第三話 対面

 口では久方振りと言っても、国を出るまで何年も共に過ごしてきたせいか、つい昨日も会っていたような気がするから不思議である。

 シードゥスは身を屈めて床に落とされた書物を拾い、クルックスに渡した。何を言うでもなく、どちらともなく室内中央の机を挟んで腰を降ろす。いましがた自分が昇っていた梯子のあたりの書棚を見上げて、クルックスがぽつりと呟いた。


「あの辺の古い書物は奥に入れてしまってもいいかな。見る人も少ないし、新しい書物を入れる棚が足りない」

「クルックス、今お前、ここの書庫の管理でもしてるのか?」

「ああ、うん。身寄りのない僕としては城においてもらうだけで十分だから、下男のままで良いって申し上げたのだけれどね。昇進とかして政争やらに巻き込まれるなんてまっぴらだし。でも陛下から、是非とも任せたいとのお言葉をいただいて」

「ほんと、昔から喧嘩も嫌いだもんな。秋の件に関してはよくお前が前線に立ったと思うさ」


 心底感心したといった顔の友人に、クルックスは苦笑する。


「それはお互い様だろう。シードゥスこそ二重の間諜、よくやったと思うよ。僕には無理だ」


 隣国シレアを支配するために王都シューザリーンの情勢を探り、その安定が損なわれ、攻め入る好機をテハイザに知らせるために送られた間諜。しかしテハイザ上層部のその思惑は、テハイザ新王の真意に反するものだった。そのため、勢力を拡大したテハイザ上層部を実力行使に誘い、そこを押さえて政界の中枢から引きずり下ろす。そのために、急進派である上層部と真のテハイザ王側近の両方と連絡を取り、シレア王子の力を借りる形で新王の王権を奪回する。

 急進派中枢官吏の長子として当然のごとく与えられた命令と、シレア王宮に間諜として忍び込みながら自ら父親その他に背いて王権派の手足として暗躍したのがシードゥスだった。


「しかし秋の騒動が終わってからもう年明けだよ、シードゥス。遅すぎないか。あのがどれだけ待ってたと思ってるんだ。お前らしくもない」

「……悪かったよ。お前には妹のこと預けっぱなしで」

「詫びは本人に言いなよ。というより、まだ会ってないのか?」


 クルックスは咎める口調でありながら、どこか労るところも感じられて、シードゥスは返答に窮した。黙って窓の外へ視線を移す親友を見て、クルックスはゆっくりと立ち上がる。


「少し、海を眺めに出ないか」


 ***


「それではアウロラ殿、どうぞこの後は食事の時間までごゆるりとお過ごし下さい。せっかくいらしたのだからずっとお話ししていても退屈でしょうし……お相手したいのは山々なのですが、恥ずかしながら私の方も兄君にお渡しする書類等が思いのほか手間取ってしまい、まだ作り終えてなくて」

「ありがとうございます。兄も早めに着くよう国を出ると申しておりました」

「彼の駿馬なら到着も早いでしょう。夕餉はご一緒できれば嬉しいが」


 あらかた重要事項や近況を報告し合い、テハイザ王とアウロラは席を立った。南向きの部屋からは海が一望できる。海面に反射する太陽の光は来た時よりも明るさを増したようだ。


「城の中は自由に散策なさって構いませんよ。我が城は面倒なくらい広いが……」


 話しながらテハイザ王はアウロラを促し、廊下へ出る扉を開けた。


「案内なら彼女が致します。まだ若いが、城内のことなら老臣よりもよく記憶しています。何でも聞いてください」


 扉の外には、年頃は十かそれより少し上と思しき少女が控えていた。黒に近い髪は肩より下まで伸び、頭の上の方から編み込んで一つに纏めている。

 アウロラと視線が合うと、少女はぴょこりと音が聞こえそうなほど勢いよくお辞儀をし、濃紺の瞳を輝かせた——アウロラの記憶にもある、深い瞳の色だ。


「こんにちは王女さま! あたし、スピカです! お見知りおきを!」


 女官が身につける水色の服の裾を摘み上げて少しだけ腰を落とし生き生きと名乗る少女に、思わずアウロラもテハイザ王も破顔する。テハイザ王はスピカに一言、よろしく頼むと告げると、アウロラに一礼して自室に戻った。


「それじゃ、王女さま、お部屋に案内します? それともお城の中にします?」


 無邪気に聞く様子が可愛らしく、アウロラはスピカの目線に合うよう膝を折って微笑む。


「初めまして。アウロラと申します。お世話になりますわ」


 すると、スピカは口をつぐみ、居心地悪そうに身を縮こまらせた。


「ええっと……王女さま、あたしには普通にお話ししてくださっていいんです……」


 でも、とアウロラが口を開く。するとスピカはアウロラの前に掌を出し、早口で続けた。


「あっ、王女さまはきっと王子さまみたいに『テハイザの王女じゃないからあたしと対等』っておっしゃると思うのですけど! でもあたしはそれなんか窮屈なんですっ……ええっと、だから」


 真っ赤になって必死に説明する様が可愛らしい。


「それじゃあ、お言葉に甘えて。よろしくね、スピカ」


「王子さま」とはきっと兄のことだろうと考え、さらに少女の顔立ちと髪や目の色を見て、アウロラの頭の中で話に聞いていた少女と目の前の少女が一致した。そうすると頭が自然に、普段シレア城で軽口を叩いている相手と少女を比べていて、ますます彼女が愛らしく思えてくる。


「まったく……外見は確かに似てるけど、あれには勿体ないくらいの可愛さだわ」


 吐息と共に漏らしたアウロラの言葉に、スピカの頬がさらに赤みを増し、瞳が輝いた。


「王女さまっ、あたし、兄さんに似てますか?! どこが? どの辺が? もしかして兄さん、一緒に帰って来てるんですか?! 兄さん迷惑かけてませんか? 何かあたしのこと言ってましたか? 兄さんのお城のお仕事って……」

「あはは、ちょっと待って待って。一つずつ答えさせて!」


 息せききって話しだすスピカの肩を押さえて、アウロラは苦笑しながら宥める。十八になった自分ですら、兄がいない時は心細いのだ。スピカのように小さい子供が兄と離れてどれだけ寂しいか。それは想像して余りあるところだった。


「まず、そうね。お兄さんは貴女と違って口は悪いし礼儀もなってなくって、よく無神経だけれど……とても城ではお世話になってるわ。気が効くから私もお兄様も助かってます」


 スピカは弾丸のような先ほどの勢いはどこへやら、口をひき結んでアウロラの言葉に真剣に耳を傾ける。


「貴女のことは普段、口に出さないけれど——これは私達に気を遣ってでしょうね。いつもどこか、心配そうにはしていたわよ」


 ——だから、さっさと帰れって言ってたのに。まったくあの馬鹿者。


 後ろめたさだか遠慮だか、必要のないことに頭を悩ませシレアに留まっているのは明らかだった。しかし秋以降、シレア城の中ではそれ以前に増して仕事をこなしていた青年が、夜になると南の空を眺めていたことも、アウロラやカエルムほか、城の皆が知るところだ。

 その心配の種はいま、アウロラの前で弾けんばかりの喜びを全身で表している。


「兄さん、会えるかな。お仕事かな」

「会えるわよ。後で一緒にお茶でもしましょ。あれもものすごーく貴女に会いたがっていたからね」


 ——口には出さないけど。


 アウロラの心の声は知らず、スピカは今度は急に背筋をしゃきりと伸ばし、大真面目に客人を見上げた。


「王子さまも来るんですよね。えっと、だとするとですね。あたし、一つ王女さまにお願いがあるのですけれど……」

「え? なあに?」


 まだ小さい手を振って、スピカはアウロラに耳を貸すよう示す。廊下には他に誰もいないのにもかかわらず、アウロラもスピカの口元に頭を近づけた。彼女の小さな「お願い事」がひそひそ声で告げられ、アウロラはくすりと笑みを漏らす。


「それなら、お安い御用だわ」

「ほんとう!? じゃ、お礼ってわけではないですけど、あたし王女さまの見たいところやりたいこと全部やります! 見たいものありますか!?」

「見たいもの、ねぇ……ええと、それじゃあ」


 今度はアウロラがスピカの耳元で囁く番だった。アウロラの言葉を聞き、スピカは得たりと悪戯っぽく瞳を丸める。


「任せて!」

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