第六話 約束

 気付けば五人はすでにテハイザ王の居室の前についていた。ロスが戸口を叩いて入室の是非を問い、承諾の返事を受けて扉を開く。

 テハイザ王とカエルムはちょうど話の最中だったらしく、書類等を広げた机を挟んで座っていた。


「皆、揃いだったか。ちょうど良かった。先の話をいま、カエルム殿とも済ませたところだ」


 国での仕事を急ぎで片付けた後の早駆けだったというのに、疲れを微塵も見せず、カエルムは優雅に微笑んだ。


「幸い、テハイザ王殿下も考えていたことが同じらしくて助かりました。シードゥスにはこれから一層、世話になるかな」

「え? 俺?」


 全く意外なところで名前を呼ばれ、シードゥスは自分を自分で指すというありきたりの仕草で問い返した。横ではアウロラが事情知ったりといった風情で兄と王の言葉の続きを待っている。


「実はね、外交使節を兼ねるという形で、シードゥスにはシレアに留学してもらいたい。業務内容としてはテハイザとの連絡係だが、学んでもらいたいのはむしろロス殿の仕事かな」

「え」

「いま、ロスに稽古をつけてもらっているだろう? それを継続する傍ら、テハイザ王殿下とシレアの間のやりとりにも走ってもらうことになるから、多少大変にはなるかと思うが」


 両人の言葉にシードゥスは驚きで数秒、固まってしまった。周囲が自分の返答を待っているのに気が付いて、やっと口を開く。


「それは……願ってもない恩恵ではありますが、でもそうすると妹は……」

「ああ、それなのだが」


 テハイザ王は予想通りだとでもいうように、スピカに視線を移した。


「今時分、落ち着きのないテハイザよりシレアの方が教育制度が整っているのは承知だろう。城での働きを見ていても彼女は随分と賢いからね、テハイザの不十分な教育では勿体ない。奨学生として留学させたいと思っていたのだよ」

「もちろんスピカの希望を一番に優先するつもりで——というわけだけれど、どうする? スピカ」


 優しく問いかけたカエルムに、それまで大人しく話を聞いていたスピカの濃紺の瞳がまん丸に見開き、同じ色をした兄の眼を見て、カエルムとテハイザ王、アウロラ、ロスの顔を見て、もう一度兄を見た。そして大きく息を吸うと、「行きたいです!」と弾けんばかりに返事をする。


「スピカ、それならほら、さっきの」

「あっ」


 アウロラが小さく囁いたのを聞き、スピカはしゃんと姿勢を正した。そして右足を下げ、爪先を床に立てると、両の手で衣を少しだけ持ち上げる。

 背筋が丸くならないように意識を張ったまま、ゆっくりと腰を落とした。


「シレア国カエルム王子殿下、遠路はるばる、ようこそテハイザ国へいらっしゃいました。どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ。わたくしは女官見習いのスピカと申します。至らぬところばかりではございますが、なんなりと。どうぞお見知り置きを」


 高くよく通る声で淀みなく述べると、スピカは深々と頭を下げた。


「また、テハイザ王陛下の並ならぬ御厚意、我が身には勿体無いお言葉に、心より感謝申し上げます。この上ない喜びでございます」


 そうして再度、礼をとったスピカの所作は、見事な貴婦人のそれだった。シードゥスが驚いて妹を見つめるのに気がつき、アウロラの表情がほころぶ。


 ***


 王の居室から船着場へ廊下を急いでいた時のことだ。

 アウロラは、意気揚々と自分の手を引く少女が何か忘れていることを思い出した。


「あ、ちょっと待って。まずスピカのお願いを聞かなきゃね。きっとすぐ終わるわ」

「あ、忘れてた」


 本当に忘れていたらしく、スピカはぱた、と立ち止まってほうけた声をあげた。


「ちゃんとした貴婦人のご挨拶、教えてください」


 髪の毛を跳ねさせてスピカがぺこりと頭を下げる。アウロラはころころ変わる少女の様子にまたも笑みを誘われた。くすくす笑いながら、廊下の壁の一角に姿が映るくらいの窓を見つけてスピカを手招きし、自分もその横に立つ。


「それじゃ、窓に映っている私を見て、やってみてね。まずは背筋を伸ばして——」


 ***


「いつの間にかそのような見事な礼を取れるようになったとは、驚きだな。スピカがもし望むなら、シレアでも女官の修行をさせて頂くかい?」

「ほんとですかっ!?」


 感心した口調の王の提案に対して、あっという間に元に戻った少女に、場の全員が吹き出した。


「あっ、そだ。王子さま、王女さまに会わせてくれるって、約束守ってくれてありがとうございます!」

「ああ、もちろん、約束は守る、けどね」


 カエルムも笑いを抑えきれず、口元を手で覆ったまま答える。この調子では少女が女官長へ至る道のりはまだまだ長い。


 周りから笑われてきょとんとするスピカを小突きながら、シードゥスもクルックスもお互いに目を合わせる。自分たちの妹がこれからどうなるのか、全く予想がつかない。


 テハイザ王の居室に、こんなにも柔らかな笑顔が満ちたのは、一体いつぶりのことだろうか。



 空には冬の寒さを忘れさせる暖かな陽が昇り、水平線のすぐ上には、真昼の月が白く姿を現す。夜になれば今度は、南十字星の美しい輝きが見えるだろう。


 ——完

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