第7話 カナリアは眠らない
『ここがカナリアの家だ。君には今日から十年間、ここで暮らしてもらう』
カナリアの
『この森は普通の人間は近づかない。ここに近づくと、リストバンドを通じて不快感を感じるから、無意識に避けるんだ』
「具体的に言うと」
『頭が痛くなる』
「それは何かヤだ」
『君はリストバンドを外してるからな。影響が出ないのだ』
「そんな仕掛けがあったんだ」
地図に無い森の地図にない家。初めて見る開放型の家。ドアがエアロックじゃない。窓が開く。
「昔のドラマで見た、こう言うの」
『昔の家はみんなこうだったんだ』
微妙に生活感を感じる。つい昨日まで誰か暮らしていたような。
「ここ、誰か住んでたんですか?」
『うん、君の前任者がね。さっきも言ったろ、カナリア計画は百年前から始まったんだ』
『まずシフト黄色が眠り、シフトブルーが一日活動してから、眠りにつく。どっちも眠ったまま十年。その繰り返しでこれまで百十年経過した。大気汚染は確実に減ってる。今は人体への影響を調べる段階に来てるんだ』
それが、カナリア。
『これから君はマスクを外し、ここで生活する。十年間起きて、生きて、毎日体調の変化を記録する。要するにアレだ。先行モニターだよ』
あるいは人体実験。
『必要な物は全て用意しよう。生き物以外はね。スマホは我々の準備した新しい機体に全てデータを移した。君の機体は預からせてもらう。いいね?』
「いいです」
中味が残るのなら。
『これはカナリア専用機だ。外部とはつなげないが、カナリアネットに接続している』
「カナリアネット?」
『君だけじゃあないんだよね。他のシフトに会いたくて、眠らなかった人』
ネットワークができるほど。
『そしてこれは遠隔操作』
かぱっと重装防護服のヘルメットが開く。
中には誰もいなかった。
「ロボか」
『ロボだ。私の本体は眠っている』
あるのは、カメラとマイクとあと何か。
「なんで、ゆさぶられてアウアウ言いましたか」
『酔うから』
★
レコのカナリア暮らしが始まる。新しいリストバンドの色は白。青でも黄色でもない。
最初の一週間は自撮りしまくった。動画も写真も山のように。ワミの知っている16歳の自分を残すために。
だけどすぐ悟った。
「いくら撮っても、送れない」
黄色いスマホはワミには繋がらない。
マスク無しで外を歩く。毎日毎日、地図にない森を出て町に行く。けっこうな距離だ。電動式自転車が支給されたけど、自分の足で歩いた。
とことことことこ、とことこことこ。
(目に見える範囲で起きてるのはあたしだけ)
ベーカリー木花の前まで歩いて、ベンチに座るのが日課。本を読んだり音楽を聞いたり。
往復して、毎日一日の終わりにバイタルを記録する。
生活物資は無人宅配機が運んでくる。
白いリストバンドをかざして受け取る。
家を掃除して、洗濯して、食事を作る。
退屈はしない。
これまで人類が蓄積してきたコンテンツは、たかだか十年で全部消費できるような量じゃなかった。
過去のコンテンツを掘り返してるだけなのに、毎日毎日何かしら新しい物を見つける。
直接誰かと会うことはない。
けれど、カナリアネットがある。
★
カナリアネットには二十四時間、誰かしらがさえずっている。
音声も、テキストも、映像もやりとりできるSNS。おなじみのアレ。
(ワミに繋がってないけど)
どんな理由で『寝なかった』のか、たまに口にするけど本音かどうかはわからない。
黒canaria『これでもちゃんと申請を出したんだよ? 恋人と一緒のシフトにしてくれって。だけど受け入れてもらえなかったし、わざわざ別のシフトにされた』
Reko『何それ酷い』
黒canaria『同性だからかな。「そーゆーの困るんですよね」ってすごいしかめっつらされたよ。何が困るのかな。僕とその人は何の関係も無いのに。成人してるのに』
Reko『ひどい』
大人になれば自分の意志でシフトを選べる。だからあと2年でワミと同じシフトに変えられる。そう、信じていた。
だけど世界は公平じゃなかった。
Reko『無理解以前に悪意を感じる』
黒canaria『まったくだよ。おーい、聞いてるかー管理人! なにもかもあんたらのせいだぞー! 彼とはもう二度と会えないんだ。俺だけ十年、年とっちゃうからなー! あんたら、なーんにもわかってない。人の心が無い!』
カナリアはみんな、同じ痛みを抱えている。
(それでもこの人は、記憶を守りたかったんだ)
★
月日が経過するとともに、カナリア同士でくっつく人も出てきた。
人は今いる人間の中でコミュニティを構築する。
黒canaria『今度は同じシフトにしてもらえたよ』
Reko『おめでとうございます』
黒canaria『ありがとう。Rekoさんはどうする?』
Reko『あたしは……』
ワミと同じシフトで寝る。遠くから見てる。それだけでいい。
Reko『我ながらキモ! ドン引きするわー』
黒canaria『キモくない。Rekoさんは強い。尊敬する』
Reko『ありがとう』
黒canaria『尊い。尊いよ』
★
ありあまる時間を使ってレコは人形を作りはじめた。
学ぶ時間はいくらでもあった。材料は無人宅配機が届けてくれる。
ワミと自分のペアで。写真や動画じゃ足りない。さわれる実体を残したい。始まりはフェルトで作ったマスコット人形。
布人形から、のっぺらぼうの素体に自分で顔を書くフェイスペイントへ。目の色も髪形も服も自分で作ってカスタマイズ。
黒canaria『なんか日々レベルアップしてるね』
Reko『さんきゅ! 手をかければかけるほど、時間は早く過ぎるから』
凝った衣装は時間つぶしにもってこい。
できあいの素体じゃ我慢できず、とうとう自力で作り始める。
ソフビからレジンへ。切磋琢磨を続ける。
こうして、ワミとレコのペア人形が増えて行く。
Reko『レジンは丈夫だけど、経年劣化しちゃうんだね。石礎粘土もいいけれど、最終的には、やっぱビスクかな』
黒canaria『そこまで行くか!』
Reko『原形を粘土で作るのは同じだから』
人形を作るのは十六歳の自分を保存するため。
「どうよ、これ」
十年の年月を経て、ついに完成した。
顔も、体形も、瞳も自分たちにそっくりのビスクドール。
十六歳のレコの保存体。レースとフリルをたっぷり使った手縫いのドレスにヘッドドレス。
「やっぱ人形の衣装ってこれになっちゃうよね」
ひらひらのふりっふり。現実離れしているから、かえって吹っ切れる。これは人形、現実の自分とはちがう。
(だけどワミは……十六歳のままなんだ)
ちくり、と胸が痛む。
★
『おめでとう、石動令子。君のこの十年の働きには感謝している』
凍眠監視員が新しいリストバンドを届けてくれた。ワミと同じ黄色のリストバンド。
『本当にいいのか? 木花和美さんと同じシフトで』
「うん。あたしだけ十年、年を取っちゃったけどさ。生きて、動いてるワミが見られればそれでいい」
『一途だなあ』
「それで、ついでにお願いがあるんだけどいいかな?」
『何だ? 規則に反しない範囲でかなえるぞ?』
「この人形、ワミに届けて欲しい。あたしが買ったのを送ったって設定で」
監視員は箱に入った人形を念入りにスキャンする。
『うむ、いいだろう。もはや買ったと言われても納得の出来栄えだ』
「どーも」
『メッセージも仕込まれていないな』
やっぱそこはチェックするのだ。
そして、目覚めの朝が来る。
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