第二話 親友

「それにしても、あの衛士ひとはあなたの事、知らなかったのね」


 検問所を通り抜け、馬の手綱を引きながらアウロラは前を行く青年に尋ねた。


「当然ですよ。俺がここを出てから、役人の大部分が入れ替わったらしいし」


 先にシードゥスと呼ばれた青年は振り向きもせずに素っ気なく答え、迷いなく道を進んでいく。検問所から城下へ伸びた道は下り坂になっており、目の前には階段状なって並んだ赤い屋根を持つ家々。街は弧を描いて広がり、連なる家屋の向こうには波が眩く光る海が広がっていた。珊瑚礁海に続く三日月湾である。手前の風見鶏港には、帆をたたんで停泊する船の上を、鴎が悠々と飛翔する。

 港からやや離れ、海に一番近いところには、緑地に囲まれて白亜の城の高い尖塔が光を受けて煌めいている。テハイザ城だ。

 壁に埋め込まれた貝細工は国が誇る工芸技術の一つ。ためらいと共に懐かしさを覚えながら、シードゥスはアウロラを先導して傾斜を降りていった。


 ***


「ようこそテハイザ城へいらっしゃいました。シレア国第一王女、アウロラ殿」


 アウロラとシードゥスが通されたのは城の南端の最上階。半円形の部屋は滑らかな大理石で覆われ、その中心に大きな球体が置かれている。その前で、黄金の髪を持ち、海の青を映したような長衣に身を包んだ男性が二人を出迎えた。外套を脱いだアウロラは、薄紅色のドレスの裾をつまみ、シレア国の最上礼を取る。


「御機嫌麗しゅう、テハイザ王殿下。此度こたびは貴国へ御招き頂きまして、心より感謝申し上げます」

「そう、堅苦しくしないでどうぞお寛ぎください。先日は兄上殿下にこれとないほど助けられましたし、そうかしこまられてはこちらも肩身が狭い」


 王は柔らかく微笑むとアウロラに椅子を進め、背後に控える青年に声をかけた。


「シードゥス、御苦労だった。礼を言うよ」

「暖かい御言葉、恐縮に存じます」


 片膝をついて王に対する正式礼をとるシードゥスに、王は頭を上げるよう述べた。


「お前も久方の故郷なのだ。姫君のお相手は良い。ゆるりと休み、旧交を温めると良いよ」

「そうね、シードゥス、ありがとう。わたくしは王とゆっくりとお話を楽しみますわ」


 やんわりとしたテハイザ王の言葉と、笑顔で、行け、と訴えるアウロラの圧力に負けて、シードゥスは反論もなく辞を述べた。扉に手をかけたところで、テハイザ王が言い添える。


「ああシードゥス、彼なら書庫にいるから」


 会釈で返し、シードゥスは静かに扉を閉めた。それを確かめて、アウロラは苦笑する。


「彼は頑固者ですわね。休暇を出そうとしても、なかなか帰省しようとしないのですもの」

「立場的に複雑な思いもありましょう。ご存知の通り私は勿論、姫の兄君を通じて彼には謝意を伝えましたが……彼はまだ若い。自身の気持ちの整理の時間も必要ですから。急ぐことはありませんよ」

「そう、ですわね……」


 扉の先を見るようなアウロラの表情に、テハイザ王は穏やかに目元を緩ませながら口を開いた。


「ところでアウロラ殿、実は彼のことで一つ、ご相談があるのですが……」


 部屋の隅に控えていた侍女に辞するよう合図すると、テハイザ王はアウロラと正面に向き合って話し始めた。


 ***


 王の居室から長い廊下を北へ進み、階下への階段を降る。低層階まで至ると装飾も窓もない渡り廊下を通り抜け、シードゥスは北の棟へ移った。さらに進むと目的の扉が視界に現れる。もう随分と昔のことの気がするが、見慣れた装飾。書物と定規、羽ペン、秤、それらが扉の上の壁に、騙し絵の手法で立体的に描かれている。忘れもしない。記憶の中にあったものと全く変わっていなかった。


 はぁ、と大きな溜息をつき、次いで思い切り息を吸う。意識するなという頭の命令とは裏腹に、取手に触れた手から脈の振動が伝わる気がする。

 そうは言っても、いつまでも扉の前で待っているわけにもいかない。シードゥスは目を瞑って、勢いよく扉を開けた。


 その瞬間、シードゥスの耳が頭上からのヒュッと空気を切る音を捉える。瞬発的に頭を左へ振り、右足を後ろへ避ける。そこに——どごっと鈍い衝突音を立てて拳よりも厚い本が床を打った。


「残念だな。よけられた」

「……っ……あっぶないだろお前……なにすんだ……」


 背筋に汗が伝うのを感じつつ、声のした斜め上を見上げると、壁に立てかけられた梯子の上から、記憶に馴染んだ顔が涼しい瞳をしてパンパン、と手を払いながら降りてきた。


「久しぶりに会うっていうのに随分なご挨拶だな」


 床に足をつけた青年の顔を、シードゥスは恨みがましく睨みつける。青年の方も、にこりとも笑わず冷ややかに、片足を梯子の一段目にかけたままでシードゥスを見下ろした。


「久しぶりすぎるんだよ。遅い。まあ、でも」


 そしてその顔は、幼い頃から変わらない柔和な微笑みに変わった。


「お帰り、シードゥス」

「……ああ、やっと帰ったよ。クルックス」


 親友の笑顔につられて、シードゥスの口元も緩んだ。

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