。下手に飛び込んだらただじゃ済まないことくらい、海育ちのお前ならわかるだろ。慌てすぎ。ほら手伝え」


 言う間もロスは細綱を桟橋の杭に縛りつけ、それをゆっくりと手繰っていく。


「はぁ……すいません……」


 理性が飛んだ自分の行動に赤面しながら、シードゥスもロスの足元で渦を巻いていく綱を固定しに取り掛かった。あまりに重いものを投げると衝撃で小舟が転覆するからと、舟に飛ばした重石は比較的軽めらしい。小舟に座ったアウロラが、それをしっかりと押さえている。一方スピカは先の恐怖はすでに忘れたか。「お兄さーん!」とロスを呼びながらきゃっきゃと手を振っていた。


 ***


「あのなぁ、だからもう少し落ち着いて行動しろと何度言ったらわかるんだお前は」

「はーい、ごめんなさいー……」

「姫様もです。貴女がついていてこれですか。あのねぇ、海っていうのは川とは違うんですよ。高波だって来るんです。そのくらいは知っているでしょう。一緒になってはしゃいであんな小舟で転覆したらどうする気ですか。年長者としてもっと……」


 小舟から上がった二人は、王の居室に戻る道すがら、救出に走った男性二人からくどくどと説教を受ける羽目になった。確かにそうだとアウロラは納得し、肩を落として話を聞くしかない。クルックスは気の毒そうにその様子を見ているが、叱られるのも当然なので口を挟むこともしない。

 一方スピカは叱り付けられながらもにこにことしたままで、反省している様子もなく、突然シードゥスを見上げて袖口を引っ張った。


「兄さん、お帰りなさいっ!」


 そう言って嬉しそうに抱きつかれては、シードゥスも怒る気になれない。むしろ、そこまで寂しい思いをさせたかと、喉元につかえを感じる。いつの間にか妹の頭は自分の記憶よりもずっと高いところに来ていた。本当に長いこと、帰っていなかったのだ。


「……ただいま……待たせたよ」


 腰を落として妹を抱きしめる。するとスピカの方もシードゥスの肩に頭をくっつけた。黒髪を撫でるシードゥスの手が編み込みに気が付く。短かく切ってばかりだったのに、いつの間にかこんなに伸ばすようになったのか。


「そういえばロスが来てるってことは、お兄様も到着してらっしゃるのよね」

「ああそうです。いまもう、こちらのお部屋で王とお話ししていらっしゃいますよ」


 

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